残像 13


 眠そうな顔をした飛葉が『ボン』の扉を開けると、いつものテーブルに仲間がいた。時計の針は正午をとっくに回っている。飛葉は『ボン』の女主人のイコにコーヒーを頼むと、大欠伸をして空いている椅子に腰を下ろした。

「おいおい、飛葉ぁ。なんだよ、でっかい口開けてよー」

呆れたように両国が言う。

「なんか、昨夜は寝付かれなくてよ」

「お前でも、そんなことがあんのか?」

「どういう意味だよ?」

「子どもはよく寝るってことさ」

他の仲間が会話に加わると、彼らが陣取っているテーブルは途端に賑やかになる。

「ガキじゃねーって言ってんだろ?」

と、面倒そうに飛葉が言うと、すかさずヘボピーが言葉を返す。

「おい、ちゃんと寝ねぇと、でっかくなれねーぞ」

その言葉に6人のメンバーは声を上げて笑った。飛葉はテーブルの上に置かれたコーヒーカップに砂糖を2杯とミルクを入れる。

 既に話題は他のことに移り、仲間がそれぞれに談笑している様子を眺めた後、飛葉は世界に視線を向けたが、世界は普段と少しも変わらない。

「何だ?」

飛葉の視線に気付いた世界が言った。

「あんた……この間の晩に会った女に、随分と親切だったらしいな」

飛葉の言葉に誰かがからかうような口笛を吹いた。

「昨日、隊長から言われて用足しに行ったんだよ、あそこに。刑事課の若い兄ちゃんにイヤミ言われちまったんだぜ、こっちは。バッジをちらちらさせて無理矢理事情聴取して、あの女の知り合いを釈放させたってよ。みみっちいヤマに口突っ込むなって、偉そうによー」

少々誇張を加えた飛葉の発言を、他の仲間が混ぜ返すように言う。

「世界ぃ、なんだ、なんだぁ。やっぱ、あの女、おめぇのコレかい?」

「すみに置けねぇよな、旦那もよぉ」

「いい女だったもんナァ」

飛葉が世界を見ると、彼は面白くなさそうな表情で煙草を燻らせている。

「んじゃ、昨日ここに顔を出さなかったのは、女と一緒だったからか?」

オヤブンの言葉に世界は、

「昨日はアパートで寝てた。だいたい、あいつとはそんなんじゃねぇ」

「今はそんなんじゃなかったとしても、これからはどうだい? 十何年かぶりの再会だったんだろ?」

世界は短くなった煙草を灰皿に押し付けると

「それほど、若くねぇさ。アイツも、俺も」

と、静かに言った。

「じゃ、俺が口説いても文句はねぇな」

八百の言葉に世界は薄い笑みを浮かべる。

「お前なんかの手に負える女じゃねぇと思うが……ま、いい経験にはなるだろうよ」

「お、言ってくれるじゃねぇか。おい、電話番号、教えろよ」

「生憎、聞いてない。知りたけりゃ、この間の警察に行って、嫌みな刑事課の連中にバッジを見せて聞いてこい。それくらいの骨を折る値打ちはあるぜ」

世界の言葉に八百は、お手上げだと言わんばかりのジェスチャーを返す。

◇◇◇

 世界の中でも、美奈は過去の思い出でしかないことを知った飛葉は、無意識のうちに心の中で安堵の息を吐いていた。世界と美奈、その二人に先日の再会を再出発のきっかけにするつもりがないのであれば、自分が口を出せるはずもない。

 美奈は裕美を他の誰でもない、自分だけの娘だと言った。おそらく、それが真実なのだろう。美容師として自立し、娘を育てている美奈と、母親の手助けをしている裕美は互いに支え合い、楽しく暮らしているのであれば、飛葉はそれで充分だと思う。肩を寄せ合い、励まし合いながら長い歳月を共に過ごしてきた母娘の強い絆はこの先も変わることはなく、そして二人の存在が世界を変えることもない。

 子どもじみたわがままだとは思うのだが、もう少し、もう少しだけ今のままでいたいと思う。いずれは世界にも仲間と同じくらい、ことによれば仲間以上に大切に思う人間が現れるに違いない。だができることならば、その日はまだ先のほうが有り難い。世界には幸福を手に掴んでほしいと、飛葉も願ってはいるのだ。けれど今は、もうしばらくの間だけは世界の最も近くにいる仲間の一人でありたいとも思う。矛盾する己の思考に少々呆れながらも飛葉は世界の、そして仲間全員の幸福を願わずにはいられなかった。いつでも戻ることのできる、あたたかな場所。それを手にしてほしいと――。

◇◇◇

「おい、飛葉」

世界の言葉に、飛葉が顔を上げた。

「心配をかけたらしいな」

世界の隣に座っている八百が、飛葉に目線で合図を送る。

「ま……仲間だからな……」

飛葉の答えに世界は少し目を細めた後、新しい煙草に火を点けた。


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