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PROFILE
HISTORY
ハンドル
:
seko
生年月日
:
1961年(ベルリンの壁がつくられた日)
出生場所
:
長野県諏訪市
趣味
:
山歩きとスキー
夢の生活
:
静かな浜辺の近くで民宿を営むこと。
旅の資格
:
一般旅行業務取扱主任者
ひとりごと
:
旅をするのを中断している。
まだ、しばらくはこのパスポートを使うこともないだろう。
未だ予定・計画・憧れ段階で実施できていない鉄道の旅
1.
北京・満州里・イルクーツク・モスクワ間(19次列車)
19次列車は旧満州(現在の中国東北地方/旧満州鉄道)を走り、瀋陽では北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の平壌(ピョンヤン)からの車両を連結し、昔多くの日本人が暮らしていたと言われる満州里より中ソ国境を越えシベリア鉄道に入る歴史的にも興味深い列車。1988年から断続的にリクエストを出していたのだが、なかなか予約が取れない。1989年にやっと予約が取れたのだが、「天安門事件」と重なってしまい乗車を諦めた過去がある。日本で発行されたバウチャーを中国国際旅行社(中国旅行の受け入れ機関)で乗車券に交換する必要があり、北京の中国国際旅行社が天安門広場の近くにあったという事情もある。同じく北京からシベリア鉄道に入るルートとしてウランバートル(モンゴル)経由の3次列車があるが、こちらは予約が取れ易かった。最終的にはハバロフスク発のロシア号に妥協してしまったが、今でもこのルートの旅は諦めていない。
2.
昆明北・河口・ラオカイ・ハノイ間(昆河線・ハラオ線)
昆明北とベトナム国境の河口を結ぶ昆河線は中国国鉄では唯一の狭軌鉄道(軌道間1m)で、雲南省の山岳地帯を走る秘境鉄道とのこと。19世紀にベトナムを植民地にしていたフランスがその勢力を広げようと、ベトナムのハイフォン港と昆明を結ぶ路線として1910年頃に開通させたのが始まりで、1979年の中越紛争からは列車の直通国際運転が中断されていたと言う波乱に富んだ歴史を秘めている。1994年の資料からだが、両線ともその数年前までは外国人が全線乗車することはできなかった。その後1996年には直通国際列車の貨物運転が再開され、1997年には旅客運転が再開された。
3.
ホーチミン・ハノイ間(ベトナム統一鉄道)
1992年の頃だと思う。徐々に観光化されてゆく一部の東南アジアの国に嫌気がさして新鮮な場所を探していた。それと同時に近場(海外)で乗れる鉄道を探していたところ、ベトナムの鉄道が外国人にも開放されるようになったことを知った。北緯17度線で国家が分裂されることになった悲劇は周知のことだ。しかし、再び統一を果たしドイモイ(刷新)政策の元で力強く前進しているベトナムとその国民に興味を抱いた。ベトナム統一鉄道は南部のホーチミンと北部のハノイを結ぶ1,726km鉄路(狭軌/軌道間1m)で、1935年に完成したが諸事情で幾度か分断され1976年に再統一がなされたとのこと。この国の鉄道に乗りたい一心でベトナムへのリクエストを1994年の春に出した。当時は日本からの直行便が日本航空のハノイ行きのみで、他はバンコク・マニラ・香港乗り換えだった(1994年11月にベトナム航空が関西空港に直行便を持った)。香港乗り換えが一番スムーズに行くのだが機材が小さいのと乗客が多いので予約が取れなかった。結局、仕事の都合もあり行かずじまいになってしまった。
4.
上海・中央アジア・イスタンブール間(シルクロード鉄道)
シルクロード特急と称される列車に乗る夢。その昔、ラクダのキャラバン隊が進んだ同じシルクロードを辿るロマン。冒険心を大いにくすぐる。上海からウルムチまでの4,079km(3泊4日)の乗車計画を練っていたところ、ソ連崩壊後の1992年にウルムチから先のカザフスタンへ国際列車の運行が始まったことを知った。さらに西に向かう計画に変更。最終的にシルクロード鉄道は、まさにその名のとおり中国(上海)・カザフスタン・タジキスタン・キルギス・ウズベキスタン・トルクメニスタン・イラン・トルコ(イスタンブール)を一本の鉄路で結んだ。一部イランの国境では旅客運転がされていようだが、
線路がつながっていれば友好の証
。そのうち旅客運転されることを期待する。ラクダのキャラバン隊もシルクロードを進むことは大変だったであろうが、現代人がこの鉄道を乗り通すことも体力的・精神力的にタフなところを要求されるだろう。果たしていつの日にこの夢を叶えることができるであろうか。
5.
アウシュビッツ収容所
アウシュビッツは、ポーランド語でオシビエンチム(Oswiecim)と言う。ワルシャワの南に位置するクラクフから西に60kmほど行ったところにある町で、ナチスの強制収容所のひとつがあったところ。アウシュビッツから2・3km離れたビルケナウにも足を延ばしたい。1990年にシベリア鉄道経由でベルリンに向かう計画を立てた時にワルシャワからクラクフへ廻ってみようとも思ったのだが、また行けるだろうと思い、結局はポーランドを通過してしまった。今から思うと立ち寄っておくべきだった。ワルシャワとクラクフ間は幹線とは言え1990年頃は1日数本の列車のみで所要時間は3時間15分。2000年時点では高速線も開通していたようで、インターシティ(IC)が約1時間に1本出ていて所要時間は2時間25分とのこと。この方面に旅をする方は是非訪問してみていただきたい。
6.
日本橋・京都間(旧中山道)番外編
1986年(昭和61年)の秋から旧中山道を京都に向かってひたすら歩いている。木曽の妻籠宿まで歩いた。これから先の馬籠・中津川までは中央本線沿いで便も良いのだが、さらに先に行くと岐阜県の御嵩(名古屋鉄道)まで山の中の道を歩くことになる。まとまった日数が必要になるので難しい。そう言うわけで未だに京都に着く見通しが立たない状況。