天下泰平


 都内から箱根方面に逃走した犯人を追い、ワイルド7の全メンバーは林道を疾走していた。リーダーの飛葉は、オヤブンとチャーシューと連動した動きで確実に逃走犯を追い詰め、ついに犯人はそれまで駆っていた車輌を捨て、山中へ逃げ込もうとしたが、それよりも一瞬早く飛葉の拳銃が火を噴き、犯人は息絶えた。そして八百の無線連絡により駆けつけた所轄の警官が現場の処理を開始したのを機に、メンバーはこの場で散開することになった。

「お前ら、ガソリン、あとどれくらい残ってる?」

八百の言葉に両国が答える。

「んー、あと50キロくらいは、楽に走れるな……。八百、ガス欠かい?」

「いや、この近くにいい温泉があるから寄って行こうかと思ってな。どうだい? お前たちも一緒に行かないか。往復で30キロちょいって距離なんだが、ここから先にはガソリンスタンドがないもんだからよ」

「いいねぇ」

と答えたのは、オヤブンだった。そして

「この時間じゃ、もう閉まってるな、ガソリンスタンド。でも、ま、俺は大丈夫だ」

と、続けた。

「急に押し掛けても宿なんかないんじゃねーのか」

チャーシューの常識的な意見にメンバー全員が、もっともだと言わんばかりに頷くのを見た八百が言った。

「それが違うんだな。俺が現役だった頃、よく世話になった爺さんが温泉宿の真似事をしていてよ。それがまた偏屈なジジイで、気に入った人間しか家に泊めねーのよ。自前の露店風呂がまた良い塩梅なものだから、シーズンオフに、身体を伸ばしによく行ったもんだぜ」

「お前はともかく、俺たちはどうすんだよ。偏屈ジジイに追い返されるかもしれねぇじゃねーか」

ヘボピーが八百に問う。

「変わり者の爺さんは変わり者が好きだから、心配はねぇな」

「お前に言われたかねぇよ」

飛葉の言葉に全員が笑い出し、7人は温泉行きを決めた。

◇◇◇

 彼らが八百の勧める秘湯に到着した頃にはすっかり日は落ち、夜の山の空気の冷たさが身に染みるようになっていた。秘湯の主である老人は、八百の言葉通りに頑固な気質を絵に描いたような人物だったが、彼は一人一人を品定めするように眺めた後、宿代はいらないと言い出した。またワイルド7のメンバーが途中で見つけた、店じまいを始めた万屋で買い込んだ食糧を手渡すとたちまち相好を崩し、八百を実の息子のように扱うのと同じように、他のメンバーにも親しげに言葉をかける。特に巨体を誇るヘボピーが気に入ったらしく、自分の後を継いで猟師にならないかと言い出す始末である。

 土間にバイクを納めた7人は、夕食の準備が整うまで、家の裏手にある老人自慢の露店風呂に入ることにしたのだが、世界の胸中を微かな不安がよぎった。

◇◇◇

 一仕事終え、疲れた身体をほぐしてくれる湯は心地よいものだったが、世界の予想通り、飛葉とオヤブンが先頭に立って湯の中ではしゃぎ始めたのである。最初は顔に湯を掛け合う程度だったのだが、次第に行動はエスカレートし始め、果てには両国とチャーシューまで加わり、お互いの足を取っては誰かを湯の中に沈めている。その被害を被ったヘボピーが飛葉とオヤブンを湯の中に放り込む。その様子を呆れ果てた表情で眺めていた世界と八百の目の前に、飛葉が勢い良く投げ込まれたため、二人は頭から湯を被ってしまった。

