あどけない空の色 1


 山を登る時は、ひたすら足下を見ているべきである。上を臨みながら登ると、あまりにも遙かな距離に絶望し、登る意欲を失ってしまうのを防がねばならないからと、多くの人は言う。けれど山田一郎は、頂上までの道程を眺めながら登る。幾つかの小さな頂を超えても遙か遠くにある頂上に向かう。ただそれだけのことに胸が躍ったし、2000メートル級の峰に輝く根雪はただただきれいで、登山路の険しさも気にならない。それどころか険しい分だけきれいに見える気がするくらいで、他人にとってはタブーのそれも、山田には山に登る楽しみの一つとなっていた。

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 山田に山登りの楽しさを教えたのは、母親と二人暮らしをしていたアパートの大家だった。

 看護師として母子二人の暮らしを支える山田の母親は忙しく、総合病院勤務故に三交代のシフト勤務という不規則な生活が続く。交換日記など、母親は様々な手段で親子のコミュニケーションを図っていたが、夜勤の時には人の好い大家が幼い山田の面倒を見てくれた。

 酒屋の三代目の大家は父の代わりとしては年嵩で、祖父の世代よりも若い賑やかな人間で、忙しい山田の母親に代わって、休日になると里山や郊外の雑木林に山田を連れ出した。山に行く時は、弁当も自分で作る主義だと言っていた彼はリュックサックに大きな握り飯を幾つかと、熱いほうじ茶を魔法瓶に詰めるのが常で、時には山田の知らぬ間に携えた小さなコッヘルで湯を沸かし、カップラーメンを作ってくれることもある。夏には凍らせた缶ジュースを魔法のように取り出してみたりする彼は、山田にとって面倒を見てくれる親切な大人というよりも、自然の中でささやかな楽しみを共有する仲間のようだった。向こうも山田を子供扱いせず、年下の友人のように接してくれていた。

 小学校の高学年になると、二人で中国山脈や四国山脈にまで足を伸ばした。山田は長い休暇になるとせっせと貯めた小遣いやお年玉を大家に預け、大家はその金額で賄える登山プランを立てた。中学生になると、山田は酒屋の手伝いをしていくらかの小遣いをもらい、それを登山に使うようになった。いつしか山田が体格でも体力でも大家を上回るようになっても彼らの山行きは続き、山田の高校進学直前に大家が病で急死してからは、山田一人で山に登った。

 山田の母親は、山に単身で出かける息子に対する苦言を口にしたことはない。唯一度だけ、山や海での遭難事件でどれだけの人間が捜索や救助に赴き、その費用や充てられる人員数、そして家族や周囲の者達がどんな思いで無事を祈るのかを、そして不幸にも命を落とした人間の遺体の様子や、それを目の当たりにした近しい人々の嘆きを淡々と、医療の現場で働く者の一人として語った。ご丁寧にも彼女は、恐らく目にするのは専門家くらいのものであろう資料写真のコピーまで用意していて、遭難事故の現実を目の前に突きつけられた山田は母というよりも、看護師からの忠告を遵守することになる。もとより無理や無茶をしてまで頂上を目指す程の執着がない山田にとって、遭難という最悪の事態を回避するために登山計画を変更するのも中止するのもたいした問題ではない。

 暇つぶしの一つでしかない山行きを取りやめても、他に面白いことはいくらでもある。バイクでどこかに出かけてもいいし、天気が悪いのなら手の込んだ料理を作ればいい。水族館や植物園に行けば一日楽しめる。部屋で図鑑を眺めるだけでも充分有意義なわけで、特に山行きに固執する必要はないのだ。

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 ゴツゴツとした岩に足を取られないように歩みを進めながら、山田は何故、自分はここにいるのだろうと、ぼんやりと考えている。

 大気の状態が安定して、気になる前線や気圧の谷もなく、二〜三日は安定した晴天が続くだろうという山田の判断は正しかったのだが、好天が過ぎて春とは思えないほどだ。そう言えば、ここ数年は春と夏の訪れが早く、秋はむやみにのんびりとやってきて、呆れる程早く冬になって、冬は冬であっという間に終わってしまう。これも地球温暖化の影響なのかと思い、こんな初夏のような陽気の中で春の山を登らねばならない理不尽さを、山田は胸の中でだけ嘆いてみる。

