伝説になった男


 ヘッドライトに浮かぶ山道はアスファルトで舗装されてはいるが、その状態は極めて悪く、タイヤを取られかねない轍や窪みが点在していた。しかし飛葉はアクセルを開け放したまま慣れた動作で障害をかわして前進する。バックミラーには数メートル遅れて後続する数台のバイクの姿があった。

 ゴール地点までは3キロ。この先には腕に覚えのある者しかハイスピードで通過できない連続コーナーが待ちかまえている。急な下り傾斜を有するそこは、傍若無人を誇る街道レーサー達でさえある種の恐れを感じるポイントだったが、バイクを手足のように操る飛葉にとっては取るに足りないものでしかない。

「あんの野郎、バケモンかよ」

後続グループのトップを走っていた少年が歯を噛み鳴らした。

 国道801号線が県境の山間部に差し掛かる辺りは急カーブが連続している上アップダウンが激しいため、いつの頃からか公道レースのメッカとなっている。特定のグループを形成することなく、三々五々と集まってきた彼らは週末の夜ともなると複雑なコースでスピードを競い合うのが常であった。街道レースの常連達の中でも最速を誇り、決して何人も己の前を走ることを許すことがなかった彼だが、数カ月前から時折現れるようになった『世界』と名乗るライダーにことごとくうち負かされ、その度に賭けレースの上がりを横取りされることが腹立たしい。本心を言えば賭けた金が惜しくはないというのではなかった。それよりも腹に据えかねるのは『世界』が常に彼の前を疾くことではなく、新参者のライダーが彼らをからかうような走りをすることだった。

 あと少しで横に並ぶことができるところまで距離を詰めたかと思うと、次の瞬間には猛スピードで引き離される。そんなことを1度のレースの中で何度も繰り返された夜には、初めての殺意を覚えたりもした。まるでこちらの手の内を全て読んでいるかのようなライン取りも厄介この上なく、ごく短い直線コースで追い越しを賭けようとした時には、巧みな操車で行く手をことごとく遮られてしまう。この夜もまるで彼をはじめとする面々をまるでいたぶるかのような走りを見せて遙か彼方を走るバイクを追いながら、何とかして一矢報いる隙を虎視眈々と窺ってはいたのだが、山中の採石場を行き来する大型ダンプがつけた轍に阻まれてしまい、その目的は果たせないでいた。

 最後のコーナーを抜けた時、眩しい光りに飛葉の視覚が刹那奪われる。突然の出来事にも体勢を崩すことなく急停止した飛葉の鼓膜を、拡声器を通した怒声が震わせた。

「止まれ!! 付近を走行する車輌や住民から通報があった。お前達全員、危険走行と速度超過、その他の容疑で検挙する!!」

道路を塞ぐ3台のパトカーから盾と警棒で武装した警官が走り出る。彼らが防御のための陣形を整えたのに続き、飛葉の後ろを追いかけていたバイクが次々にやってきた。予想していなかった警官の出現に焦った彼らの幾名かはその場で転倒し、かろうじて体勢を保った者達も茫然自失といった様子で警官隊を見つめている。

 「ったく、無粋もいいトコだぜ」

飛葉が吐き捨てるように言った。

「一体、どういうことだ?」

「何のこたぁねぇ。どっかの誰かがチクリやがったのよ」

飛葉の表情はヘルメットとゴーグルに遮られて窺うことはできなかった。しかしひるむことなく警官を見据えた飛葉は、口元に不敵な微笑みを浮かべている。

「俺ぁ、とっととばっくれるからよ、あとはてめぇらに任せたぜ」

「え、おい、世界、一体どうする気だ!」

「男なら前進あるのみ!!」

 そう宣言するやいなや、飛葉はアクセルを全開にして警官隊へと走り出す。そして盾を構える警官隊の寸前で車体を軽々と跳躍させて闇の中に消えた。その鮮やかな動きに、街道レーサー達の間では感嘆の溜め息が生まれる。それは公道の安全を脅かす無法者を検挙しに来た筈の警官隊においても同様だった。しかしいち早く我に返った指揮官の号令により、国道801号線を我が物顔で走り抜けていたライダー達は全員、留置場送りとなったのである。

◇◇◇

 ワイルド7のメンバーが日を置かずに通っているスナック『ボン』では草波勝が苦々しい表情で煙草をふかしている。その正面では世界が、やはり同じように紫煙を口にしていた。

「何度も言うが、本当に貴様ではないのだな」

「ああ、俺じゃぁない。何が嬉しくてケツの青いガキどもに混ざって峠を攻めなけりゃならないんだ?」

「国道801号線の街道レースでは、毎回賭が行われているそうだ」

「ガキどもから巻き上げるほど、金に困っちゃいない」

うんざりとした様子で世界が答えたが、草波の目には未だ疑惑の色が濃く宿っている。

「現場にいた警官の話では、たった一人逃走したライダーの操車技術は相当なものだったという。短い助走距離で警官隊とパトカーを飛び越えられる人間は、そうそういない。私が知る限りではワイルド7のメンバーだけだ」