「ガキの就学旅行じゃあるまいに……。少しは静かにできないのか」

忌々しそうに言いながら、世界が湯の中から飛葉を引き揚げた。

「オッサン臭いこと、言ってんなぁ、世界。いいじゃねーか。たまにはよ」

ニヤニヤと笑みを浮かべながら飛葉が言う。そして八百が世界に

「しょうがない。飛葉はまだまだガキだからな」

子ども扱いされたことが気に入らない飛葉が、すかさず八百の足を引っ張り、上からのしかかるような格好で八百の頭を押さえ込む。世界は飛葉の手を取り

「やめろ、飛葉」

と、飛葉を制した。ずぶ濡れになった八百が湯の中から顔を出し、

「ガキはあっちへ行ってな」

と言う。それを聞いた飛葉は世界と八百に勢い良く湯を浴びせ、アッカンベーを残して再び騒ぎの輪に戻っていった。

 両手で顔を拭いながら、八百が世界に言った。

「飛葉みたいなガキが相手じゃ、あんた、早く老けるぜ」

「どういう意味だ?」

「惚れてんだろ?」

ニヤニヤと笑いながら八百が言う。そして

「だが黙っていちゃぁ、飛葉は気づきやしない。……と、俺は思うんだがね」

と、言葉を続けた。図星を突かれた世界は、内心の動揺を悟られないよう、努めて静かに答えた。

「今の飛葉には、何を言ってもどうにもならんだろう」

「まぁな」

短い沈黙の後、八百が世界に再び話しかける。

「ま、手遅れにならんうちに、どうにかするこった」

世界は八百の言葉に何も答えず、相変わらず大騒ぎを続けている飛葉の後ろ姿を目で追った。八百はそんな世界に気付かぬ素振りで、鼻歌を歌っている。

 やがて八百が立ち上がり、そろそろ食事の支度ができる頃だと、世界以外のメンバーに声をかける。そして意味深な笑いを世界に向け、

「あんた、今は出られないだろ? 先にメシ、食ってるからな」

と言い残し、飛葉とオヤブン、両国、チャーシュー、ヘボピーたちの背中を押すように風呂から上がった。

「あれぇ、世界。あんたまだ入ってんのか?」

チャーシューの言葉に八百が

「ヤツは長風呂なんだよ」

と答え、風呂場を後にした。

 そして一人取り残された世界は、情けない気持ちを抱えながら身体の火照りが収まるのを待った。だが身体が平常に戻る頃にはすかっり、のぼせてしまっていた。

◇◇◇

 湯から出た世界が賑やかな声が漏れ聞こえる部屋に入った頃には、老人を中心にした宴は既にたけなわといったところだった。世界は空いている座布団に腰を下ろすと、手酌でビールを飲み始めた。

「長かったな」

八百が世界の隣に腰を下ろしながら言い、空になった世界のコップにビールを継ぎ足した。

「余計なことを言ってないだろうな」

世界の言葉に八百が

「生憎、馬に蹴られて喜ぶ趣味は持ち合わせてねぇ。俺は高見の見物を決め込ませてもらうぜ」

と答えた。世界と八百は短い言葉を交わしながらビールを何本か空け、その後、老人の秘蔵の地酒を飲み始めた。

 お気に入りのヘボピーの膝の上に座っている老人の顔からは、既に初対面の時の頑固な表情は消え去り、今では好々爺といった言葉がふさわしい人物となっている。他のメンバーも老人の実直な人柄に好感を覚えているようで、楽しげな笑い声が絶えることはなく、世界も久しぶりに見る飛葉の笑顔にささやかな幸福を感じていた。八百と少々話し込み、飛葉から少し目を離したのだろうか。世界と八百の耳に焦燥と驚きが混ざった小さなどよめきが聞こえた。二人がヘボピーと老人を中心にした輪に近づくと、大の字になって倒れている飛葉が目に入った。両国が飛葉の頬を軽く叩いてみるのだが、飛葉はぴくりともしない。よくよく見ると、飛葉は口元には微かな笑みを浮かべて、天下泰平といった様子で微かないびきをかいて眠っていた。

「あっりゃぁ〜。飛葉ちゃん、下戸だったのか」

「下戸なんて可愛いもんじゃないぜ。全然飲んでないじゃないか」

「どれだけ飲ませたんだ?」

世界の問いにオヤブンが答えた。

「爺さんの酒をコップ一杯。情けねぇヤツだぜ、全く」

「自分から飲むって言い出したクセに、しょーがねーよな」

「これで俺たちのリーダーってんだからな」

チャーシューが言うのを受けて

「ワシがこの坊主の年には、これくらいの酒、水同然だったものがの」

と老人が高笑いをしながら言葉を継いだ。

 八百が飛葉の左頬を、両国よりも少々強めに叩いた途端、飛葉の右の拳が飛び、八百の顎に命中した。不意を食らった八百は体勢を崩し、それを見た他のメンバーが大笑いを始める。

「奥の部屋で寝かせてやれ。布団は押入の中にある」

と老人が言ったのを受け、八百が世界に命じた。

「世界。お前が連れて行け」

「何で俺が……」

「うるさい。風呂場でもここでも、お前さんは飛葉から迷惑をかけられてないじゃないか。行け」

八百の八つ当たり同然の主張が満場一致で承認され、世界に異議を唱えることはできなかった。世界は不承不承といった風情で肩に飛葉を担ぎ上げ、再び賑やかな宴が始まった部屋を後にした。

 老人から指示された部屋に入った世界は、飛葉を起こさないようにそっと畳の上に降ろすと、寝床の用意をした。世界は飛葉の頬を、八百の二の舞にならないように用心深く軽く叩いてみたが、飛葉は一向に目覚める気配はない。世界は溜息をついて飛葉を抱え上げ、布団の上に横たえてやり、はしゃぎすぎて乱れた浴衣の袷を整える。

「飛葉……眠ってるのか?」

声をかけてみるが、飛葉は相変わらず幸福そうな表情で眠っている。世界は飛葉の寝顔をしばらく眺めた後、飛葉の眠りを妨げぬよう、そっと微かな笑みが浮かぶ飛葉の唇に己の唇を寄せようとした。その時、いきなり飛葉が寝返りを打ち、世界は飛葉の肩先で顔面を強打してしまった。予想外の飛葉の動きに驚いた世界は飛葉が目を覚ましたのではないかと様子をうかがってみたが、飛葉は相変わらず深い眠りの中にあり、規則正しい寝息が聞こえるのみである。

「……早く大人になれ。飛葉」

 そう囁いた世界は、少々手荒に飛葉に布団を被せると、肩を落として酒宴の続く部屋へと戻った。そんな世界を待ちかまえていたかのように八百が、

「旦那。随分と早かったじゃねーか」

と、からかうように話しかけた。世界は何も言わずに腰を下ろし、懐から取り出した煙草に火を点けた。そんな世界を眺めていた八百が世界の耳元で

「ガキが相手じゃ、送り狼にもなれねぇか」

と、面白そうに言った。


翌朝、目が覚めた飛葉は、
酒を飲んだ後のことは全く覚えていない、お決まりのパターン。
ひよこちゃん相手では、送り狼にもなれない気の毒な世界。
いつまで続く、蛇の生殺し状態(笑)。
面白いから、しばらく遊ばせてもらうぞ。


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