夏の楽しみ


 バイクを停めた途端、全身が熱気に包まれる。エンジンから発せられる熱とアスファルトから立ち上る熱に、飛葉は溜め息をついた。夏場は仕方がない。バイクとはそういう乗り物だ。エンジンを外気に晒し、回転で生じた熱を放出する──しなくてはバイクの心臓部であるエンジンはすぐに焼き付いてしまう。力強い駆動力を維持するために、俊敏性をを損なわないために、バイクは最もシンプルな手段でエンジン内部にこもる熱を放出しなくてはならない。そんな道理は飛葉も充分に承知している。だが頭でわかってはいても暑いことに変わりはなく、やり場のない怒りが身中に溜まっていく。

「クソ暑い時期くらい、悪党共もおとなしくしてやがれってんだよ」

飛葉が吐き捨てると、バイクを並べている八百が呆れたように笑う。

「人の都合を考えねぇ連中だから、俺達が出張ることになるんじゃねぇか」

「そうそう。だいたい、暑い暑いってぼやいてんのは貧乏人だけってもんだ。あちらさんはクーラーの利いた部屋で、今頃はのんびりお昼寝中ってとこだぜ」

「ま、連中のこった。お縄についてからも特別待遇でさ、鉄格子の向こうでも至れり尽くせりのサービスが待ってんだなぁ、きっと」

オヤブンがうんざりしたように言うと、飛葉が舌打ちした。

「頭にきた」

◇◇◇

 あくまで合法的な恫喝や恐喝、詐欺まがいの策謀を駆使して私利私欲のままに生きてきた男が一人、ワイルド7の手で処刑された。表向きは善良な地域の名士を犯罪者として断罪した場合に考えられる混乱を憂えた当局は、秘密裏に男を葬り去るためにワイルド7を率いる草波に全てを委ね、草波は全幅の信頼を寄せている正義の心を持つ無法者達を派遣したのだ。

 信号が変わり、飛葉と八百、オヤブンの三人がバイクをスタートさせる。

 犯してきた罪業の割にはあっけない程に簡単に男は降伏した。死刑執行人たる飛葉に、男は命乞いを繰り返したが、飛葉が首を縦に振らない様子に最後には彼が築いた財産の殆どを投げ出してもいいとさえ言い出し、飛葉は命汚いにも程がある男の眉間に容赦なく銃弾を打ち込んだ。確かに急所を一撃でしとめた筈だった。しかし男のこの世に対する執着は死に神を寄せ付けない程に強く、飛葉達はブーツにしがみつく男の手を振りほどきながら、更に数発の弾を撃ち込んだ。自らの血の海で息絶えたことは明らかなのに、それでも男の目はカッと見開かれたまま虚空を睨んでいた。

◇◇◇

 彼らが生活拠点を置く街まであと少しの場所で、八百がバイクを停めた。

「これから、どうする? ボンにでも寄ってくか」

「バカ言えよ。このナリで店に入ったら営業妨害で追ン出されんぞ」

飛葉が血まみれのブーツを示す。

「まったくだ、最後の最後まで手間ぁ、かけやがって……とりあえず、一度はアパートに戻るしかないな。血を落とさにゃぁ、どうにも気分が悪りぃ」

オヤブンが額の汗を拭いながら言い捨てる。

「風呂に入ったところで、血の臭いが落ちるわけでもないだろう」

まぁな、とオヤブンは答えたきり黙り込む。

「血の臭いなんぞがわかる人間が、そうあちこちにいてたまるかよ」

飛葉はそう吐き捨ててから、笑顔を浮かべた。

「とりあえず、店から追ン出されなきゃいいワケよ。エチケットってやつさ、八百」

「そんじゃ、後でボンで落ち合うとするか。冷たいコーヒーでも飲もうや」

飛葉と八百と、それからオヤブンは不敵な微笑みを浮かべて目配せをしてから、それぞれの部屋へと戻って行った。

◇◇◇

 辿り着いたアパートは、数日間留守にしたせいで蒸し風呂のような熱気がこもっていた。

「まったく……」

忌々しい熱気を追い出すために、飛葉は急いで窓を開ける。扇風機のスイッチを入れて、ヘルメットで蒸れきった頭をとりあえず冷やし、汗に濡れた服を脱ぎ捨てながら台所に向かい、冷蔵庫に入れっぱなしにしてあるコーラを飲み干すと、ようやく人心地がついた。時計を見ると、まだ銭湯が開くには間がある。飛葉は大あくびを一つしてから畳の上にゴロリと横になり、高鼾をかき始めた。

 目が覚めた時には既に夕刻は過ぎ、薄い夜の闇が狭い部屋を満たしていた。全身に吹き出す汗を拭いながら灯りをつけて時計を見ると10時を回っている。ボンまで出かけるにはもう遅い。それでも銭湯が開いている時間に目が覚めたのは不幸中の幸いと、飛葉は手拭いと石鹸を手にアパートを後にした。

