牙を研ぐ時


 見終えた書類をデスクの片端にできた紙山の最上に置き、反対側に積まれた茶封筒やファイルを一瞥してから、草波勝は新しい書類に手を伸ばす。

 警察が内偵を進めている事件についての調査報告や、泳がせている情報屋からの玉石混淆を絵に描いたような噂話の大部分が使い物にはならない。それを承知で、殆ど徒労だと分かっている、もはや日課となっているデスクワークに没頭するのは、万が一にも等しい確率で存在している、善人面でこの世にのさばる悪党共の化けの皮を剥がす、ささやかな契機を掴むためだ。他者から見れば取るに足りない、断片的な情報の中から、確信につながる何かを見出すことは容易ではない。紙面に記された言葉の裏や行間に潜む真実の欠片は、あらゆる可能性を疑い、五感を最大限にはたらかせたその先にある。費やした時間と労力の九分九厘を無駄にしたとしても、敵の隙を突く先鞭となるものが掴み取れさえすれば、草波は餓えた獣を放つだけで事足りるのだ。

 彼の手足となり、悪党共の喉笛を食い破る獣らは、既に準備を整えている。今頃は恐らく、彼らの牙となる銃を念入りに手入れしてる最中か、すぐにでも駆け出せるようエンジンを温めているか、オイルタンクをガソリンで満たしてでもいるだろう。或いはそろそろ、待つのに倦んでいる頃合いかもしれない。血に飢えたまま、身動きができない状態が長く続くのは、彼自身の懐刀でもあるワイルド7のメンバーにとって好ましくないだろうが、草波としては歓迎すべきもの以外の何ものでもなかった。

 血に飢える程、獲物が悪どい程に7つの強烈な個性を持つ獣らは、その裡にある正義の炎は激しく燃え上がり、敵を灼き尽くす。彼らの怒りが臨界点に達し、炎が最も熱くなる瞬間を確実に捉える──法律を笠に着て悪事をはたらく輩共を抹殺するためには、それが最も効果的で、且つ合理的な手段であることがわかっているからこそ、草波が事前調査に費やす時間を惜しむことはない。多少手間取ったとしても、充分な見返りが期待できる。そう確信するからこそ、彼は僅かな休息を取るに止め、夜と昼を徹して資料の山との格闘を続けていた。

 

 草波の手が止まる。素早く全体に走らせ、それから文頭に戻った視線が再び動き出す。その速度はこれまでとは比較にならないほどに緩やかで、時には同じ箇所を幾度か往復し、時に考えを巡らせるように紫煙を燻らせたりもする。デスクには不釣り合いなほどに大きな灰皿から吸い殻が溢れそうになっているのもかまわず、短くなった煙草を適当にもみ消して、草波は新しい煙草に火を点けた。

 記憶の片隅に残る残像を手繰り寄せるため、ゆっくりとしたリズムで息を吸い、青白い煙を吐く。

──どこか……どこかで……確かに一度……というように、妙な具合で記憶に引っかかてきた名前だった。

 一息つく暇もなく吸い続けた煙草は鋭い痛みを伴う熱で、燃え尽きようとしていることを伝えてくる。

──落ち着いて、関連する事項を思い出せばいい。

 吸い殻を、おざなりに指から落とし、草波は眉を顰めた。

──似たような事件が……同じように、立件どころか捜査さえ思うに任せなかったことが、確かにあった。

 記憶の断片の再構築を試みるものの、次々に押し寄せる、記号レベルに細分化された記憶という名の情報は、ぼやけた輪郭らしきものを描くものの、何ら意味を成さない。

 あらゆる方向からのアプローチを試みてはみるのだが、いずれも核心からはほど遠く、思うに任せない事態に草波は、微かに苛立つ。しかし草波のもとに送られてくるリストにピックアップされている悪党共であれば、簡単に自分の尻尾を掴ませるようなヘマをする筈はない。巧妙で狡猾な手口で決定的な証拠を掴ませないからこそ、警察や検察は厄介事を草波に預けるのであり、それはあらゆる方面から激しい非難を浴びた結成当初も、良識派の面々が眉を顰めながらも超法規的組織であるワイルド7を黙殺している現在も、そしてこの先も、草波とワイルド7のメンバーは国家権力の切り札であると同時に、存在すること自体が許されない存在であり続ける。

 

