許されない愛1

 風来坊と渾名された男が足跡も残さずに姿を消した。

 青雷と呼ばれた青年の姿も掻き消えた。

 その噂を聞いた北の辺境の町でグレミオは足下が崩れ落ちるような感覚を覚えた。しかしグレミオが命を賭けて守ると誓った少年は、彼以上に強い衝撃を受けているのが容易に知れる。瞳は見開かれたまま、きつく結ばれた唇からは血の気が失せ、震える肩は痛々しい。所在なげにテーブルに置かれていた両手にそっと、グレミオは自身の掌を重ねた。

「大丈夫ですよ、ぼっちゃん」

今にも泣き出しそうな表情で、少年がグレミオを見る。

「フリックさんとビクトールさんは私達と同じように旅をしてるんですよ。そう……最後の戦いの時、坊ちゃんを城の外に出すために中に残った二人はきっと一緒にいて、今頃は気ままな旅暮らしを楽しんでいるはずです」

「どうして、そんな風に言えるのさ」

「さっきの商人の話では、二人の遺体はなかったでしょう? だから二人は無事なんです。それにビクトールさんは天変地異が起きたって、最後まで生き残るに決まってますよ。あんなに図々しい人が簡単にいなくなるなんて考えられますか? ねぇ、坊ちゃん、そうでしょう? フリックさんも一緒でしたから、ビクトールさんはフリックさんを引きずって城から抜け出して、そのままどこかに行っちゃったんですよ。戦争が終わったら、今度は国造りが始まります。色んな手続きだとか事務処理なんて、あの二人はきっと大嫌いですよ。だから混乱に乗じて逃げ出したんでしょう」

少年の瞳の中の同様が僅かに薄らぎ、グレミオは彼の言葉が少年の心を僅かでも軽くすることに成功したのを知り、心の中で安堵の息をつく。

「そうかな……」

「そうですとも。このグレミオが言うんですから間違いはありません」

「そうだといいけど……」

「グレミオが坊ちゃんに嘘をついたことがありますか? ないでしょう?」

「そう……だね」

「ええ、だから大丈夫です、きっと」

「うん、グレミオ」

不安を完全にぬぐい去ることはできないことはわかっていた。それでも言葉にせずにはいられない。少年のために紡がれた言葉――それは彼自身のためのものでもある。生きていてほしいと願う気持ちが言葉という形を借りただけの、ただそれだけの不確かなものでしかない。それでも他者と分かち合うことで、願いを込めた言葉が現実のものになるのではないか。一瞬胸を占めた幼い思いにグレミオは己の身勝手さに呆れながらも、根拠などない可能性に賭けてみたかった。祈りが『言の葉』という魂に似たものに変じた時に起きる奇跡を、この時だけは信じたいと心から思ったのだ。

◇◇◇

 それから3年の歳月が過ぎた。旅暮らしは良くも悪くも変化に富んでいるため、少年とグレミオを退屈させることはない。過酷な自然は二人の心身を鍛え、穏やかに広がる青空は少年の心の澱を――例えそれが僅かずつでしかなかったとしても――溶かしていくには充分だったし、解放戦争の前と全く同じというわけにはいかなかったけれど、時折グレミオは瞳の中に明るさの片鱗を見つけるようになったことを心から喜んでもいた。

 グレッグミンスターから峠を一つ隔てたバナーの村に逗留しようと言い出したのは、少年のほうだった。雨の夜、反逆者として追われるように故郷から逃げ出して既に5年を数える今、里心がついたのかも知れないとグレミオは思う。未だ生まれ育った街に戻ることはできないが、少しでも近くに行きたいという少年の気持ちを察したグレミオは、何も言わずにバナーの村の宿屋で相変わらず少年の世話を焼き、彼らの正体を誰にも悟られないよう周囲に気を配り、時折少年の視線を追い、共に山の向こうの町へと共に思いを馳せたりしていた。

 少年が川で釣り糸を眺め、その背中をグレミオが見守っていた時、彼らの静かな生活は終わりを告げた。

 ハイランド王国と刃を交える新同盟軍のリーダーが、トラン共和国との同盟を結ぶためにグレッグミンスターに向かおうとした際にバナーの村で休息を取った。その後、グレミオと少年が逗留している宿の子供が山賊にさらわれ、あれよあれよという間に少年とグレミオは誘拐された子供の救出作戦に参加し――というより、金品目当てで子供を誘拐した卑劣な山賊に激怒したグレミオに引きずられるように新同盟軍一行と二人は行動を共にすることになったのだが、それはトラン解放戦争での戦友との再会を意味してもいる。山中でモンスターの毒気に当てられた子供の治療はグレッグミンスターでしか行えない。それ故、グレミオと少年は再び故郷の地を踏んだ。

 何も告げずに姿を消した二人を責める者は誰一人なく、解放戦争が終わってからマクドール家の家屋敷を守り続けてきたクレオも二人の無事を手放しで喜ぶような有様で、皆の満面の笑顔に罪悪感を覚えながらも、ようやく我が家に戻ったのだという安堵感に胸が満たされもした。

 マクドール家には若い主とグレミオ、クレオとパーン、それから新同盟軍一行が投宿することになり、グレミオはかつてのように皆の空腹と疲れを癒す晩餐の用意に取りかかる。新同盟軍のリーダーは、同じ年頃のグレミオの主人に心酔しているらしく、傍を離れようとしない。その傍らには明るい笑顔が印象的なナナミ、トラン共和国大統領の子息のシーナ、相変わらず腐れ縁が切れそうにないフリックとビクトールらと食卓を囲んでいるだけで、かつての日々を取り戻せたような錯覚に陥る。真の紋章の宿主を除く人々の中で流れた歳月は姿形の、それぞれの年齢に見合った変化が辛く感じられた。特にシーナの見違えるような成長ぶりは、流れた年月の残酷さを眼前に突きつけるようで、グレミオは再会を喜びながらもその姿を正面からとらえることができないでいる。

 かつて英雄と呼ばれた少年と、今、故郷の平和を祈りながら戦う新同盟軍のリーダーとその義姉、シーナの4人は気が合うのか、他愛のない会話を続けていた。グレミオは久しく聞くことのなかった少年の明るい笑い声に安堵し、顔馴染みの友人達との語らいに幸福を覚えていた。


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