邂 逅 ―1―


 軽井沢に点在する牧場の一つ、最も山深い場所にある、見捨てられて数年は経過していると思われる牧畜農家で、世界は静かな日々を送っていた。

 2年足らずの拘留生活の間に、甘やかしていた身体と神経を覚醒させるためのトレーニングを繰り返す毎日は、灰色の壁の中にいた頃と変わらぬ静けさに支配されていたが、独房で暮らしていた頃とは比べものにならないほどの開放感と充実感を覚えた。

 五感が日毎に研ぎ澄まされていく様子が手に取るようにわかる。やはり自分には殺伐とした世界が性に合っていることを、やや自嘲的な気分で改めて思い知った。

 人が住まなくなって久しい住居は、打ち捨てられていた年数相応に荒れてており、農家に移り住んでからの数日間は水道やガス、電気などの生活設備関連の修理に追われた。井戸から水を汲み上げるモーターは錆びついて使いものにならなかったが、水周りと水源を繋ぐ配管が生きていたお陰で、生活用水の確保にはモーターの交換だけで事足りた。風呂は薪で沸かさなければならなかったが、裏手の山から薪材を集めるのは格好の運動になり、苦痛には感じられない。電気配線の破損個所に必要な処置を施し、新しいプロパンガスのボンベとゴムホースを買い付けてきて、台所のガスを確保した。長期保存が可能な食糧を大量に買い込み、訓練に集中できる環境を整えてからは、滅多に町に出ることもなかった。寝室と台所、そこに続く居間となっている部屋、浴室や便所などを気分転換がてらに掃除することはあるが、他の部屋は扉を開こうとさえ考えたりはしない。最低限必要なものだけしか持たない生活を長く続けてきた彼にとっての住まいとは、快適な日々を過ごすためにあるものではなく、休息と睡眠を取るためのもでしかなく、最低限の衛生管理と栄養管理が可能な設備が整っていれば充分だったのだ。

◇◇◇

 その日、世界は数本のドラム缶に手動ポンプを取り付けていた。

 バイクの収納庫代わりにする畜舎の中、外に面した場所にガソリンの入ったドラム缶を並べておけば、雨が降っていても給油の際に水が混入することはない。バイクを保管しておく部分には、雨で地面が弛んでも大事ないようにバラスを敷いてある。短期間の特訓に備えたにわかづくりの給油設備ではあるが、これだけの雨対策を施してさえすれば、少々の荒っぽい使用にも耐え得るだろう。

 冷たい小糠雨の降る中では射撃訓練をする気にもならず、この日、世界は朝からずっと7人のライダーの特訓の場にふさわしい設い(しつらい)を整えていた。仕事に必要な資材や人手を外部に発注できるだけの資金を預かってはいたが、自身の手に負える作業は自ら行うと決めていた。金が惜しかったわけではない。社会的リハビリを兼ねたトレーニングだけでは持て余してしまう時間を潰す格好の作業を、誰かに委ねる気にはならなかっただけだ。必要最低限のものを整えるだけならば、自給自足的な生活を営むサーカス育ちの世界には、取るに足りぬことだったことも幸いした。

 一通りの作業を終えた世界が畜舎に隣接する、工具類を放り込んである納戸から戻った時、遠くからエンジンの音が聞こえた。世界が目を凝らした方向には、白い乗用車とバイクが一台ずつ。彼はようやく来たかと呟きながら、数カ月ぶりの来訪者の到着を待った。

 「これは?」

車から降り立った草波が、ドラム缶を指した。

「間に合わせの給油施設だ。給油の度に町まで出かける時間が惜しい」

「なるほど」

「ガソリンを買おうと、近くの業者を当たったが、どこもいい顔をしない。こちらの素性が知れないこと、保管場所に危険物取資格者がいないことが引っかかるらしい」

「わかった。至急、手配しよう。それにしても、随分と手回しがいいな」

「性分だ。ところで、そのチビは何だ」

 草波の後ろに手持ちぶさたに立っている少年は、世界の言葉を聞くなり、あからさまに不満そうな表情を浮かべる。負けん気の強そうな大きな目と、減らず口がいくらでも出てきそうな口元が印象的な少年は、反抗的な目で世界を睨み付けたが、世界は全く意に介さない様子で受け流し、草波もまた、少年のことなどお構いなしに話を続けた。

