木村徹先生の、ピアニストを志す者への手紙第2弾です☆
楽譜から「音楽」を聴きとる。人間はすべてのフレーズ、フレーズの中の音に平等に感動するわけではない。あたりまえのところと特に感動するところをよく感じ考え、人間が何に感動するのか分析する。
まず自分で感じたりわかったりしていないことが、人から教えられたりまねしたりしてそれらしくできても意味がないが、わかっていてもできない(できないけれどわかってはいるんだけど)というのも意味をなさない。充分に感じ理解したものが実現できているのを確認する。 テクニックとは音楽が要求していること(自分の心のなかになっているもの)を自在に音にして伝える能力であって、単に間違えないで弾くとかいうことではない。(もちろんやたら不正確ではテクニックがあるとはいえないし、不正確ということは音楽がくずれていることだ。) いつも理想的な音で演奏するように。(もちろん練習中も。)理想的な音というのは曲のその音に即した音ということで無限に種類があるのが当然で、一種類または数種類の「良い音」の出し方をマスターしといてそれをあてはめればよいというものではなく、もっと想像力を伴う創造的な行動である。 でかい音が楽々響かせられるというのは重要なことだ。音楽では消え入らんばかりの最弱音も大切だけれど、演奏家としては最小の労力でいくらでも大きな音を響かせることを研究するのは、自分の音楽のスケールの大きさにもかかわる最優先課題のひとつである。聴いている人は、演奏している人の心のなかの音楽的な盛り上がりがなく、手だけ暴走して大きい音を鳴らし続けるとやかましいと感じるが、演奏者がほんとうに熱烈に感動を伝えようとしている気持ちに一致している保証があれば、音量の増大は感動の増大につながる。 「ゆっくりの練習をし過ぎるな」。ゆっくりの練習ではしばしば頭を空っぽにして指だけ動かしだんだんその「動作」に慣れて指がまわるようになってくるのはいいが、耳は、頭は、心は全然そのテンポについていってない。要するに見かけのうえで速く弾けるようになったものの演奏している本人がそのテンポでは聴けていないという無責任な事態がおこりがちなのである。「ゆっくりの練習をするな」と言っているのではない。ゆっくりからだんだん速度を増すときに耳と頭と心がそのテンポについていく訓練を忘れない。(というよりも)心がその速度を導き頭が指を動かし耳はその出た音を確認し感動する。しかし内なる耳は弾くより先にその音をとらえていることが重要である。 |