 天気が変わりやすい時期だからと、長袖を着てきたのが間違いだ。途中で一枚脱いでみたけれども、あまり涼しくはならない。雨が降れば少しは涼しくなるだろうが、そうなると足下が緩んで面倒になる。こんなに気温が上がるのなら、海に潮干狩りにでも出かけた方が良かったかも知れない。少し季節は早いが、浜で掘り当てたアサリか何かで味噌汁でも作れば、コンビニおにぎりだけの食事も豪華になるはずで、岩に張り付いた海藻の、食べられるものを集めてさっと湯がいて、ポン酢で食べても美味かったのに。

 高校生の頃に買った小さなストーブは今も健在で、二人分の食事を作り、更に食後のコーヒーを入れてもまだ余裕があるし、うまく使えば三人分の食事をまかなうこともできる。同じ山でも、少し遠出するだけの里山にで、芽を出したばかりの山菜を天ぷらにしてもよかった。

 山田は足を止めて周囲を眺めた。今まで点在していた高山植物の群れはなく、ゴツゴツとした乾いた岩肌が続いている。春休みとは言え、平日のお陰でそれ程混雑してはいない。夏休みになるとどこに行っても登山客が溢れていて、どうにかすると細い登山道を行列しながら進まなければならないため、山田はできるだけ人出の少ない時期を選んでいる。夏休みの富士登山など、日曜の繁華街に引けを取らない程に混雑するし、日本一高い山に登る異議が見出せないこともあり、断れない付き合いで出かけたくらいだった。

 今、訪れている日本アルプスも夏休みともなると大勢の人が訪れるのだが、それでも複数のルートがある分だけ登山客は分散し、少なくとも列をなして先に進まなくてもすむ。ただ上を目指すだけでも心身共にかなり消耗するというのに、人の波に揉まれて必要以上に疲れるなんてゴメンなのだ。だいたい、こんな山の中に人が大挙して訪れること自体が大間違いで、人間の集団から一時離れたいとか、何も考えずにぼんやりしたいだとか考える偏屈だけが来ればいいわけなのに、山田が一人で山に登るようになってからは、どうも自然だけでなく周りの人間にも気を遣わなくてはならなくなっていて、それがどうにも億劫である。

 山田自身は重度の人嫌いではない。だがそれでも時折、何も考えずにぼんやりとしたくなることがあり、そんな時にはできるだけ高い山に登ることにしていた。高いところに行けば、日常の喧噪から逃げられるのではないかと思いついたのが、学生時代。遠出できる長い休みの間は人の多さに辟易し、ある程度、時間が自由にできた大学時代はできるだけ人の少ない時期を選んだため、かなり快適な登山ができた。特にゼミや大学院のフィールドワークは、上手くすると一般人などは踏み込めない特別な許可が必要な場所への立ち入りが許されたりするため、また、荷物を運んだり食事の用意や雑用は山田の得意とする分野でもあり、故に登山の経験と技術と体力のみを教授陣に見込まれて迎えられた山田は、貴重な自由時間を散策に充てることができたのだ。

 自然の気配しか感じられない空間は、そこに豊かな緑が拡がっていようと、一見不毛な岩場であろうと、山田には心地よかった。ただぼんやりと、飽きるまで目の前でうつろいゆく風景や、何時間経っても変わらないものたちに漠然とした視線を送り続けるのは、ひどく贅沢な時間に感じられる。それが病みつきになり、社会人となってからも山田は暇ができると山を目指した。高かろうが低かろうがこだわらず、ただ人の気配が殆どないような場所を選んでは、他人から見ればただ無為な時間を過ごす──それが山田の山行きの楽しみであり目的であることは、社会人となってからも変わることはない。

 ただ、最高学府で教鞭を執る擁護者を失った今では、仕事の合間を縫って山に出かける他なく、そうなるとどうしても動ける期間や範囲は限られてしまう。故に山田はできるだけ他の登山客との交流を避けながら、できるだけ静かな場所をひたすら目指すことになるわけで、この日も昔のことをぼんやりと思い出しながら、そして登山道入り口付近の人の群に幾ばくかの呪いの言葉を心中で軽く呟き、ついでにやたらに良いお日和の原因らしき地球の温暖化について軽く罵ってみる。それに飽きたら高山特有の植物群で目を休ませて、英気を養う。歩くことそのものにも飽きてきたら小休止を取り、進まない時間が手持ち無沙汰になれば、また歩き出す。その繰り返しで一日が終わり、長年にわたって訪れた登山客のために汗臭くなった山小屋の一夜を過ごすのだった。


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