 草波は手にしていた書類をデスクに投げ出し、天井を仰いだ。眼鏡を少しだけずらしてから、指で目頭の当たりをゆっくりと押しながら、長い溜息をついた。

「いつまで、待たせる気だ?」

皮肉めいた笑いを含んだ声の主の方を向き、草波は眉根を寄せる。

「ノックくらいしろ」

不作法な訪問者は草波の言葉を意にも介さず、革張りのソファに深々と腰を下ろした。

「退屈なんだよ」

「待機中にも、すべきことはある筈だ」

「待機指示が出て、何日になるんだよ。手入れのしすぎで、銃もバイクもピカピカだ」

「それは、結構なことだ」

言いながら草波は、先刻放り出した書類を手に取った。

「いい加減にしろよ、隊長さんよ。どいつもこいつも、暇ぁ持て余して苛ついて、終いには俺に八つ当たりしやがる」

「メンバーをまとめるのも、飛葉、お前の役目だ」

「連中のお守り役なんか、真っ平なんだよ、俺は!!」

声を荒げた飛葉を、草波が見据える。

「礼儀知らずのお前達に相応しい仕事をやろう」

告げた途端、飛葉の眼に熱い炎が宿る。

「恐れ多くも華族の血を引く、篤志家様の調査だ」

「何、やらかしたんだ?」

「人身売買を中心に活躍中だ。それから麻薬も。本人は東京から動かない。配下の組織が発展途上国で暗躍している。表向きはボランティアでな」

「で?」

「物的証拠を掴ませない。追っても追っても、トカゲの尻尾しか残らない。今あるのは状況証拠と、それに基づく推論だけだ」

「証拠を持ってくればいいのか?」

「できれば生き証人を連れてこい。事件のからくりを吐かせたい」

飛葉と呼ばれた来訪者は不敵な微笑みを浮かべてデスクに歩み寄り、草波から書類を受け取った。

「約束はできねぇな。俺も、連中も退屈しすぎてんだ。手土産が死体になる可能性は高いだろうよ」

飛葉は幼さの残る頬を指先で掻きながら、目を通し終えた書類を草波に示す。

「頭を獲らねぇうちは生き証人、頭を抑えたら生首にリボンをかけて届けさせる。いいだろ? どうせ、生かしておいても悪さしかしねぇんだからよ」

文句は言わせないといった口の利き方に、草波は眉を顰めた。だが飛葉は動じる風でもなく、オーク材のデスクに浅く腰をかける。

「生きてたところで、親玉は安全な場所でぬくぬくしてばっかで、表に出てきやしねぇんだ。美味いものをたらふく食らうクセに動きやしねぇ。それにバイクだとよ、首だけの方が運びやすいんだ、首だけの方が」

「尻尾を掴める策は、あるのか」

飛葉の軽口を聞き流した草波が問う。

「世界なら、連中の出入りしそうな飲み屋の見当がつくだろう。八百と二人、潜り込ませる。チンピラは……そうだな、オヤブンとチャーシュー。俺と両国とヘボは情報次第で動きを決める」

「必ず、朗報を持ち帰れ」

「安心しな。もとを正せば同じ悪党。奴らの尻尾の掴み方、息の根の止め方は、嫌ってほど知ってらぁ」

 飛葉は数枚の書類を懐にしまうと、振り向きもせずにオフィスのドアを押す。平均よりもやや小柄な飛葉の背中が、心なしか大きく見える。

 飛葉は既に悪党のねぐらの奥深く、その親玉が潜む穴を見つけた。部屋を後にする飛葉の纏う空気が、雄弁にそう物語る。

 遠からず、この件は飛葉達の暗躍によって解決するだろう。そう判断した草波は、つい先刻まで彼を患わせていた書類を一つにまとめ、処理済みの案件が沈黙する書類箱に放り込み、次の事件に関する書類に手を伸ばす。

 どんなに自分が、そして飛葉をはじめとするワイルド7のメンバーが必死になったところで、この世から悪党がいなくなる筈がない。賽の河原での石積み遊びのような徒労に、敢えて身を置く自分達を、善良な世間の人々は嘲笑うのだろう。だが嗤われても、悪し様に噂されようと、草波に現在の生き方を変えるつもりはなかった。何の非もない人間が罪に堕とされるのを目の当たりにしながらも、手を拱いているしかできない無力感を再び味わうくらいなら、この世の全てから忌み嫌われる方が救いがある。

 堂々巡りの思考を振り払おうと、草波は新しい煙草に火を点けた。ふと見ると、灰皿からは極端に短い吸い殻がこぼれ落ちそうになっている。彼は苦笑の混じる短い溜息を一つつき、中のものを落とさないよう、慎重な足取りで部屋の隅に行く。そして半分ほど水を張ったバケツの中に、ここ数時間ずっと燻り続けていた苛立ちを捨てた。


単にデスクワークに忙殺される草波さんが書きたかっただけです。
無精ヒゲを生やし、ちょっと気怠い風情の隊長はステキだと思います。
しかし、この人は煙草の煙で薫製になってそうな気も……。


HOME ワイルド7 創作 短編創作