ラヴェルのピアノ曲

春秋社より出版されている楽譜「ラヴェル・ピアノ作品全集」より、
巻末の演奏ノートの部分を抜粋させていただきました。
(前項「 作曲家ラヴェル」の続きとしてお読みください)

 

 
 ラヴェルのピアノ曲は、異論の余地もあろうが、大まかに下記の4種類に分けることができよう(むろん複数の項目にまたがるものや、いずれとも定めがたい作品もあるが):

  1)いわゆる印象主義的手法による描写性の著しいもの
  2)擬古典的な作品
  3)各種の舞曲ないし舞曲のリズムに基づく作品
  4)スペイン音楽やギターの奏法に起源をもつもの

 1)には『水のたわむれ』『蛾』『洋上の小舟』など多くの作品が属し、水とか風といった流動体の描写に巧みな印象派的作風のティピカルなもの。デリケートなタッチと巧妙なペダル、特に音色や響きのバランスに対する鋭敏な耳を必要とする。
 
 2)には『ソナチネ』『ハイドンの名によるメヌエット』『クープランの墓』があげられる。古典的な形式と様式(スタイル)・・・わけてもフランス・クラヴシニストとモーツァルトのそれを範とする。ここではとりわけ中庸の精神・・・節度ある情緒表現、すぐれたバラン感覚、クリアなタッチがもとめられる。薄いテクスチャー、透明ですっきりとした響きが特色。
 
 3)には『古風なメヌエット』『死せる王女のためのパヴアァーヌ』『高貸で感傷的なワルツ』その他。良いリズム感、アクセントに対するセンス、ペダリングでは特にこれをどこではなすかがポイント。
 
 4)『グロテスクなセレナード』と『道化師の朝の歌』は明らかにギター音楽とかかわりがある。乾いた鋭いタッチ、強いアクセント。また後者と『スカルボ』とはスペイン音楽に由来する。スペイン南部・アンダルシア地方の歌舞は『道化師』に、スベイン東北部の歌舞「ホタ」jota は『スカルボ』の主要部分に活用されている。
 
 以上ざっと概観しただけでも、ラヴェルがロマン派的な熱っぽい心情の吐露よりは、響き自体の美しさや作品細部の仕上げの完壁さに興味を示す、どちらかといえば客観性を重んずる型の芸術家であることがわかる。もちろんこのことは彼の音楽に感情表現がないということではない。彼はあからさまでおしつけがましい感情表出をたしなみの無さ・・・没趣味として忌避し、より節度ある洗練されたやり方を好んだまでである。“偉大な音楽というものは常に心から生まれるものだ。技術と頭脳だけで作られた音楽には、それが書かれた五線紙以上の価値はない”・・・これはアメリカにおける評論家 D. ユーエンとの対話の中でラヴェルが語った言葉である。その作品の出来映えの見事さに目が眩んで、そこに隠された心情を看過することのないようにしたい。
 
 ラヴェルのピアノ書法は、ショパン、リストあるいはサン=サーンスなどのそれを主軸に、上述のフランス・クラヴシニストやD. スカルラッティ、モーツァルト、さらにギター奏法に由来するものや彼自身の創意工夫もこれに加わって、まことに広汎多彩である。『夜のガスパール』などはピアノ技法の百科事典といっても過言ではない。この作曲家の演奏の名人技(ヴィルトゥオジテ)に対する並々ならぬ関心は、多分先に述べた彼の職人気質とも関連があろうかと思われるが、やはりラヴェルの新しいソノリテへの志向が、表現手段の拡大と複雑化を招き、このことが超絶技巧の開発を促す結果となったのではないか?
 
