湯気の向こう


 飛葉大陸はワイルド7の最年少メンバーにして、そのリーダーを務めている。法律の網をかいくぐり、のうのうと悪事を働く悪党どもと対峙する時、彼は野生の獣のような獰猛な炎をその瞳にゆらめかせ、残酷なまでの冷徹さで裁きを下す。常に敵の先手を打ち、確実に追い詰める飛葉と6名のメンバーは、これまで築いてきた悪党どもの血濡れの屍の山を示すことにより、この世のおおよその悪党どもから恐れられている存在となった。中でも飛葉の狙った獲物を確実に打ち抜く射撃と、卓越したオートバイの操縦テクニックはメンバー随一である。だからこそ、十代の若さでワイルド7を率いることができるのだ。

 しかし、任務を離れた飛葉は、その風貌こそ少々胡散臭い感を免れることはできないものの、どこにでもいる、間もなく青年期を迎えようとしている一人の少年に過ぎない。

◇◇◇

 飛葉はその日、土鍋を買った。2月も半ばを過ぎた頃には、あちこちの商店で冬物を叩き売るものである。その土鍋も、そういったものの一つだった。

 一仕事終えた彼は久々にうどんを作ろうかと思い立ち、下宿の近くの商店街に足を向けたのだが、1軒の陶器店の前でふと足を止めた。そこでは土鍋が定価の半額で売られていた。薄い灰色の地色に白い小花が散らされた鍋は、飛葉を懐かしい気分にしてくれる。彼はしばらくの間黙って鍋を眺めた後、それを買うことにした。

 それから飛葉は八百屋に向かった。鍋に入れる白菜と春菊を買うつもりだったのだが、男の一人暮らしでは丸々一つの白菜を食べきるのは難しい。半分に切ったものを買うにしても、それを食べきるまでに腐らせてしまうことは容易に想像できた。外側の大振りの葉が4〜5枚もあれば、飛葉一人分には充分すぎるほどだ。しかし、そんな買い方ができないことは分かり切っている。彼は数十秒の逡巡の後、白菜を半玉、1輪の春菊と生椎茸を1盛りとネギを買った。そして鶏もも肉を3枚買い、うどん玉を4つ買い足して下宿に戻った。

 冷蔵庫にあったはずの人参はすっかりひからびてしまい、使いものにならなかった。しかしそんなことは大勢に影響はない。何よりも大切なのは出汁だ。彼は鰹節を棚から取り出し、シュシュと軽快な音を立てながら削り始めた。そして一人暮らしの男が持つには明らかに大き過ぎる鍋の中で煮えたぎっている湯の中に入れ、薄い削片が湯の動きに合わせて動く様子を注意深く見つめている。頃合を計り差し水をすると、つい先刻まで沸騰する湯の中で激しい乱舞を見せていた削り鰹の動きがゆったりとしたものに変わる。数分後、再度沸騰する直前に火を止めて布巾で漉す。この時、布巾を絞ってしまうと雑味が出てしまうので、気長に旨みの最後の一滴が落ちるまで待たなくてはならない。

 飛葉は奥の四畳半の和室に置いてある目覚まし時計で時間を確かめ、鍋と布巾をそのままにして下宿を出た。

◇◇◇

 飛葉の仲間の溜まり場となっている『ボン』の店内をガラス越しにうかがってみたが、中にいるのは見知らぬ客ばかりだった。仕方なく彼は、『ボン』から歩いて数分の場所にあるガレージへと足を運んだ。

