冷たい雨 ―5―


 「また飲んでのかよ」

飛葉には少し大きい、寝間着代わりの世界のジャージを着た飛葉が呆れたように言った。

「誰かさんのお陰で、戻る羽目になったからな」

世界の言葉に飛葉はばつの悪そうな表情を浮かべる。

「世話をかけて、悪いな」

「いつものことだ。気にするな」

こともなげに言う世界の態度に、飛葉はようやく普段の表情を取り戻し

「腹減ったな。ラーメンくらい、あんだろ?」

と、流しへ向かい、買い置きの食料のある辺りを物色し始める。ラーメンを放り込んだ丼と電気ポットを持った飛葉が腰を下ろすと

「なかなか、趣味がいい」

と、世界がブローチを指差しながら言った。

「やるよ、それ」

「もらったところで、俺の周りにゃこれが似合う年頃の女はいないな。今度お前が会う時にでも渡せばいい」

「今度なんか、ねぇよ」

飛葉はぶっきらぼうに答えると、沸いたばかりの湯を丼に注ぎ込む。麺がほぐれるのを眺めながら、

「質屋にでも入れるか……」

と呟く飛葉の頭に、世界は無言で軽く拳を入れた。

「何すんだよ」

「本当に、それでいいのか」

「しょうがねぇんだよ。柄にもないことを考えた俺がバカだったんだからな。使いもしねぇものを持ってたって、ジャマになるだけだ」

そう言った後、飛葉は何でもない風にラーメンを啜っている。世界は思案げにグラスに口をつけながら、飛葉が夜の町で濡れ鼠になった話題を慎重に避けて会話を運ぶ。 珍しく肌寒い今夜の天気や任務の時の仲間の失態。いつものように最後には彼らの手で追い詰め、始末した悪党の末路や2日後に始まる新しい任務のことなど、第三者から見れば殺伐とした、けれど二人にとってはごく日常的な話題はちゃぶ台の上のブローチの存在を何でもないものに変えていく。

 ラーメンを食べ終えた飛葉が

「俺はもう、帰るぜ。服と傘は借りてく」

と言って立ち上がろうとしたが、世界は丼を持つ腕を取って飛葉を引き留めた。

「酒の相手をしろ」

世界の言葉に飛葉は目を見開き、冗談ではないと抗議の声を上げる。

「今夜は八百と、まだまだ飲むつもりだったんだ。それを台無しにした責任を取れ」

「俺はほっといてくれって言ったのに、あんたらが勝手に世話焼いたんじゃねぇか」

「男のくせに、ガタガタ言うな」

「いいか、よく聞けよ。俺は酔っぱらいは嫌いなんだ。男でも女でもな。相手があんたでも、他の誰であろうと、酒の相手なんかしたかぁねぇんだよ」

飛葉はそう言うと、世界をじっと睨んだ。

「確かに俺は酒を飲んでるし、酔ってもいる。だからお前のご託なんぞを聞く耳は持たんまぁ、色気どころか愛想もないお前でもいたほうが、一人で飲むよりもマシだ」

世界は憮然とした表情で答えると掴んでいた飛葉の手を力任せに引き、飛葉の頭をあぐらを組んだ脚の上に置いた。飛葉は最初こそ抵抗していたが、どうにも世界の酒の相手役から免れないことを悟ると、身体から力を抜く。

「あんたってヤツは……酒を飲んだくらいで、どうしてこうも大人げなくなるんだよ」

世界を見上げる飛葉が呆れたように言うと、世界は笑いながら

「大人げなくなるために、酒を飲むんだ。お前にも、今にわかる」

と答える。

 自分勝手だとか酒臭いだとか、挙げ句の果てには重箱の隅をつつくような文句を言う飛葉の、少し癖のある髪を世界の指が梳く。そんな世界の子ども扱いに不平不満を漏らしながらも、飛葉は世界の腕を振りほどこうとはせず、目を閉じて世界の好きにさせていた。他愛のない会話を交わしているうちに、飛葉の意識はゆっくりと睡魔の来訪を迎える。

 次第に口数が減り、声が小さくなる飛葉を眺めながら、世界はバーボンをなめ続けていた。飛葉の呼吸が深く、規則正しいものに変わり始めたのに気付いた世界は、膝の上の子どものようにあどけない寝顔に視線を落とす。

 何があったのかを問いただすつもりはない。だが飛葉の言動と持ち主不在となってしまったブローチから、飛葉が母親とうまくいってないことは容易に知れた。

 物心ついた時には既に母親のなかった世界には、母親に受け入れてもらえない飛葉の心中はわかりかねたし、飛葉がこれからも一人で生きねばならないのであれば、今日のような出来事は自力で乗り越えるべきものであることも承知している。けれど行き場のない思いを抱えたままの飛葉を一人にするのは忍びなかった。甘えることを知らず、物心ついた頃からただ一人きりで歩き続けてきたであろうことに気がついていたからこそ、冷たい雨が降る夜には八つ当たりの相手くらいはしてやりたいとさえ思う。

 他人を寄せ付けることのない野良猫でさえ、時に同じ境遇の猫と寄り添うことで暖をとる。共に死線で戦う仲間として飛葉の力になろうとするのは、自分が必要とされていることを確認するための、自己満足に似た行動にほかならない。それでも――誰かに必要とされることで一時でも互いが救われるのであれば、他人からは馬鹿馬鹿しいことをしていると嘲笑われるのも悪くはないのではないか――。

 久しく忘れていた、自分の中の甘さに気付いた世界は自嘲するかのように口元を少しだけ上げ

「俺も甘くなったもんだ」

と呟き、グラスを干した。


飛葉ちゃんのお父さんですが、原作によると死別しているみたいですね。
で、お母さんは女手一つで飛葉と兄の日出丸を育てました。
仲間に恵まれている飛葉ちゃんも、母親には愛されなくて
それが原因でぐれたらしいですね。
時々、何かの拍子でお母さんを思い出しててしまうけれども
お母さんは飛葉ちゃんを思い出すことはまずないんだろうなぁ……
などと考えながら書きました。

世界が飛葉の様子に気がつくのは、年の功(笑)。
大人は大人で色々あるんです。


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