「隊長さんよ、いい加減にしろよ。世界なら昨夜、俺達と飲みに行ってたんだぜ。そいつがどうやって東京から1時間はかかる場所にいるガキどもをいたぶるっていうんだ」

「そうそう、俺達は日付が変わってからも店にいたんだからさ、今回ばかりは完全な濡れ衣ってやつだよ」

八百とオヤブンが世界を擁護したが、草波は納得しかねると言わんばかりに

「まさか、こいつを庇い立てする気ではなかろうな」

とまで言う。

「いい加減にしてくれ、隊長さんよ。いくら早く走れるとは言っても素人。俺達がちょいとその気になれば楽々押さえ込めるような相手だぞ。俺はそんな連中から金を巻き上げるような真似をする気は、これっぽっちもない」

「そうさ、隊長。俺っちはプロだぜ? プロが素人を食い物にするわけねぇって」

「そうそう、あんたの部下を信じろよ」

「俺達は悪党相手なら本気にもなるが、その辺のチンピラを相手にするほど暇を持て余してるわけじゃねぇよ」

 草波は世界の目を見据え、それからその周囲にいるメンバーの顔を見た。

「そうまで言うのなら、今回ばかりはお前達を信じてやる。だが、今度同じようなことがあったらお前らの身柄をそっくり所轄に引き渡す。覚えておけ」

そう言うと、草波は彼の分のコーヒー代をテーブルに置いて店を出た。

 任務に就いていない時には全く信用されていないことを暴露するかのような草波の言動に、残されたメンバーは不満を露わにしていたが、

「そういや、飛葉ちゃんは?」

という両国の声に、誰もがまさか、もしかしてという顔になる。

「旦那、ヤツに名前を騙られたんじゃねぇのか」

八百がニヤニヤと笑った。

「まさか、いくら何でも……」

両国が飛葉を庇おうとしたが、ヘボピーが訳知り顔で飛葉のたちの悪さを語る。

「飛葉なら、やりかねんだろ。腹ごなしついでに臨時収入が手にはいるとなりゃぁ……」

「まぁな、ヤツもまだまだケツの青いガキだからなぁ」

チャーシューが笑い、

「ま、そうだとしてもよ、飛葉を許してやんなよ、旦那。ここは大人の余裕を見せつけるのがいいと思うぜ、俺はよ」

と、オヤブンが言った。そして世界はというと苦虫を噛みつぶしたまま沈黙を守っている。

 その時ドアが開き、飛葉が店に入ってきた。

「あれ、みんな揃ってたのか」

その暢気な口調に世界以外が苦笑を浮かべたが、草波の来訪を知らぬ飛葉は気づかない。

「あ、イコちゃん、コーヒーちょうだい。熱いの」

「飛葉、そこに座れ」

世界が彼の正面の席を指し、飛葉は素直にその言葉に従う。

「お前、昨夜はどこにいた」

「ちょっとね、野暮用で出てた」

「国道801号線で俺の名を騙ってサツをからかったのは、お前だな、飛葉」

「なんだ、もうバレちまったのか」

悪びれる素振りも見せずに笑う飛葉の頭に、世界の拳が入る。

「いってぇなぁ、何すんだよ、世界」

「素人から金を巻き上げるような真似をするな、みっともない。しかも人の名前を出しやがって、俺はさっきまで草波にあらぬ疑いをかけられて、散々な目に遭ったんだぞ」

「いい大人が、そんなことでいちいち腹ぁ立ててんじゃねぇよ」

飛葉が言い終わらないうちに、二つ目の拳骨が炸裂した。

「何だよ、何だよ、ケツの穴ぁ、小せぇぞ、世界」

ふて腐れた飛葉が抗議の声を上げたが、世界はとりつく島を与えることなく言い募る。

「俺の名前を使った理由を聞かせてもらおう」

「俺達の中で一番歳食ってるあんたなら、街道レースなんぞに絶対出てこねぇと思ったんだよ!! だいたい、最初に俺にちょっかい出してきやがったのは、ヤツらなんだぜ。いつだったか通り合わせた時に煽ってきやがったもんだから、ちょっとからかってやったら本気になりやがってよ。下手くそのクセに。そんでもって暇な時に出てって……」

「それで賭けレースをしたわけか」

「全戦全勝」

自慢げにVサインをしてみせた飛葉に世界はこめかみを押さえ、残りのメンバーは盛大に笑い出す。

「ま、心配すんな。みっともない走りはしてねぇし、昨夜の一見で峠の世界は伝説になったってもんだ」

飛葉はそう言い放つと、美味そうにコーヒーを飲んだ。


峠を攻めるのは若気の至りだそうですが、
飛葉が相手ではさすがに分が悪すぎます。
本人の知らない場所で勝手に伝説にされた世界は気の毒ですが、
飛葉には何を言ってもしょうがないので諦めと悟りの境地へ……(笑)。


HOME ワイルド7 創作 短編創作