吸殻の風景(世界Side)


 上等の鰹節が手に入ったからと言う飛葉に半ば無理矢理に、引きずられるように連れてこられた世界は、その途中につき合わされた買い物で押しつけられた紙袋を流しの上に置くと、レザーの上着の懐から煙草を取り出した。上機嫌でうどんの材料を取り出している飛葉を横目で眺めながら、世界は大晦日の日、飛葉が近所の酒屋でもらったと言っていた灰皿を探したが、流し台とガス台、水屋を置かれた狭い台所付近に目的のものはない。世界は部屋の主に灰皿の所在を尋ねた。

「おい、灰皿は……」

「ああ、あっち。ちゃぶ台の上」

飛葉の言葉に従い、雑誌だの脱ぎ散らかした衣服だのがそここに散乱している四畳半に入ると、その言葉の通り、いかにも販促用でございますと言わんばかりの安っぽい、ガラス製の灰皿がちゃぶ台の上に置かれていた。それを見た瞬間、世界は少々不機嫌になった。

 灰皿の中にはチェリーの吸殻がある。それを吸ったと思われる人物の几帳面な性格を無言で主張するかのように、灰と吸殻は所定の位置にきちんと別けられており、数本の灰皿はきちんと整列し、一定の秩序を持って積み上げられていた。世界は飛葉のプライベートには詳しくないが、飛葉の身近にいるチェリーを吸う人間には心当たりがなくもない。いや、世界が知る限り、飛葉の部屋を訪れる可能性を持つ人間の中でチェリーなどという、国産煙草の中でもすかした銘柄を好む人間は、たった一人しかいなかった。

 ワイルド7のメンバー中、最年少で未成年の飛葉は少年院に収監されて以来煙草を吸っていないし、火薬の専門家の両国と、化学薬品に詳しいチャーシューの二人は、その日頃の行動故に煙草を吸わない。ヘボピーは滅多に煙草を口にしないが、好んで吸うものはラッキーストライク。常識的な愛煙家である八百とオヤブンはハイライトを吸うのが常である。ヘビースモーカーと言うよりも、チェーンスモーカーと呼ぶ方がふさわしいだけの本数の煙草を吸う者は世界と、ワイルド7を率いる草波の二人だけだった。

「飛葉。隊長が来たのか」

世界が飛葉に問うた。

「ああ。この間、任務の計画を練りに来た。ほら、2、3日前に俺たちが始末した、悪徳弁護士の……」

飛葉の言葉に世界は『なるほど』と思った。裁判では常に勝利を収め、巷で凄腕との評判を得ていた弁護士が、依頼人の弱みにつけ込んで合法的な恐喝を繰り返しているという情報を得た草波が、その弁護士の始末をワイルド7に命じた時、既に草波と飛葉の間で計画が練り上げられ、他のメンバーは二人の指示に従うのみだった。法律全般に通じているターゲットにワイルド7の動向を悟られないためには、ごく限られた人間だけで作戦を練ることが最善の策であることは、世界にも理解できる。そしてワイルド7のリーダーである飛葉が選ばれることも当然の成りゆきではある。しかしだ、何もこの部屋で話し合うことはないだろうとも考えてしまう。そんなことはワイルド7の司令室となっているセブントレーラーの中でやればいい。そのために車内にはコンピュータをはじめとする、様々な機材が備え付けられているのではなかったか。任務のために草波が飛葉の部屋を訪れる理由は、今回に限ってはかけらもないはずだ。

 「吸殻をいつまでもほうっておくんじゃない」

世界の声に飛葉は、不思議そうな顔をして言葉を返した。

「まだ、一杯になってねぇじゃねーか。それによ、世界。あんた、何ふてくされてんだよ」

「灰皿は使ったら洗うもんだ」

「なんで、煙草を吸わねぇ俺が、そんなことしなくちゃなんねーんだよ。あんたらがやればいいだろ」

飛葉の言うことはもっともである。自分以外の人間が、この部屋で煙草を吸ったからといって腹を立てられるのは、飛葉にとっては理不尽なことでしかないのもわかる。しかし、今はそんなことは問題ではない。灰皿に整然と並べられた、火の消えたチェリーが飛葉の部屋にあること。それそのものが世界の癪に障るのだ。もちろん世界は子供じみた自分の感情を言葉にするほど分別がないわけではなかったので、無言で、どうにかしろと言わんばかりに飛葉の目の前で灰皿を左右に揺らす。

「ったくよー、あんたも隊長も変なとこにこだわるよなぁ。ほい、これに入れて、階段の下のゴミバケツに入れてきな」

飛葉が先刻うどんの材料を買った時、店の主が持たせた紙袋を世界に渡す。

「大晦日、あんた、それ使ったろ? それ見て隊長も似たような文句を言って、今のあんたみたいに機嫌が悪くなるしよ……」

小声でブツブツと文句を言う飛葉に、世界は何か言ってやろうかと考えたが、何を言ってもこのお姫様にはわかるまいと、敢えて沈黙を守った。そして無言のまま灰皿の中身を紙袋にあけ、ドアの外にあるアパートの階段へ向かった。

 ゴミバケツに紙袋を放り込んだ世界は、「お互い、惚れた相手が悪かったな」とつぶやいた後、大きな溜息をつきながら空を仰いだ。立冬を迎えて間もない空には薄い雲が広がり、小雪の散らつきそうな気配さえ漂わせている。世界は男気には溢れているものの、男心を一向に解さぬ相手に、報われる可能性が限りなく低い思慕の念を持つ同士に一瞬だけ思いを馳せたが、次の瞬間にはその感情を振り払い、背中を丸めて鰹節を削っているはずの飛葉のいる部屋へと戻っていった。

 「ほらよ、洗っといたぜ」

飛葉が世界に塗れたままの灰皿を差し出した。世界は無言でそれを受け取ると、ちゃぶ台の上に乗せたまま放り出していたセブンスターに火を点けた。


ええ年をして、飛葉に振り回されっぱなしの世界と草波。
負けるな世界、頑張れ世界。いつかは苦労も報われる……予定(笑)。


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