「よっ、八百、オヤブン」

中では二人のメンバーが詰め将棋をしていた。

「よう、飛葉じゃねーか」

「どうした、帰ったんじゃなかったのか」

飛葉は二人のそばに行き

「帰ったことは帰ったんだけどよ、ちょいとあんたらに用があってな」

「なんでぇ、その用ってのは」

オヤブンが将棋盤から目を離さずに言う。

「お前ら、今日の晩飯どうするかって思ってよ」

「悪いな、飛葉。俺はこれからゆう子ちゃんとデートだ」

飛葉の言葉に八百が、やはり将棋盤を見たまま言った。そしてオヤブンは

「俺は昔の舎弟が寿司屋を開いたもんだからよ。開店祝いがてら寿司食いに行くんだ」

「それまでの時間つぶしにな、二人で勝負してるってわけよ」

と答える。

「だったら、こんなとこでしなくてもいいだろ! とっとと帰って支度でもしてやがれ! 紛らわしいこと、すんじゃねーよ」

と、飛葉は二人に八つ当たりも同然の言葉を投げつけ、わざと二人の耳に聞こえるように舌打ちをし、さも面白くなさそうな態度でガレージを後にした。残った八百とオヤブンは全く飛葉を意に介さぬ様子で、勝負を続けていた。

◇◇◇

 次に飛葉が向かったのは世界のアパートだった。ワイルド7の最年長メンバーの世界の部屋は、『ボン』から飛葉の下宿にへ向かう途中にある横道を入っていけばいい。まっすぐに下宿に戻るには少々回り道になるのだが、裏道を使えば飛葉の下宿まで歩いて15分少々といった距離だ。そのため飛葉は、任務のない時、暇を持て余している時などに世界に声をかけることが多い。そして世界はまず、飛葉の誘いを断ることがなかった。だからつい、足を向けることになってしまうのだ。

 低い塀に囲まれた2階建てのアパートの1階最奥の部屋のドアを飛葉が叩くと、世界が顔を出した。

「飛葉。またお前か」

「よっ。世界、晩飯食いに来いよ」

「また、うどんか」

「うどんじゃねーよ。どうせ、暇なんだろ? 早くしろよ」

そう言って飛葉はニヤニヤと笑いながら、ドアの外で世界が出てくるのを待った。世界は仕方がないとでも言いたそうな表情を浮かべ、小さな紙袋を手に部屋から出てきた。

◇◇◇

 飛葉の下宿のドアを開けた途端、鰹出汁の良い匂いが鼻孔をくすぐる。

「……おい、飛葉。これはうどんの汁の匂いじゃねーか。お前さっき、うどんじゃないって言ったろ」

「ああ。うどんじゃなくて『うどんすき』だ。旨いぜぇ」

世界は呆れ果てた顔で飛葉を見下ろし、大げさな素振りで溜息をつき、

「人をかつぎやがって……。似たようなもんじゃねーか」

と呟くのだが、上機嫌の飛葉は世界の様子を気にする風もない。世界は奥の和室に向かう途中、水屋からグラスを取り出した。そして和室の隅に置いてあるちゃぶ台を部屋の中央に据え、持参したバーボンを飲み始める。一方飛葉は出汁を張った土鍋をガスにかけ、鶏肉や白菜の軸の部分から先に放り込む。次にガス台の下の扉を開き、電気コンロを引っぱり出して世界のいる和室に入った。

「お前……なんでそんなものまで持ってるんだ?」

と、飛葉がちゃぶ台の上に置いた電気コンロを見た世界が問う。

「あんたンとこが、何もなさすぎなんだ。急須もねーじゃねーか」

からかうような飛葉の口調に、世界はむっつりと黙り込んだ。

「もうちょっとで食えるからよ、待ってろ」

飛葉はそう言い残すと台所に戻り、土鍋に残りの材料を放り込み、一煮立ちするのを待ち、土鍋を和室にある電気コンロの上に乗せる。次にいくつかの皿の上に乗せた野菜や鶏肉を持ち込み、箸と取り皿をちゃぶ台の上に並べた。

