最強婿養子伝説 第壱拾八話

──by司書──


ようやく手に入れた二人だけの時間を台無しにする訪問者の声に朔は身じろぎ、
恥じらいから譲の腕の中から逃れようとした。
しかし譲は、それを許そうとはしない。それどころか朔を抱きしめる腕に力を込める。

「用件は、それだけですか?」
突然、眼前に突きつけられたも同然の朔と譲が抱擁する姿に、九郎はまさに茫然自失。
完全に我を失い、譲の声も耳に入らない。
「九郎さん……聞いてないんですね」
いや、九郎の耳に譲の声は届いてはいるのだ。
しかし、あまりに突然のこと、しかも慣れぬ状況を前に、手足が凍ったように動かない。
その現実に最も焦りを感じているのは、他ならぬ九郎自身である。
数え切れない程の戦場を駆け抜け、幾度も修羅場に臨み、
剣技で死線を乗り越えてきた自分自身に、相応の自信を持っていたはずだった。
しかし何気ない日常の中に、力が及ばないどころか文字通り手も足も出ない窮地に追い込まれようとは、
一度たりとも想像したことはない。
いや、それ自体が奢りだったのか……などと、
九郎の脳裏には走馬燈のように戦での様々なことが駆け巡る。
だが、それは今、この状況には全く役に立たない。
九郎はただただ惚けた姿で立ち尽くすばかりであった。

「あの……譲殿……?」
「あ、ごめん」
譲はほんの少しだけ腕の力を抜き、朔の目を真っ直ぐに見つめる。
「お菓子の味見のことも含めて、もう少しちゃんと話したい。
 その……色々と聞かせて欲しいんだ……朔の、ことを」
「ええ……私にも教えてくれますか? 例えば……譲殿の好きな……色とか……」
「もちろんだよ。じゃぁ、行きましょう。ここには九郎さんがいるから」
「そうですね」

九郎には一瞥もくれず、二人は厨を後にした。
「後は適当によろしく」という言葉だけを残して────。

火が消えぬよう、九郎は一人、竈の前にいた。ただ、己の未熟さが不甲斐ない。

──どのような事態においても決して自分を見失ったりせぬよう、自己研鑽を重ねてきた筈が、どうだ、この体たらくは!

膝の上で握られた拳に、思わず力が入る。

──修行が足りんにも程がある。つくづくと、自分はまだまだ人の上に立つ器ではないのだ。

京を任されているとは言え、今や国の覇者となった兄・頼朝との間の溝を、
未だにうめられないのは己の未熟さえ故なのだろう。
これが戦場であれば、いくらかの役にも立てようものを────!!

“ボクッ”

苦悩に苛まれる九郎の背に、無遠慮にして幾ばくかの親しみを感じる衝撃が走った。
九郎が振り向くと、ヒノエが佇んでいる。

「朔ちゃんはどうした? 譲は? おい、九郎。首尾はどうなんだ?」
「すまん、俺にもよくわからん」
「はぁ?」
「進言はしたんだ、進言は。だが……その……」
まるで証の茹で蛸のような顔で、しどろもどろに答える九郎の姿に、ヒノエはおおよそのことを察した。
大方、良くも悪くも取り込み中の二人の前に、空気も読まずにずかずかと現れた揚げ句、
置き去りにされたのがいいところだろう。

「何だよ、ハッキリ言えよ、九郎」
「む……その……」
益々赤くなる顔を眺めながら、ヒノエは溜息をつく。
「まぁ、だいたいのところは分かるけどよ……っとに使えねぇな、お前は」
「力不足は今、身に染みていたところだ……」
「戦しか能がねぇようじゃ、どうしようもねぇだろう。この先、どうする?
 そろそろ戦だけじゃぁ、渡っちゃぁいけねぇぜ?
 公家の狸共を化かせるとは思えないな、今のお前じゃ、な」
「分かっている……!!
 鎌倉の兄上もきっと、俺の不甲斐なさを歯痒く感じておいでだろう……」

常の勢いはどこへやら、力無く肩を落とす九郎を前に、ヒノエは内心驚いていた。
ちょっとしたからかいの言葉も真に受けて憤慨したり驚いたりと、
決して自分を飽きさせない九郎が意気消沈したっきり。しかも、隙だらけの有様で。
これはこれは、飛んで火にいる夏の虫。或いは葱を背負った鴨か。
いずれにせよ、九郎をからかう絶好のチャンスであることに間違いはない。
気取られぬようにほくそ笑みながら、ヒノエは九郎に言った。
「ったく、しょーがねーなぁ。俺が女の扱い方、教えてやるよ」
「ちょっと待て。どうしてそこで女人が出てくるんだ!」
「女の方が扱いが難しいだろ?
 て、ことはだ。女をうまく扱えるようになれば、男連中は心配ないってことだ」
そうだろうと問うヒノエの言葉に暫し考え込んだ後、九郎は答えた。
「うむ、それも道理だ。ヒノエ、恩に着るぞ。
 是非とも、熊野の頭領たるお前の人心掌握術を伝授してくれ」


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