距 離


 「伸びるのが早いな」

「自分じゃ、わかんねー」

西陽の射す狭い下宿、広げられた古新聞の上にあぐらをかき、首にも古新聞を巻き付けた、未だ少年の面差しを残す飛葉の髪を切っていたカイゼル髭の男が言った。器用に動かしていた鋏を持つ手を止め、男は飛葉の頭を軽く抑えてあらゆる方向から仕上がり具合を確かめると、切り揃えたばかりの短い髪をクシャクシャとかき回す。

「それに子供みたいに柔らかい癖っ毛だ」

「うるせぇ、俺の知ったこっちゃねーや」

ほんの少し笑いを含んだその声に、飛葉は膨れっ面で答えた。男は黙って飛葉の首から新聞紙を取り去ると、飛葉の頭を軽く叩いた。

「ほら、終わったぞ。まったく散髪代に困ってるわけでもないのに、どうして俺がわざわざ出張して、お前さんの散髪なんかしなくちゃならないのかね」

「待つのは性に合わねぇ。それに、よく知らねぇ奴に顔の近くで刃物を振り回されるのは気分のいいもんじゃねぇ。そうだろ?世界」

「まあ……そうとも言えるな」

掌に収まるほど小さな鏡をのぞき込んでいる飛葉が、ごく当然のように口にした言葉は、十代半ばの少年には似つかわしいものではない。世界はふと、自分の経歴の多くを語らない飛葉の生い立ちに思いを巡らせてみた。

◇◇◇

 メンバー最年少でありながら、ワイルド7のリーダーとしての役割を果たしている飛葉は、ギラギラとした獣じみた光を常にその瞳に宿している。けれど時折、その年齢よりもはるかにあどけない表情を見せることがある。長くサーカスの花形スターとして暮らしていた世界が知っている、飛葉のような二つの相反する表情を持つ人間の大部分は恵まれているとは言えない子供時代を送っていたものだった。ある者は貧困に苦しみ、生きる伸びるためだけに犯罪に手を染めていた。ある者は親兄弟に省みられることがなく、家族の関心を引くために荒れた生活に身を沈めた。信じられるものを何一つ持たず、自分の足だけで必死で立ち続けようとしてもがく者もいた。彼らは飛葉と同じように、親しい人間にさえ隙を見せようとはしない。けれど時折、妙に人恋しくなる時、ほんの一瞬だけ完全に無防備な状態になることがある。あたたかい手が差し伸べられることはないと承知していても尚、無意識に誰かを求めてしまうのだろうか。

 初めて無防備な飛葉の姿を見た時、空を切るだけだということを分かり切っていながらも、確かな温もりを探す迷い子の姿を再び見たような気がした。だから思わず世界は差し出された見えない手を引き寄せてしまった。先に手を伸ばしたのは自分自身であることを全く理解していない飛葉は狼狽えるしかできなかった。しかし時折、そうと気取られぬよう細心の注意を払いながら近づいてくる時がある。世界は飛葉を驚かしたりせぬよう、ただそこにいた。一歩近づいたかと思うと、次の瞬間には手の届かない場所に遠ざかり、気がつくと空気の動きでその動きが感じられるほど近くにいる飛葉を、世界は限りなく諦めに近い忍耐をもって見ていた。そして遂に、知らず知らずのうちに触れるほどに近づいていた肩先から流れてくる飛葉の体温を感じた時、ようやく世界は飛葉に触れた。

 「おい、聞いてんのか?」

「ああ、すまん。何だ」

「ここんとこ、もちっと短くしてくんねぇか」

「わかった」

世界は再び鋏を取ると、飛葉のこめかみの辺りに鋏を入れた。

「世界、あんた器用だな。どこで覚えたんだ、こんなこと」

「旅暮らしが長かったからな」

「……ふん、そんなもんかね」

「そんなもんさ。そらできたぞ」

飛葉は再び小さな手鏡をのぞき込み、仕上がり具合を確かめると戯けた調子で世界に言った。

「どうだい? 男っぷりが上がったろ?」

「誰のお陰だと思ってるんだ?」

「俺みたいにいい男じゃなきゃ、腕の振るい甲斐がねぇと思って、わざわざ頼んでやったんだぜ?」

「ばか言ってろ」

世界は煙草に火を点けた。飛葉は紫煙と世界の横顔をしばし見つめると、先刻まで使っていた古新聞を捨て、流し台へ向かった。

 しゅ、しゅ、と何かを削る軽快な音に気づいた世界が振り向くと、台所の隅で飛葉が鰹節を削っている。

「何をしているんだ」

「晩飯、食ってくだろ?」

「また、うどんか」

「俺のうどんはうまいんだぜ。なんったって……」

「狸庵のオヤジも舌を巻くほどだってか」

飛葉の言葉尻をとらえた世界がからかうように続けると、飛葉は途端に拗ねたような口調になった。

「嫌なら食わなくてもいいんだぜ」

「散髪代には足りねぇが、いいだろう。食ってってやるよ」

「ネギと卵しかねぇよ」

「上等だ」

飛葉は再び鰹節を削ることに専念し始め、世界は新しい煙草に火を点けた。


ちなみに飛葉の下宿は台所付き、風呂・トイレ共同の6畳くらいの和室です。
飛葉が自炊生活をしていて、得意料理はうどん。原作ではよく、メンバーに振る舞っています。
むさ苦しい男二人が差し向かいでうどんをすするのって、そこはかとなく可愛いと思う。


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