教授のヴァイオリン


 ある日の昼下がり、パパとママは隣町におでかけし、ミリオンはひとりで退屈なお留守番をしていました。
 ミリオンがお昼寝でもしようかしら…と可愛いあくびをした時に、誰かがドアをノックする音が聞こえました。
「はぁい、だれー?」ミリオンはドアに駆け寄りました。
 すると「わしじゃよ。ミリオン」と聞き慣れたライヤー教授の声がします。
「あ! 教授だ。いらっしゃい。よく僕んちがわかったねぇ」
 ミリオンはドアを開けて、ライヤー教授を中へ招き入れました。
「ふむふむ。パパもママもいないね。ちょうどよかった」教授は部屋の中を見ながら言いました。
「え、よかったってどうして?」ミリオンは不思議に思って尋ねました。
「ミリオンや。お前さんに頼みたいことがあるんじゃよ。すまんがわしの家に来てくれんかね?」
「僕、お留守番を頼まれているんだけど…」ミリオンは困って言いました。
「わかっとるよ。そこを折り入っての頼みじゃ。大丈夫。パパとママが帰ってくる前にちゃんと戻ってこられるようにするから…」
「パパとママが、帰る前に?」
「そうじゃ、約束する」教授は、本当に困っているようでした。
 ミリオンはちょっと考えてから「…ん。わかったよ」と、答えました。

「頼みたいことって、なんなのさ」
 教授の家に来たミリオンは聞きました。
「これを見ておくれ。ミリオン」そう言いながら、教授は新聞をミリオンの前に差し出しました。
 新聞にはたくさんの事件が載っていました。
「えーと…、なになに…。腸詰街のハラキリ広場で顔のない女現わる…」
「違う、違う。わざわざそんな下の小さな記事を見ないでもいいだろうて。その上じゃよ。ほらこの記事」
 教授は問題の記事を指差しました。
「あれ? この近くでドロボーが出たの? 何件も?」
「ああ、それで困っておるんじゃ」
「えっ! 教授も何か取られちゃったのー!?」ミリオンは驚いて聞きました。
「ちがうんじゃよ。ミリオン。そのドロボーとは、わし…」
「ああ! 教授!」ミリオンは叫びました。
「いつも悪人タイプだと思っていたけど、やっぱり! やっぱり悪い人だったんだね!ひどいよ。人の物を盗むなんて…。
 僕になにを頼むっていうんだい! 嫌だよ。僕はドロボーの片棒なんて担ぎたくないよ」
「こ、こりゃ、ミリオン。人聞きの悪い…。話は最後まで聞くもんじゃ。わしも困っておると言っとるだろう。
 そのドロボーとは、多分わしの腕なんじゃ」
「何が違うのさ。教授がドロボーするんでしょ?」
「違う、違う。わしの意志ではないんじゃ。腕が勝手に悪さをするのさ」
「何言ってんの、教授。やっぱり教授がドロボーするんじゃない!!」ミリオンは手足をバタバタさせて言いました。
「わからないかね。ミリオン」そう言って教授は、右手で左腕を肘から外しました。
 ゴトリ…と鈍い音がして腕が落ち、次の瞬間しゅるるるっと床を這いずり回って飛び上がると、ミリオンの髪をペロリと撫でました。
「あわわっ、わわっ」ミリオンは、びっくりして思わずしりもちをついてしまいました。

「つまり……、こういうことなんじゃよ。我が輩はある日、あんまり天気がよかったので、日頃酷使しているこの2本の腕をじゃな。
 日向ぼっこさせておったんじゃよ。腕もきっと気持ちがいいだろうと思ったのさ。それで、夕方に取り込もうと思って見たら、
 もう影も形もなくなっていたんじゃ…。それからしばらくしたら、この騒ぎじゃ…」
 教授は寂しそうに言いました。
「あのー…、教授。腕がどこかにいっちゃったっていうけど、それじゃ、これは何?」
 ミリオンは、わらわらと動く左腕を押さえながら聞きました。
「ああ…、それはな。スペアじゃ」
「………あ、そう。ほんと器用な人だね、あなた。この前は目と口と耳だったし。だけど教授の腕がドロボーしてるって
 ちゃんと確かめたの?」
「ああ…、信じたくはないが、この目で見た。この間な。パン屋のパンを盗むところをな」
「ふうん…。腕だけなのに、どうやって食べるんだろうね…」ミリオンは呟きました。
「うん? 何か言ったかね? ミリオン」
「なんでもないよ。それで僕に頼みたいことって?」
「ああ、そのことじゃ」教授は、左腕を元に戻しながら言いました。
「逃げて行った腕を捕まえたいんじゃ。手伝ってくれんかね?」
「それはいいけど…。でもどうやって?」
「そうさな。まず…」
 そう言って教授は、小さなヴァイオリンをミリオンに手渡しました。
「なにさ。これ?」
「これを弾いて欲しいんじゃ」
「ええっ、こんなの僕、弾けないよ。それに手を捕まえることと、どういう関係があるのさ?」ミリオンは困って言いました。
「このヴァイオリンは、呼ぶものじゃよ」
「呼ぶもの?」
「ああ、そうじゃ。呼ぶものじゃ。それにこのヴァイオリンは不思議な物でな。頭に思い描いた音を奏でるんじゃ。
 だから弾けなくても、メロディーを思い浮かべれば指が勝手に動いてくれるのさ」
「ふーん…。だったら教授が弾いたらいいじゃない?」
「わしが弾いてたら捕まえる奴がおらんじゃろ。それにスペアの手では、どうも馴染みが悪くてな。なかなかうまくはいかん。
 さてミリオン。ちょっと練習してみようじゃないか」
 教授は、椅子から立ち上がって言いました。

 夕闇がうっすらと射し込んで、東の空に大きな満月が浮かんでくる頃、街から少し離れた丘の上の1本の大きな木の下に、
 ミリオンと教授は来ていました。
「さてと、ミリオンや」教授は手に一抱えの網を持って言いました。
「なぁに? 教授」
「ここで、さっき練習した曲を弾いて欲しいんじゃ。できるだけ楽しくな。わしはこの木の上にいて、手のやつが来たら
 捕まえるとしよう」
「うん。わかったよ。でも大丈夫かなぁ…」
「なぁに、ミリオンは知らん顔をして弾き続けてくれればいいんじゃよ。捕まえるのはわしの役目じゃ。じゃあ頼んだぞ」
 そう言って、教授はゆっくりと木に登り大きな枝の上に座りました。

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