リーダーの領分


 スナック“ボン”のいつもの席で、目尻に涙を滲ませながら、飛葉は大欠伸をする。

「顎が外れるぞ」

コーヒーカップを片手に、煙草を燻らせながら世界が言う。

「ヒマだ……」

「結構なことじゃねぇか」

真剣な顔で新聞を睨んでいるオヤブンの指先では、赤鉛筆がクルクルと回っている。

「他の連中はどうしてんだ?」

「八百はゴルフのレッスンだろ?」

「いい天気だからな。両国は会社、チャーシューは店に行ってるんだろうよ。たまには顔出しせんと、現場を仕切れんだろう」

「シャバにしがらみがある連中は、悪党がいい子でお寝んねしてる時くらいしか、まっとうな稼業もこなせねぇからな。それに引き替え、ヘボは気楽なもんだ。今頃はウェイトトレーニングをしてるか、昼寝してるか、食ってるか、だな」

「いいご身分だな、どいつもこいつも」

薄い笑みを口元に浮かべる世界に、飛葉がつっかるように言った。

「で、世界にオヤブン。お前らは、何やってんだよ」

「俺? 俺は明日の競馬の予想。俺っちは競馬とパチンコ、麻雀が、極道から足洗ってからこっちの本職だからよ。これでも仕事中ってっやつなんだよな、飛葉ちゃんよ」

「俺の床屋は臨時休業」

「何だって? 適当なこと言って、さぼってんじゃぁねぇだろうな」

「改装中だ。クビになるほど、腕は落ちちゃいねぇさ」

「で、飛葉よ。お前さんは何してんだよ。ここしばらくは随分とヒマそうだが、まさか干されたってわけじゃぁ……」

からかうように問うオヤブンから顔を背けた飛葉は、いかにも面白くないといった様子で

「待機中。追っかける予定の俳優が、どうにも動かねぇってんでよ」

と、答えた。

「あんまり字が汚すぎて、お払い箱になったわけじゃぁなかったんだな」

「おい、世界。どういう意味だ、そりゃぁ」

「きれいに書けとは言わんがな。もう少し読めるような字を書いてもらいたいってことさ」

「ああ、確かに飛葉ちゃんの字はミミズがのたくった後に、ムカデが這いずり回って、揚げ句、ナメクジがちょろちょろしたみたいだもんなぁ、世界」

 オヤブンの言葉に世界は肩を振るわせ始め、その噛み殺した笑いに釣られるようにオヤブンは声を上げて笑い出し、しまいにはテーブルを叩きながら腹を抱えた。

 飛葉は二人に何か言いかけたが、何も言わないでふて腐れたように椅子に背中を預ける。

 達筆ではない自覚はあった飛葉だが、あからさまに癖字を笑いのネタにされては面白くない。かと言って、反論すればするほどからかわれるのは分かりきっている。故に飛葉はむっつりと苦虫を噛み殺す他にすることがなく、手持ち無沙汰をごまかすため、カウンターの中で働く、この店の若い女主人にコーヒーのお代わりを頼んだ。

 「お待たせ、飛葉ニイチャン。熱〜イ、コーヒー」

数分後、この店の影の実力者でもある志乃べえが、香り高いコーヒーを運んできた。

 幼稚園児とは思えないこのしっかり者は店主のイコの妹なのだが、まるで姉の保護者のように振る舞うだけでは足りず、大人を食ったような言動で、ワイルド7のメンバーを翻弄している。そのこまっしゃくれた性格は彼ら7名が愛する美点であり、時と場合と相手が変わろうと決して臆したりしない心の強さは、客観的に見るまでもなく胡散臭く、ガラの悪い7名に対しても大いに発揮されている。