 広い湯船で身体を伸ばしている飛葉に初老の男が声をかける。

「よう、アンちゃん。ここしばらく見かけなかったな」

銭湯で何度か顔を合わせ、いつの間にか顔見知りになった男は上機嫌で頭に手拭いをタオルを乗せた。

「仕事で、ちょいと出張ってた」

「近頃の若いモンにしちゃぁ、感心な働き者だ」

「そんなじゃぁ、ねぇよ。人手が足りねぇだけで……」

「人のやりたがらねぇ仕事をすんのがよ、エライってのよ。おめぇみてぇにガキのうちから働いてりゃぁ、この先いいことがあるぜ。俺が太鼓判を押してやる」

「棺桶に片足突っ込んでるジジィに、何がわかんだよ」

「ケツの青いガキに、何がわかる」

男はカラカラと笑いながら飛葉の背中を叩く。

「まぁ、いい。お前さん、見所があるからな。風呂から出たら、牛乳を飲ませてやろう。アレだ、最近の若い娘っ子は背の高い男を好いてるてるらしいからな」

「牛乳を飲んだくらいで、背が伸びんのかよ」

「気は心、鰯の頭も信心からって言うじゃぁないか。背が伸びると思って飲めば、伸びるもんだ。ワシの若い頃は皆、軍服に合わせて身体をでかくしたもんだ」

「んな、カビの生えたような話、すんじゃねーよ」

「そう言うな。年寄りの繰り言を聞くのは、若いモンの役目だ。諦めろ」

「あんた、長生きするぜ」

溜め息と共に苦笑を零し、飛葉が立ち上がる。男はいかにも愉快そうに笑いながら、飛葉を引き連れて脱衣所に向かった。

 脱衣所の中央に配置された椅子に男と並んで腰掛けて、飛葉は冷たい牛乳を飲んだ。テレビではスポーツニュースが野球速報を流していて、誰かが持ち込んだらしいスポーツ新聞にも熾烈な首位争いの様子が報じられている。

 そう言えば、と、飛葉は思う。ここしばらくは任務に追われ、世間にとんと疎くなっていた。というより、うだるような暑さに真夏の到来を知っても、今日が何月何日なのかわかっていない。悪党や犯罪者に盆も正月もないからと、自分までそのペースに巻き込まれている事実に愕然として、飛葉は溜め息をつく。

「溜め息つくのは、やめときな。幸せが逃げちまう」

そんなものからはとっくの昔に縁を切られているのにと心の中だけで呟き、飛葉は曖昧に笑う。

「どんな時でもとりあえず笑う。それが男ってもんだ」

「やせ我慢して?」

「ああ、やせ我慢して、やせ我慢して、やせ我慢して、胃を悪くするのが男ってもんだ」

「やだねぇ、そんなのは」

「若いうちは、そう思うもんだ。俺くらいの歳になったら、それがいいもんだと思えるようになる。それまで長生きしろよ、ボウズ」

 男はそう言うと、テレビを見上げたまま口を閉ざした。

 男の背中には明らかに銃弾による傷がある。それから背中一面に小さいけれども鮮やかな傷跡も。地雷か手榴弾か空爆かはわからない。だが男は確かに死に直面し、死線をかいくぐりここにいる。それが飛葉の胸に心地よい親近感を生む。

「じいさん。あんた、いつの生まれだい?」

「10月だ。10月の8日」

「蠍座か、よかったな。明日はラッキーデーだとさ。思いがけない幸運が舞い込み、恋愛運も最高。新しいことにチャレンジすると大成功」

「おお、そうか。やっぱり長生きは、してみるもんだ。おめぇは?」

男は飛葉の手から夕刊紙を取り上げて、星占いコーナーに目を落とす。

「8月1日。獅子座」

「ああ、8月1日だぁ?!!」

それを早く言えと、男は飛葉の頭を軽くこづいて番台へ駆け寄る。戻った時、男はコーヒー牛乳とフルーツ牛乳を手にしていた。

「何だよ、これ」

「誕生日プレゼントだ。コーヒー牛乳はワシ、フルーツは番台のオヤジの奢りだ」

「え……今日は8月1日か」

「誕生日くれぇ、覚えとけよ。少なくとも、おめぇの生まれた日を忘れないでくれる女ができるまではよ」

「うっせぇよ。俺は、女なんか好きじゃない」

飛葉は毒づきながら、けれども会釈をして二本の瓶を受け取った。

 瓶はいつでもいいぞと、番台から声がかかる。飛葉は腰に手を当てて2本のガラス瓶を空にして、それから勢いよく両手を合わせ、

「ごっそさん」

と言った。


飛葉ちゃん、誕生日おめでとう。
君は永遠の17歳でいてください。


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