ここに掲載したものは森安芳樹先生の筆によるものです。
春秋社より出版されている楽譜「ラヴェル・ピアノ作品全集」より、
巻末の演奏ノートの部分を抜粋させていただきました。
ラヴェルのピアノ音楽を勉強される方以外にも大変参考になると思われますので、
どうか御一読いただき、勉学、或いは演奏活動に役立てていただければ幸いです。
“私の音楽は解釈するには及ばない,書かれたとおりに弾いてくれればそれでよろしい”・・・コルトーの伝えるラヴェルの言葉である。イギリスの作曲家=評論家
N. デマスがその著書の中で*1、この言葉をたいへんうまく敷衍(ふえん)しているので引用しないわけにはいかない。やや長文であるため、以下そのあらましを抜き書きする:“ラヴェルの音楽のもつロマン的性格がテンポ・ルバート・ピアニストの好餌(こうじ)となり、その作品を台なしにする要因となっている。
rallentando や accelerando がむやみに加えられ、plus lent(=pi lento)という指示は
molto rallentando と曲解される。この手の解釈者(演奏者)を小節から小節へと千鳥足で歩かないように説得することは不可能に近い。彼は1拍目の少し後で音符を奏し、おのおのの小節にわずかずつ長さを付け足す。そんなことをすれば、音楽が先に向かって推進しようとするのを妨げることになるのだということ、自分の行っていることが、障害物(小節線)をクリアするどころでなく、ハードルごとに立ち止まる陸上競技の運動選手にそっくりだということに、とんと気がつかないのである。音楽作品がシンプルであればあるほど解釈者のつけ入る機会はますます多くなるわけで、その結果しばしば演奏は作曲者の指示と正反対のものになる”。
ラヴェルが自作の演奏に関して気むずかしく、要求の多い作曲家であったことはまちがいのないところらしい。『死せる王女のためのパヴァーヌ』をゆっくり弾きすぎたピアニストは“王女のための死せるパヴァーヌ”とからかわれているし、マエストロ・大トスカニーニは彼の『ボレロ』のテンポが“速すぎる”とあけすけに批判されておかんむりであった。P. ヴィットゲンシュタインは『左手のための協奏曲』の作曲を依頼したが、出来上った作品はとうてい彼の腕では弾きこなせなかったので、自分の手に合うよう勝手に原曲に筆を加え、あつかましくも“演奏家は作曲家の奴隷であってはならない”と弁明した。ラヴェルの反応はまことにそっけない:“演奏家は作曲家の奴隷である”。 ラヴェルは多くのピアニストたち(R. カサドジユ、V. ペルルミュテール、J. フェブリエの三者は特に著名)に自作の演奏法を伝授したが、その際に彼は“どう弾けばよいか”だけでなく、しばしば“どう弾いてはいけないか”を明言している。彼の作品のいたるところに書き込まれた sans ralentir(= senza rallentare,“おそくしないで”)の指示を思い出していただきたい。『絞首台』の中ほどには sans expression“表情をつけないで、無表情に”という指示さえある!“演奏家の通弊のひとつは、作曲者が望む時点よりも早く crescendo を始めてしまうことだ”……これなどはラヴェルの作品に限ったことではなく、ほとんどすべての音楽作品の演奏にあてはまる。耳の痛いピアニストは少なくないはずである。 楽譜から作曲者の真意を精確に読み取り、あらゆる恣意的な解釈を退けて、その忠実な下僕(しもべ)たるに徹する、このことはけっして消極的で主体性を欠いた窮屈な演奏をするということではない。ラヴェルは、自己にわざわざ困難な間題を課して、これにうち克つことに喜びと楽しみとを見出だすといったタイプの人間であった。たとえば、バラキレフの『イスラメイ』を超える難曲を書くこと(『スカルボ』)、ムソルグスキーの『展覧会の絵』の原曲中の1音たりとも変更することなしにオーケストラ用に編曲をこしらえること等々。『ポレロ』も『左手のための協秦曲』も表現手段に何らかの制限が加えられ、このことが発条(ばね)となって産み出された傑作である。課題が困難であればあるほどますます挑戦意欲をかき立てられて腕を揮(ふる)うこの作曲家の職人気質(かたぎ)・・・まさにこれである。われわれ演秦にたずさわる者がラヴェル作品を手がけるにあたって、どのような態度でこれに臨めばよいかを、彼はここに身をもって示してくれているではないか? 制約のないところに自由はない。立場を替えて、今度はピアニストの方が、ラヴェルの課した“解釈しないで譜面どおりに”という制約の範囲内でいかに自在にふるまうことができるか・・・挑戦に応ずる番である。 *1 )Norman Demuth:French Piano Music-A Survey with Notes on its Performance,Museum Press,London,1959.邦訳あり。 |