邂 逅 ―3―


 初対面の挨拶代わりとも言える賭は、世界の勝利に終わった。

 ハーレー・ダビッドソンなどという、およそ日本の国土に似つかわしくない、広大な大陸を渡るために創られたバイクは言うに及ばず、飛葉が駆っていたホンダCB72もまた未舗装の、見捨てられて久しい峠道を超えるのに適しているとは言い難い。しかし初の国産スポーツバイクとして誕生した飛葉のオートバイのほうが、コーナーが連続する悪路を走行する点ではまだ一分の理があったと言えただろう。また排気量や馬力では飛葉に勝ち目がなくとも、車体が軽い分だけ制御が容易だという点でも排気量の違いというハンディは相殺される筈だった。しかし世界のすぐ後ろにつくことはできても、最後までその隣を走ることさえ叶わないという屈辱を味わうしかなかった現実は、賭が終わる頃には飛葉の胸中で世界に対する強い反抗心へと変貌していた。

 隙を見せたならば、すぐにでも喉笛に食らいついてきそうな飛葉の剥き出しの憎悪を受け止めながら、世界は無表情な仮面の下で『してやったり』と、ほくそ笑んでいた。飛葉の闘争心を煽る言葉を巧みに操り、向こうから勝負を仕掛けてくるように仕向けた。その結果、飛葉は自分から突きつけた賭に敗れた。この事実が彼らの当面の力関係を決定したのだ。

 「勝負は決まったな」

世界は飛葉の反抗心を煽るような笑みを浮かべる。歯ぎしりが聞こえそうなほど噛みしめられた飛葉の唇が、声にならない言葉を紡ぐ。

「今のお前を認められん。当分の間、お前は俺に絶対服従だ。だが――」

世界は一旦言葉を切り、懐から煙草を取り出した。紫煙が上る空には夜の気配が潜んでいる。高ぶる神経を冷やしていく、春の訪れさえ感じられない冷たい夜気が頬に心地よい。

「俺の横につけられるようになれば、お前を認めてやらんでもない」

不遜な世界の言葉に、飛葉の声が震える。

「俺がアタマだってぇ、草波の言ったことが聞こえなかったのかよ」

答えた飛葉の声は、怒りに震えている。

「それとこれとは別だ。今のお前なら使い勝手のいい歩兵にはなるだろうよ。だが、命を預ける気にはならん」

「随分なことを言ってくれるじゃねーか。じゃぁ、何かよ。お前を負かしたら俺をリーダーだって認めるっつーのかよ」

「できたらな」

「おめぇの言うことを聞いたところで、何の役にも立たねぇかもしれねーな。親切なフリをして人のじゃまをする卑怯者も、世の中にゃいるからよ」

飛葉は唇の端を少し上げるだけの笑みを浮かべたが、世界はそれを気に留める素振りも見せずに紫煙を吐く。

「何か言ったらどうだ」

世界の口元に浮かんだ表情を、飛葉が目聡く見つけた。

「いや……負け犬ってヤツは、いつでもどこでもうるさくて、始末に負えねぇもんだと思ってな」

最後の煙を飛葉に向かって吹きかけた世界は、

「いずれにせよ、当面の間、お前は俺に服従するしかない。まぁ……飛びかかってきてもかまわんが、相応の覚悟をしておくことだな」

と、飛葉を見下ろしながら言う。それから世界は短くなった煙草を地面で揉み消し、宿舎となっている農家へと足を向けた。彼の背中には先刻から感じていた、憎悪を孕んだ飛葉の視線が突き刺さったままだった。

◇◇◇

 翌日の早朝から始まった走行訓練は、単調きわまりないものだった。世界は何度も同じ速度で描く、寸分違わぬ軌跡を飛葉に要求し、些細なミスや軌道のズレは直ちに指摘・矯正する。その度に飛葉に罵声を浴びせかけ、時には飛葉の身体に拳を打ち込みさえした。

 自己流とはいえ、横浜で最も脅威的なな存在として知られていた暴走族のリーダーだった飛葉は自身の操縦技術に自信を持っているし、草波が企てた悪趣味極まりないとしか言えないテストを切り抜けた腕は、同様のテストで幾人もの候補者が命を落とした事実を鑑みても、並のものではない言っても過言ではない。実際、初対面の際に伸び放題になり、濡れた草地を難なく走る飛葉の姿を見た世界は以来、飛葉の卓越したバランス感覚と咄嗟の判断力には一目を置いている。しかし不充分な基礎から生じる僅かなバランスの崩れは、万が一の時に命取りになりかねない危うさを孕んでいるのもまた事実だ。白バイ警官や暴走族を相手にしている分には特に問題がなくとも、その裏をかく、これまでの警察のやり方がでは歯が立たないような連中には通用しない。それ故、世界はライディングの基礎を徹底的に飛葉の肉体に叩き込むつもりだった。