「ワイルド7のリーダー候補だ」

その言葉に驚いた少年は目を見開いて草波を見、一方世界は呆れたと言わんばかりの表情を浮かべる。

「笑えん冗談だ」

「冗談などではない」

「このガキが?」

「おそらくメンバー最年少者になるだろうが、ただ者ではない。横浜最大の暴走族・イーグル団の元リーダーで、100人以上の不良どもを仕切っていた実績がある。悪さがすぎて少年院を出たり入ったり。少年院では脱走の成功回数の記録保持者だ」

「俺はガキのお遊びにつきあうためにムショを出たわけじゃない。それにケツの痣もまだ取れていねぇようなガキのお守りは、不得手でな」

草波は事務的な口調で、それも仕事のうちだと言い、

「名前は飛葉大陸。こいつを使えるようするのが、初仕事というわけだ」

と、言葉を続けた。世界は絶望的だと言わんばかりの溜息をついてから、ようやく飛葉の目を見た。

「飛葉……とかいったな。バイクは扱えるのか?」

「ああ、できるぜ」

「なら、話は早い。そのバイクを使って、向こうの柵まで微速で直進させてみろ。速度は時速5キロ以下を維持。帰りはスラローム。間隔は一定に、速度は時速20〜30キロを目処にしろ」

 世界が視線で放牧場との境界を示す木製の柵を示しながら指示を入れると、飛葉は自信たっぷりといった風情でバイクに跨る。キックペダルを踏み込んだ飛葉がアクセルを開くと、バイクは力強いエンジン音を轟かせた。

 ローギアのまま、飛葉がゆっくりとバイクをスタートさせる。低速で目標に進む飛葉の後ろ姿が徐々に小さくなるのを眺めがら、

「あれだけのバランス感覚を持つ人間は、珍しいだろう」

と、草波が言ったが、世界は

「バランスは悪くない。だが、安定性に欠けるな。妙なクセがある」

と、苦々しい口調で言う。

「あれはガキのお遊びだ。疎かにしたままの基礎をテクニックと反射神経だけでごまかしているに過ぎん。なまじ乗りこなしている分だけ、矯正に手間がかかる」

「手厳しいな」

苦笑混じりの草波の言葉に

「使い捨ての歩兵ならあれでも充分使える。だが指揮官となると、そうもいくまい。第一、今の奴にはとても命を預ける気にはなれん」

柵の手前に到達した飛葉は車体を滑らかに反転させ、短い間隔の波状の軌跡を描きながらこちらに向かう。手入れが充分ではない、牧草に覆われた地面は柔らかく、また所々で絡み合う枯れ草が塊となっているため、バイクは時折バランスを失しそうになりはしたが、飛葉は巧みなアクセル操作と重心の移動で車体の安定性を保つ。数メートル進み、草地の癖を飲み込んだ頃になると、バイクが大きく揺らぐことはなくなった。

「指導教官殿のお眼鏡には適ったのかね」

白々とした口調で、草波が軽口を叩く。

「アイツの訓練に専念できるのは、どれくらいだ」

「現時点では2カ月。訓練の合間に、残りのメンバーの決定のために少なくとも5度、ここから離れることになるが」

「ライディングの矯正とコンビネーションプレイ。それから射撃訓練だけでいいんだな」

「さしあたっては、それでいい。他に必要なものがあれば好きに追加しろ。まぁ、訓練中に取りこぼしたものは実践の中で身につけるのもいいだろう。少々手荒に扱ってもかまわん」

「それで使いものにならなくなったら?」

「代わりの人間を補充するだけだ。お前が気にする必要はない。訓練中に命を落とすようなことがあったとしても、それは単に飛葉がそれまでの人間でしかなかったということだ。実際、お前たち二人を見出すまでのテスト中に命を落とした人間は少なくはないし、ワイルド7が法の力の及ばない悪党どもを相手にする以上、どのような状況下でも生き残り、敵の喉笛に食らいついけるだけのものになってもらわねばならん。訓練中にドジを踏むような人間は、メンバーたる資格がない。それだけのことだ」

「それは、あんたの信念なのか」

「ただの現実だ」


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