残像 7
少女が店の奥に消えてから、飛葉が美奈に訊いた。
「あの娘、中学生だろ?」
「1年生よ。母一人娘一人のせいなのか、しっかり者で助かってるわ」
美奈の答を聞いた飛葉は、驚いた顔で美奈を見つめた。
「もしかして……もしかしたら父親って……」
「私の娘よ。一人で産んで、一人で育てた、私だけの娘」
美奈は明確な意思をもって、飛葉の言葉を遮った。
「父親だった男のことは関係ないわ。父親がいなくたって、その分私が可愛がってるもの。あの子もわかってくれてるわ。私たちは二人でうまくやってるの。父親がいなくたって、楽しく暮らしていけるんだから、何の問題もないわ。そうでしょ?」
飛葉の視線を受け止めた美奈の瞳には、強い意思の存在を示す光が宿っていた。
美奈は母親として娘を慈しみ、少女を育て上げるために懸命に働いてきたのだろう。時には父親がいないにもかかわらず子どもを産み、育てている女に向けられ、そして父のない子どもに対する偏見や冷たい視線と戦い、少女を守ってきたのだろう。母親に守られていることを肌で感じながら、少女は成長したに違いない。だから美奈と裕美は確かな絆で結ばれている。言葉だとかの形にしなくても確かな存在が感じられる、生命と生命を繋ぐ強い何かがあるからこそ美奈は裕美を『自分だけの娘』であると、父親など必要ないと言い切ることができる。そんな美奈に対して何かを言う権利などありはしないのだ。そう飛葉は悟った。
「……悪かった。もう、言わねぇよ」
美奈から視線を外して飛葉が言い、
「お父さん、いないの?」
その言葉に答えるように美奈が飛葉に尋ねた。
「父親に随分こだわるもんだから、そうかなって思っただけよ。気にしないで」
「兄貴は……少しくらいは覚えてるらしいよ。でも、俺は親父なんか知らねぇ。写真もねぇし、お袋も何も言わねぇし……」
「そう」
美奈はそう言うと飛葉の髪にそっと触れ、
「いい子ね」
と言った。
◇◇◇ 美奈のような女に、飛葉は初めて出会った。彼女は飛葉の理解を遥かに越えた所に立っている。
会ったばかりの自分を母親のような瞳で見つめたり、勝手に住所を調べ、都合も訊かずにやってきた失礼な男を追い返すどころか、髪を切ったり昔話を聞かせたり、夕食の世話を焼こうとするだけではなく、あたたかな空気で包み込もうとさえしようする美奈は、飛葉がこれまで出会ったどの女とも違いすぎる。
強くて大きい存在。体躯こそ飛葉が勝っているものの、絶対に敵う相手ではない。死力を尽くして臨んでも、彼女を超えるどころか、対等の位置にさえ立つこともできないだろう。そう確信させる絶対的な何かを美奈は確かに持っている。それを改めて痛感した飛葉は、知らず、独り言を呟いていた。
「強ぇな……」
美奈はその言葉を聞くと、鮮やかな微笑みを浮かべて言った。
「当たり前でしょ。母親だもの」
その笑顔は、生涯忘れられないであろうほどに魅力的だった。そして、その力強い声音で語られた言葉は飛葉の胸中に心地良く沁みていく。同時に小さな欠片となり、飛葉の心をちりちりと刺すのだった。
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