 電気コンロのニクロム線の赤みが充分に増してから更に数分後、飛葉が土鍋の蓋を取った。白い湯気がもうもうとたち上る。

「どうだ、世界。旨そうだろ?」

飛葉が誇らしげな表情で言った。

「ああ」

世界の短い答に、飛葉は少々脱力する。日頃から表情を変えることが少なく、どちらかというと無口な男だということはわかっていたが、もう少し嬉しそうな顔をしてもいいのではないかと飛葉は思うのだが、他のメンバーのように飛葉の誘いを断らなかっただけでも、マシだと考えることにした。他の者も来ると見込んで買い込んだ、三人分はゆうにありそうな食材を食べきることは、たとえ食べ盛りとは言え、飛葉一人ではできそうにもなかった。一人で鍋をつつくのは、あまりにも侘びしい。むさ苦しいと言えなくもないヒゲ面の男と差し向かいということが多少気にはなるが、それでも一人よりはいいと思う。

 自分の部屋で誰かと鍋を囲むのは初めてだった。母親が働いていたため、幼い頃は鍋料理を食べる機会がなかった。長じてから仲間たちとどこかの店で食べたりすることはあったが、それとは何かが決定的に違う。自分で作ったということや、新調したばかりの土鍋を使っていること、誰にも気遣いを必要としない場所で食べていること、日常の大部分を共に過ごしている仲間の一人といること、そういったものが気持ちをくつろいだものにするのかもしれない。しかし、それだけではない何かが確かにあるような気がした。その何かに飛葉は思いを巡らせてみるのだが、それは確かな輪郭を持っているわけではないので言葉というものにはならない。

「おい、どうした。箸が進んでないぞ」

鍋を間に挟んで座っている世界が話しかける。

「惚けた顔で、何を考えてるんだ?」

「ん……色々とな」

煮えきらない言葉を返す飛葉を穏やかに見つめる世界の瞳の中に、彼はようやく出しあぐねていた答の片鱗を見たような気がしたが、それは形をなす前に雲散霧消よろしく消えてしまった。

「飛葉……なんで俺の所に来たんだ」

「え……晩飯の材料を買いに出た時、この鍋が半額で売ってたんだ。で、みんな集めて鍋を食おうと思ってよ。『ボン』に誰もいなくて、ガレージに行ったら八百とオヤブンがいて。けど八百はデートで、オヤブンは昔の仲間と会うって言うんだ。材料を買った後で、こんだけの量は俺一人じゃ食い切れねぇだろ? あんたのアパート、帰りに寄れるから……。それにあんた、いつだってメシ食いに来るじゃねーか」

「俺がお前の誘いを断らない理由を考えたことはあるのか?」

「へっ? あんたが暇だからに決まってんだろ?」

飛葉の答に世界は複雑な表情を浮かべる。世界がいきなり妙なことを尋ねた理由に見当がつかない飛葉は、

「おい、世界。なんでそんな変なこと訊くんだよ。あんた、変だぜ」

と、世界の真意を問いただそうとしたが、世界はちゃぶ台の上に置いていた箸を再び手に取ると

「いや、なんでもない。ほら、そこ煮えすぎるぞ」

と言ったきり黙り込んでしまった。そして黙々と白菜だの椎茸だのを口に運んでいる。そんな世界の態度が少々腑に落ちないでもないが、本人が先を続けようとしないものだから、飛葉はそれ以上尋ねようとはせずに鍋に追加の材料を入れた。

 うどんをすすっている世界を眺めていると、胸の奥にあたたかなものが広がるような気がする。一人の時には持て余してばかりいる、埋めがたい虚ろな感情が柔らかな表情を持つものへと姿を変えていくのがわかる。初めて感じる、くすぐったいような妙な気分に飛葉は、先刻から探していた答を、白い湯気の向こうに見つけたような気がした。


「俺は安全パイかい!!暇なんとちゃうわい!!このクソガキ!!」
無口な世界の魂の叫び(笑)。
オヤジ、ひよこちゃんの鈍感さの前にまたもや敗北。
しかし……飛葉はうどんとか羊羹とか饅頭が妙に似合う。


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