冷たい雨 ―3―


 任務を無事に終えた祝杯を挙げるため、世界と八百は行きつけのバーに向かおうとしていた。夕食を取った時に多少のアルコールが入りはしていたが飲み足りず、ゆっくりと飲もうということになったのだ。そして腰を据えて飲むには静かな店のほうがいいだろうという話になり、二人がよく行く店に向かう途中で八百が不意に立ち止まった。

「おい、あれは飛葉じゃねぇか」

八百の視線の先には隊服を着たままの飛葉が、飲み屋の壁に力無く背を預けて立っている。

 その日の午後から雲行きは怪しいものとなり、日が暮れてしばらくすると5月にしては珍しい冷たい雨が降り始めた。夜半には本降りになった雨は傘を差さずにはいられない。にもかかわらず、飛葉は雨をやり過ごそうともせずに立ち尽くしている。世界と八百は顔を見合わせて飛葉に歩み寄った。

「おい、飛葉。お前、傘も差さねぇで、何やってんだ?」

傘を差しかける八百の声にゆっくりと顔を上げた飛葉の表情に、いつもの覇気はない。

「子供の来る場所じゃねぇぞ」

世界がからかうように言うと、さもおもしろくなさそうに答えた。

「わかってるさ、そんなこたぁ」

子供扱いしようものなら、途端にムキになって突っかかってくる筈のいつもの飛葉らしくない、半ば自棄とも思える台詞に世界が

「何かあったのか」

と問うたが、飛葉は黙したまま人の流れを眺めたままで、よくよく見ると髪も衣服も心まで濡れている。前髪から落ちる滴を気に留める風でもない飛葉の様子を見かねたのか、

「何があったのかは知らんが――この雨に濡れるのは感心せんな」

と、小言めいた言葉を口にした。次いで八百も

「お前がいくら風邪を引かねぇくらいバカだっつてもな、さすがにそのなりはまずい」

と軽い調子で言ったのだが、飛葉は二人を見ようともしない。

「こんなバカにかまってねぇで、行けよ。あんたら、飲みに行くんじゃねぇのか」

「おいおい、俺はお前を心配してだな――」

「余計なお世話だ」

八百の言葉を遮るように飛葉は言い放ったきり、黙りを決め込んでいる。

 平生とは明らかに異なる頑なな様子に世界と八百は苦笑するほかなく、飛葉が自分から動こうとはしないだろうことも察し、八百は世界と飛葉を残してその場を離れた。

「着替えどころか、怪我の手当もしてないな。病院に行くほどでもないと言っても、掠り傷なんてもんじゃないだろう。お前はいつだって無茶をするから、人の倍は傷もひどいし怪我も多い」

「余計なお世話だって、言ってんだろ」

「雨で風邪を引くくらいならいいが、肩を冷やして傷めてみろ。自慢の銃の腕が鈍るぞ」

「説教はたくさんだ」

あまりに意固地な態度に世界は諦めたように嘆息し、煙草に火を点けた。傘を差しかけられていることを知ってか知らずか、飛葉は押し黙ったまま遠くを見つめ続け、世界もまた無言で飛葉を眺めていた。

 遠くから二人を呼ぶ八百の声が聞こえると、世界は煙草を水たまりに投げ捨てて飛葉の腕を掴んで引っ張っていく。世界の強引な態度に最初こそ飛葉は抵抗していたが、すぐに引かれるままに歩き始めた。タクシーの助手席には既に八百が収まり、世界が濡れ鼠の飛葉を後部座席に押し込むように座らせると、運転手があからさまに迷惑そうな顔になったが、八百がチップの紙幣を渡すと何事もなかったように車を出す。カーラジオから流れる流行り歌が沈黙をかき消し、少し強まった雨はフロントガラスを音もなく叩いていた。


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