残像 11


 部屋に戻り、早々に布団に潜り込みはしたものの、飛葉は冴えきってしまった意識を持て余すばかりだった。

 昨夜、犯人を所轄の警察に引き渡すまでの数日間は仮眠程度の睡眠時間しかとれなかったのだから、闇の中に沈んでいくように眠りに落ちても不思議ではない。極度の精神的緊張と肉体の酷使を伴う任務から解放された直後は、泥のように眠り込んでしまうのが常であったし、昨夜完了した任務の内容から考えても、現在の飛葉に深い眠りが訪れるのが当然であるはずなのだ。しかし彼は昨夜も、そして今夜も眠りの女神の祝福を受けることはなかった。

 ぼんやりと見慣れた天井を眺める。天井板のシミや木目や節などが形作る模様が人の顔のように見える。悲しみ、怒り、苦悶、虚無、寂寥、諦め……。目に入る人の顔らしきものから感じるのはいつも、そういった感情ばかりだった。

◇◇◇

 子どもの頃、幼かった飛葉とその兄が床に就く頃、母親は小さな酒場で働いていた。母親が恋しくて眠れない夜、飛葉は今夜のように天井を見上げていたものだった。

 父親がいないこともあって、母親は苦労していたことは幼心にも感じていた。そのせいか飛葉は決して母親に面倒をかけない子どもだった。というよりも、むしろ進んで母親の手助けをしようとしていたのだが、幼すぎたことが災いすることも多く、母から叱責されるような失敗をしたことも少なくない。幼い飛葉は、病弱な兄の看病に追われる母親の仕事を肩代わりすることが、母親に好かれる唯一の手段であると信じていた。しかし彼の母は兄のほうばかりを溺愛するのみで、決して飛葉を見ようとはしない。時折向けられるのは幼い飛葉を咎めるような視線と、責められているようにも感じられる、寂しさを湛えた瞳だけだった。

 眠れない夜は目を閉じて、母の笑顔を思い浮かべた。けれど、いつも瞼に浮かぶのは寂しげに目を伏せた母だった。優しい母を求め、眠れぬ子どもは目を懲らして天井板に母の微笑を探したが、そこに求めるものがあったためしはない。飛葉の母が彼に、慈愛の表情を向けることはなかった。兄に向けられた愛情のおこぼれに与ることがあるにはあったが、それは飛葉の望んだものではない。やがて彼は、いつの間にか母に対して何かを求めるのを諦めていた。

 母の愛を得るために子どもなりに母を守ろうとした、母を支えようとした努力の全ては無駄だった。受け取る者が存在しない思いは空をさまようばかりで、飛葉の小さな掌には何も残ることはなかった。

 彼は母を責める気になれなかった。母親と似た面差しの兄ばかりが愛され、二人とは異なる顔立ちの自分が疎まれる理由に見当がつくようになった頃、彼は大きな賭に出た。何をしても愛されないのであれば母を困らせるような、自分たち親子を捨てた男のようになればいい。母がかつて愛した男の面影を飛葉の言動の中に見出しさえすれば、少しは興味を持ってもらえるかもしれない。心配をかけないようにしたところで愛されはしないのだ。だったら困らせるしかない。そうしたら……。

 一縷の望みをかけた賭にさえ彼は、破れた。息子を持て余した母の手によって、飛葉は少年院に委ねられた。

 飛葉が既に少年院にいないことは、法的にはまだ保護者である母親の耳に入っているはずである。飛葉の母親の中では、高い塀に囲まれた場所に行ったきりの、数年の間、会うこともなかった息子は既にいないことになっているのだろうか。ワイルド7のメンバーとなってからも、母からは何の連絡もない。だからといって落胆することはない。少年院にいた頃も、母は一度も面会に来なかった。手紙が届くこともなかったのだ。少年院を出た今、母親から連絡がこないことも当然のことで、今さらそれを寂しいなどと思うほうが馬鹿げている。分かり切ったことだ。


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