残像 8


 決して豪華なものではないが、心尽くしの手料理が並べられた食卓は、飛葉の胸をあたたかいもので満たした。裕美が得意だと言った一皿は、どこか懐かしい味がする。裕美が話す学校での様々な出来事に耳を傾け、時にはからかうような言葉を返す美奈と、少女らしい素直な反応を見せる裕美の姿は飛葉を幸福にした。無意識のうちに二人の様子を見逃すまいとしていたのかもしれない。いつの間にか黙り込んでいたようで、不意に裕美から声をかけられ、飛葉はようやく我に返った。

「え……何?」

「もう、聞いてなかったんだ」

裕美が戯けた調子で頬を膨らませ、それを見た美奈が笑う。

「年頃の男の子はね、あんたみたいにお喋りじゃないのよ。ごめんなさいね。うるさいでしょう? いっつもこの調子で、困ってるのよ」

「ひどーい、母さんたら。ね、お兄さん。私、お喋りじゃないわよね?」

「ああ、普通、そんなもんだろ」

「ほらぁ」

裕美は我が意を得たとばかりに美奈を見た。裕美を見た美奈が笑い、つられたように飛葉も笑う。

 賑やかな食事の後、緑茶を飲んでいた飛葉に裕美が言った。

「ね、店の前に停めてあるオートバイ、お兄さんのでしょ?」

「ああ、そうだけど」

「ね、乗せて! いいでしょ? 母さん」

裕美の言葉に美奈が呆れた表情を浮かべる。

「何言ってんのよ、図々しい子ね」

「えーっ。そんなことないわよね? お兄さん。少しだけでいいから、後ろに乗せてよ」

裕美の甘えるような言葉と仕草が、飛葉の心をくすぐる。

「迷惑なこと言ってんじゃないの」

美奈が裕美を諌めようとしたが、飛葉はそんなことを全く意に介さない様子で上着を手に立ち上がると、

「門限は何時?」

と、問う。その言葉に裕美は瞳を輝かせ、飛葉の腕に両腕で絡みつく。裕美の無邪気な仕草に飛葉は、妹というものはこういうものなのかと思う。

「君がついてくれてれば安心だわね。門限は気にしなくていいわ。この娘のわがままに適当につき合ってやってね」

すっかり飛葉に懐いている裕美を見た美奈が半ば呆れたように、けれど嬉しそうに言う。母親の言葉を聞いた裕美は喜びを隠そうともせず、飛葉の腕を引っ張るようにして玄関へ向かった。

◇◇◇

 裕美を乗せ、飛葉は小一時間ほどバイクを走らせた。途中で休憩した時、自販機で買ったジュースを手渡すと、裕美は満面に笑みを浮かべて礼を言った。裕美の笑顔は、美奈にとてもよく似ている。飛葉がそう言うと、裕美は母娘だから当たり前だと答える。他愛のない会話の中の少女のあどけない笑顔と、少し高い愛らしい笑い声は心地よかった。

「やっぱりバイクって、ステキよね」

裕美が言った。

「母さんが初めて好きになった男の人がね、バイクの運転がとっても上手だったんだって。お休みの日にバイクに乗って、二人でいろんな所に出かけたんだって。小さい時から何回も同じ話を聞かされてたの。だから、男の人に後ろに乗せてもらうのって、すごく憧れてたの。だからいつか私も、好きな人ができたらバイクに乗せてもらうんだって、決めてるの」

「おいおい、いいのか? 俺なんかのバイクに乗って」

「だって、予行演習だもん」

裕美がそう言って笑う。その笑顔につられるように、飛葉も笑った。甘えるような仕草、屈託のない笑顔、高い少女らしい声。その全てが飛葉には新鮮に感じられる。

「ね、また暇な時、遊びに来てくれる? そうしたら、今日みたいにまたバイクに乗せてほしいの」

「約束は……できねぇんだ」

 その笑顔によく似合う、明るい世界で生きている裕美の隣にいるべき人間が、自分ではないことを、飛葉は承知していた。例え悪党たちを始末するためであったとしても、手を血で濡らした自分が少女にふさわしくあるわけがない。だから何の約束もできない。してはならないのだ。それどころか今、ここで裕美といることをなかったことにすべきだとさえ思う。けれど飛葉には、それができなかった。母親の愛情に包まれて真っ直ぐに育った裕美は、飛葉が焦がれながらも手にすることのできなかった全てを持っている幸福の象徴であり、羨望に似た感情さえ抱かずにいられない存在である。その彼女の手を、振り切ることはできない。飛葉は裕美の笑顔を、せめてその残像だけでも胸に刻んでおきたいとさえ思う。決して手が届くことはなかったが、彼が焦がれ続けたものが確かに存在する証でもある裕美の笑顔を、せめて記憶の中にだけでも留めておきたかった。

「うん。いいよ、それでも。気が向いた時でいいから、ご飯、食べにきて」

「そうだな……気が向いたら……な」

曖昧な返事しかできない自分の弱さに憤りを感じた飛葉は、その感情を振り切るように空き缶を遠くへ投げ、キックペダルを蹴った。


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