「飛葉ニイチャン、字、下手くそなの?」

無邪気な言葉に言い返すことができず、飛葉はむっつりとした顔でカップに口を付けた。

「ねぇ、下手くそなの?」

「ああ、ヘタだね」

「どれくらい?」

志乃べえがオヤブンに更に問うと、彼は赤鉛筆を耳に挟んでから腕を組み、大袈裟に顔を傾けて考え込んで見せ、おもむろに答える。

「パッと見るだろ? これが読めねーんだな。で、じっくり見るわけよ、じっくり」

「読むんじゃなくて、見るの? ヘンなの」

「まぁ、待て、志乃べえ。じーっくり見てるとだな、ミミズののたくったような落書きにしか見えねぇモンがだな、段々と字に見えてくんだよ。そしたら、何となーく読めるかなって気分になってだな。それでも読めねぇ字が残るんだけどもよ、そいつを直感で埋めていくのに、これまた技術と経験が……」

「てめ、いい加減にしろよ?」

「ホントのこと、言われたからって拗ねてんじゃねーよ」

「何が本当だ? あることないこと、大袈裟に言いやがって。これ以上、調子に乗るんじゃねー」

「『あること、ないこと』って言うからには、事実もあるってことだな」

今まで黙りを決め込んでいた世界が、面白そうに口を挟む。その言葉にオヤブンは、我が意を得たりとばかりにニヤリと笑った時、志乃べぇが飛葉の名を呼ぶ。

「じゃ、飛葉ニイチャンにあげるよ」

いつの間に持ってきたのか、志乃べえがテーブルに数冊のノートらしきものを置いた。よくよく見ると、それらはひらがなとカタカナの練習用ドリルで、しかも幼稚園児用という紅い文字が表紙に踊っている。

「ボーイフレンドにもらったんだけど、あたし、もうひらがなもカタカナも終わってんの。だから飛葉ニイチャン、これで練習したら? 字が汚いままだと、大人になった時に困るからさ」

 「こりゃぁ、いい!! 志乃べぇ、いい子だなぁ。飛葉ちゃんの将来の心配までしてくれるたぁ、見上げたもんだぜ」

オヤブンは手放しで志乃べぇを褒めちぎり、志乃べぇは得意そうに笑っている。サングラスに遮られて表情はよく見えないが、オヤブンの向かいに座る世界は煙草をくわえたまま黙ってはいるが、肩の微かな震えから、笑いたいのを必死に堪えているのがわかった。そして飛葉はというと、ハイペースでコーヒーを飲んだため、既に空になったコーヒーカップに口を付けたまま憮然としている。

 自分が負けず嫌いだという自覚があるだけに、うっかり手持ち無沙汰な状態にでもなれば、ほぼ確実にオヤブンと志乃べぇを相手に何だかんだと言い訳じみたことを言うか、けんか腰の子供じみた態度を取ってしまうだろう。それよりは多少情けなくとも、コーヒーを飲んだふりをしている方が百倍も千倍もマシだ。それが飛葉の出した答だった。

 命懸けの任務の間に奇跡的に生じた、退屈を持て余すほどに平穏なひとときを損なわないために、自分一人が道化役を引き受ければいい──否、それがリーダーとして選ぶべき選択肢なのだと、飛葉は自ら自分に言い聞かせた。生意気だとは言え、志乃べぇはまだ幼稚園児で、何かと便宜を図ってくれる店主の妹でもあるのだから、たまには破格のサービスも必要だ。それでも本人を目の前にして大笑いされるのは愉快ではない。だが自分で選んだ以上は、この道化役を意地でもやり通してやる。後で吠え面かいてんじゃねぇぞ、この野郎などと胸の中だけでこっそりと、毒づいてみる飛葉であった。

 それを知ってか知らずか、命懸けの任務の合間、偶然に生まれた穏やかな時間をオヤブンと世界は満喫している。そんな日があってもいいかも知れないと思い、また釈然としないものを抱えてはいるのだが、暇つぶしのネタにされるのは悪いことではないと、コーヒーを飲むフリを続けるのであった。


飛葉ちゃんは悶絶するほどの悪筆でいてほしいというのが、個人的な願望。
オヤブンはあれで結構、達筆っぽい。
というか、達筆すぎて読めないというのがいいです、ハイ。

続きあります。
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