 飛葉の負けん気の強さを逆手に取り、時に世界は乗馬用の鞭を使って飛葉を打擲した。世界の怒声は確実にプライドの高い飛葉の神経を逆撫でる。堪忍袋の緒が切れる寸前の飛葉の眼前で、飛葉に課した課題を楽々とこなしてみせ、闘争心を煽るのも計算の上だった。そして飛葉は世界が考えていたよりも易々と彼の術中に堕ち、世界の課した課題を黙々と、着実にこなしていく。飛葉にとっては腹立ち紛れに消化する訓練ではあったが、飛葉は日に日に安定した操車技術を体得していく。手に取るようにわかる飛葉の変化は世界にとって新鮮で興味深いものであり、同時に当初は単なるビジネスでしかなかった飛葉の訓練は、いつしか自由という報酬を得るためだけのものではない、充実した日々に不可欠な要素へと変化を遂げていた。

◇◇◇

 およそ2週間にわたる訓練の成果が形となって現れてきた頃から、世界は基本走行訓練の他、射撃訓練に加えることにした。拳銃を自身の肉体の延長のように自在に扱うためには、ある種の筋力が要求される。そこで世界は朝食の後、飛葉の筋肉の具合を確かめることにした。

 シャツを脱いだ飛葉の上半身は10代の少年にしては、しっかりとしている。成長期の真っ只中だけに荒削りな部分は否めないが、不用意な筋力トレーニングをしていない、必要最低限だけ鍛えられた実用本位の見本とも言えそうな肉体は、鍛えようによっては射撃とバイクの操縦に理想的な状態に容易に整えられるだろう。

「お前、何歳になった」

世界が肩の辺りを掌で押さえるように確かめながら問う。

「もうすぐ17」

と、答える飛葉のふてくされたような表情が妙に子供じみて見えた。世界が苦笑を堪えているのに気づいた飛葉は、ますます頬を膨らませる。あまりに幼い飛葉の反応に、世界の胸中に微かな痛みが生まれた。だが今はそんなことに拘っている場合ではない。世界はあやふやな負の感情にはかまわず、飛葉に3kgのダンベルを一組渡し、射撃訓練の開始を告げる。

「両手を下に……それから腕を伸ばしたまま、前方向に向けてゆっくりと上げろ。腕と地面が並行になるまで持ち上げたら、10秒間静止させてから腕を完全に上まで持っていく。それから同じ要領で一旦10秒静止させてから下ろす。ダンベルを上げる時には鼻で息を吸い、下げる時には口で息を吐け。一定のリズムで100回。朝昼晩1セット、1日3セットやれ」

「こんなチャチなものを上げ下げしたって、大したトレーニングにはならなねぇぜ。もう少し重いのを寄越せよ」

「銃を扱うためのトレーニングだからな。銃とほぼ同じ重さのものを使うだけで事足りる。目標に正確に照準を合わせてから引き金を引くまでの間、銃口をぶれさせないために必要な部分を――つまり腕の動きを制御するための筋肉を鍛えたほうが命中率は高くなる。あからさまに鍛えられた筋肉は確かに素手での殴り合いだとか、瞬発力が必要な動作にはいいんだが、動的な機能ばかりが勝っているようでは照準が上手く定まらん。それ以上に静的な筋肉を鍛えておかないと、スナイパーとして使い物にはならんし、下手をすりゃあっという間に命を落とす」

ついさっきとはうって変わったような、いつになく神妙な表情で、飛葉は世界の言葉に耳を傾けている。

「どんな姿勢、どんな状態でも目標を正確に打ち抜きさえすれば生き残ることができる。そのためのトレーニングだ。捉えた目標を絶対に逃がさないために、常に敵に銃口を向け続けられるように鍛えておけ」

 飛葉は特に返事をしなかったが、その代わりとでもいった風に両手でダンベルを玩びながら表に出、先刻の世界の言葉に忠実な運動を始めた。


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