モノローグ ―1―


 男はただ過ぎていくだけの日々を眺め暮らしていた。

 起床から就寝までの全てを管理された生活。週に二度の入浴と、週に三度の戸外での軽い運動の時以外、独房から出ることは許されない、24時間、監視カメラのレンズに晒されている生活は単調極まりないものだった。室内にしつらえてある簡素な洗面台で食器や衣服を洗い、拘置所側で検閲された新聞や書籍を読んだり、ほんの僅かな工賃のためにではなく、いつ果てるともわからない、虚ろな時間を埋めるためだけの軽作業の他には、することもない日々が続く。男はコンクリートの床の冷たさに冬の訪れを知り、風通しの悪い室内にこもる熱と湿気で夏の到来を知る。そして窓枠によって切り取られた夜空の星々に季節の移ろいを感じていた。

 彼の生活は単調極まりないものではあったが、特に不満などはない。やがて訪れる死の瞬間だけを待つ暮らしは、それまでの血生臭い生活よりもはるかに上等なものに感じられた。灰色の壁の中から生きて出ることの叶わぬ身ではあったが、人の命と引き替えに生き長らえる必要のない、もはや余命と呼ぶにふさわしい日々に安らぎのようなものを見出していた男は、彼の人生の中で二番目に幸福だと言える時を過ごしていたのだ。

◇◇◇

 訪ねる者など誰もいない筈の男のもとに一人の面会人が訪れたのは、氷雨の降る日の午後だった。通常の面会が行われている部屋ではなく、応接室の一室で男を待ち受けていた訪問者の、人を値踏みするかのような不躾な視線を敢えて無視し、男は革張りの椅子に腰掛けた。

「模範囚だそうだな」

眼鏡の奥に暗い光を宿した来訪者の視線を一瞥したものの、男は何も答えなかった。

「単刀直入に言おう。お前の殺し屋としての腕を買いたい」

「悪いが、もう昔の生活に戻るつもりはない」

少しを間を置いて発せられた返答は既に予想されていたのか、訪問者は口元を僅かにゆがめるだけの薄い笑みを浮かべる。

「少しばかり調べさせてもらった。初犯で逮捕された時は、組織の裏切り者に売られたんだったな。相棒が組織から捨て駒にされてしまい、敵対する組織との銃撃戦の最中に警察が踏み込んだ時、相棒を庇おうとして組織に潜入していた刑事にナイフを投げつけ、死に至らしめた。その際に負った限りなく偶発的な傷害致死に近い殺人罪、そして麻薬をはじめとする組織の収入源となる商品の運び屋としての余罪が加えられたため、判決は懲役15年。初犯だったことと少々の恩赦、模範的な服役態度が評価されたために刑期が短縮され、8年で出所。その後、一匹狼の殺し屋として裏の世界で生きていたが、それも3年ほどで終わる。どの組織も属さなかったことが幹部連中の反感と猜疑心を招き、再び周囲の人間に裏切られる形で、警察の手に落ちた。残忍無比な殺人者として死刑を宣告されたが、控訴を行わなかったため、第一審の判決が執行される日を待っている」

「……よく調べたな」

事務的な返事が空々しく室内に響く。

「お前は確かに殺し屋として大勢の人間を亡き者にしてきた。だが、その証拠を殆ど残してはいない。手口から同一犯によるものだと推察できなくないものもあったが、大部分は状況証拠――しかも、それは机上で行われた推理にすぎず、法的には何の役にも立たないものばかりで、警察も手をこまねているほかなかった。

 警察はお前を捕らえたかった。そして組織は外部に知られてはならない、数多くのご極秘事項を持つお前がお荷物になっていた。何事もないうちに機密の漏洩源を始末しようと考えた連中と、未解決の事件に関わっていると思われる人間を逮捕することでメンツを保とうと考えた警察の利害が一致した。そのために今、お前はここにいる」

目に疑惑の色を浮かべ、男は無礼な訪問者を見た。

「あんた……一体何者だ?」

「私は草波勝。一応、警察と呼ばれる組織に所属している」

「結構なエリートなんだな。面会日でもない日に、応接室に俺を呼び出せる程の権限を持つ……。生憎俺は、あんたを喜ばせるようなネタにもならなけりゃ、銃もナイフも持っちゃぁいねぇ。無駄足だったな」

「まぁ、待て。私はお前をケチな情報屋や鉄砲玉に使うつもりはない。それに……話にはまだ続きがある」

 草波と名乗った男は懐から出した煙草に火を点け、テーブルを挟んで対峙している男に勧めた。黙したまま微動だにしない男を一瞥し、草波はゆっくりと紫煙を吐きながら話を続ける。

 「組織はなかったことにしたい様々な厄介ごとをお前に押しつけ、警察は犯人を挙げる必要に迫られていた事件を解決するために取引をした。実際に手を下したものの数倍の罪を押しつけられたお前は、前代未聞の凶悪殺人犯に仕立て上げられた。
 立件には不充分な状況証拠には物的証拠が捏造され、法廷に立った検察側の証人たちも、おそらく用意された台本を読み上げたにすぎないはずだ。国選弁護士しか頼る者がなかったお前は有効な対抗策も立てられず――まぁ、この場合は国選弁護人そのものが警察の飼い犬のようなものだから、役に立ちはしないのだが――検察側の求刑通りに死刑判決が下った。死刑が確定した場合、生きる価値などないと自分で言っていた人間でさえ命が惜しくなり、大部分が控訴をするものだ。また例え本人にその気がなくとも、死刑廃止論者がお膳立てだのをしてくれる。だがお前は一審の判決に異論を唱えようとはしなかった」

「人を殺すことを生業としてきたことは、事実だ」

「確かに。だが、お前が手にかけてきた人間は皆、社会に悪をなす虫けらばかりだ。殺されたところで、文句を言う義理も権利もない」

 草波は煙草を灰皿に押しつけ、正面の男の目を見据えた。男の瞳には罪の意識や後悔の念がもたらす揺らぎや、殺人に快楽を覚える種類の人間に見られる、ギラギラとした光もない。挑発的とも言える草波の言葉を静かに受け止め、臆することなく返される静謐な眼差しは、男の強い精神力を雄弁に物語っていると言っても過言ではない。草波は一呼吸置いて言った。

「一つ、訊きたいことがある。お前は何故、濡れ衣を晴らそうとは考えない? お前の沈黙のお陰でのうのうとしている連中を、どう思っているのだ?」

「俺には生き延びる理由がない。だから動く気になれない。シャバの連中と関わり合いになるのも御免だ」

言葉とは裏腹に、男が自暴自棄に陥っていないことを視線から読み取った草波は言葉の続きを待ったが、男は黙したきりだった。


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