 ラヴェルの音質・音色に関する注文に応ずるには、ピアニストは常にもましてさまざまなタッチを備えていなければならない。『水の精(オンディーヌ)』の妖しい歌声と『ト調の協奏曲』第1楽章再現部直前に置かれたカデンツァ風の走句との間には、タッチの点で天地のへだたりがある。後者ではラヴェルは、指を高く上げて弾くハノンの無味乾燥なタッチをも敢えて動員するのである(このフランスの古い流派の音の立て方は、現今ではレガート・カンタービレやエスプレッシーヴォの大敵として、はなはだ評判がよろしくない)。タッチの間題は演奏技巧と不可分であるが、ラヴェルのような作曲家を手がけるにあたっては、特に個々の楽曲のスタイルやその曲の基本となる色調を表現するのに、どんなタッチがふさわしいか、練習に先立ってあらかじめよくよく考えてみる必要がある。タッチがおのずと演奏技巧のあり方を規定するのである。ラヴェルは自作の全ピアノ曲の約3分の1をオーケストラ用に編曲して、これらをより色彩ゆたかで豪華なものとした。彼にとってピアノ曲はあるいは管弦楽曲のためのスケッチであったのかもしれない、ベートーヴェンのピアノ・ソナタが彼の交響曲のスケッチであったと同様に。いずれにせよ、これらのオーケストラ編曲に接し、そのスコアを研究することは、ピアニストにとって響きの性質や音色、ひいてはタッチを考える上で大きな手がかりとなる。『鐘の谷』や『絞首台』のような作品ではことさらにオーケストラ・スコアに接するようなつもりで譜面を読むのがよい。作曲者の望んでいる響きのバランス、距離感・立体感をより如実に把握することができよう。
 
 この作曲家は,『水のたわむれ』『ソナチネ』あるいは『水の精(オンディーヌ)』などに見られるように、旋律音と細かな伴奏音型を好んで同一音域内(ことに中音域ないし次高音で)に置く。そしてこの音の配置こそが、あの清冽この上ないソノリテを生み出すと同時に、時としてピアニストに始末に負えない難問を課すこととなる。すなわち両手がもつれるように重なり合うためにおたがいの動作が妨げられることと、同一のキーが相前後して異なる用途にあてられるせいで、音が抜けたりかすれたりして望ましい響きが得られないことで*2、これはラヴェルの反復音に対する偏愛とならんで、いつもピアニストの頭痛の種である。この難題の解決には両手の合理的な重ね方と良い指づかいの選択、アフタータッチの積極的利用に加え、良い楽器・・・それもとびきり良い楽器が必要である。ラヴェルは『水の精(オンディーヌ)』の冒頭部分その他を、初版刊行の後に、当春秋社版に見るとおりに改変した。旋律音と接触する伴奏音型中の同度の音を数ヶ所で削除して困難を緩和したのである。これにはあるいは作曲家に親しかったピアニストたちの進言(あるいは苦情・陳情)が与って力があったかもしれない。もしそうだとすればこの作曲家は珍しく、異例の譲歩をしたことになる。
 
 ラヴェルの用いたピアノ技巧上のいくつかの新機軸、黒鍵のグリッサンド(『水のたわむれ』)、4度の重音グリッサンド(『道化師の朝の歌』)あるいは重音2度の連続進行(『スカルボ』)などの実際の創始者が誰であったのか、寡聞にして詳らかにしない。しかしこれらを価値ある芸術作品の一部分とした最初の作曲家がラヴェルであったことは疑いのないところである。ペダルに関していえば、ラヴェルの使用したピアノはエラールとプレイエルであったので、今日普及しているソステヌート・ペダル(中央のペダル)は彼の考慮のうちに入っていない。これの使用の可否、彼がAをもって代用したGis以下の低い音を、92鍵以上を備えた大型の楽器ではどうするかといった細かな間題については当該曲目の項に譲る。
 

*2 アルベニスは『イベリア』において、鍵盤上の同一音域で両手を重ね合わせる書法を極限まで追求し、これを持有のピアニズムに発展させた。より詳しくは春秋社版世界音楽全集「アルベニス集 I・II」の演奏ノー卜を参照されたい。