邂 逅 ―5―


 最初に根を上げたのは飛葉だった。

 筋力トレーニングと22口径の銃を使った基礎訓練は単調極まりない。午後のバイクの訓練も退屈なものだったが、それでも全身を思う存分動かせる分だけ救いがあった。しかし常に同じ位置に立ち、変わらぬ距離を隔てた標的の中心に弾丸を撃ち込み続けるのは、賽の河原での石積み遊びのように終わりが見えず、それが飛葉の神経に障る。射撃訓練が繰り返される中で無数の弾丸を撃ち込まれた標的が使い物にならなくなると、世界は一見しただけで手製と知れる新しい標的を飛葉に無言で寄越し、飛葉は渡された新しい標的にげんなりとした視線を落としてから、大きな溜息をついて地面に突き立てられた柱にくくりつける。そして少しの面白みもない姿勢と動作で弾丸を発射するだけの訓練が続けられた。

 同じ動作を何度も繰り返すせいか、飛葉は時折、集中力を失してしまうことがあったが、世界は集中力の些細な乱れも許すことなく、飛葉の射撃姿勢の矯正を続ける。同じ注意が度重なれば、必ず世界の拳が飛葉の鳩尾に打ち込まれた。

 幼い頃からガキ大将を絵に描いたような日々を送り、横浜で最大規模を誇る暴走族のリーダーとして、傘下に多くの少年を擁していた飛葉にとって世界の拳をその身に受けることは屈辱でしかなく、世界もそれを承知で飛葉の自尊心を地に叩きつけるような言葉を選び、容赦ない痛みをその精神と肉体に与えていく。

 世界に服従しなくてはならない羽目に陥ったのは、自らが持ちかけた賭に敗北を喫したためだということは、飛葉自身が誰よりも承知している。だからといって素直に世界の指示に従えるほどの分別は限りなく無に近い。そして無理矢理押さえ込んだ反抗心は時を経る毎に鬱屈した様相を呈し、この日何度目かの世界の叱責により臨界を突破したのだ。

 「やってられっかよ!」

叫びと共に飛葉は22口径の拳銃を地面に投げ捨てた。

「毎日毎日、バカみてーに同じことを繰り返すばっかじゃねーか。こんなことが何の役に立つってんだよ! うんざりなんだよ、もう!」

鋭い飛葉の視線と言葉を事も無げにやり過ごした世界が、拳銃を拾うように指示したが、飛葉も今度ばかりは屈しようとはせず、怒りに燃えた目で世界を見据えている。

「拳銃を拾え」

「やだね」

「もう一度言う。拳銃を拾え、飛葉」

「てめぇの指図は、もう受けねぇよ」

連日の基礎訓練に嫌気がさした飛葉が、世界を含める周囲の全てに八つ当たりすることは、これまで全くなかったわけではない。だが一頻り騒ぎさえすれば、不承不承ながらも訓練に戻るのが常であった。そして今度ばかりは状況が異なることを察しはしたものの、世界は敢えて気づかない振りを決め込み、飛葉のプライドを刺激する戦法を選んだ。

「お前は俺との勝負に負けた筈だ」

世界が静かに言う。

「そうさ。だから今まではてめぇの顔を立ててやってたんだよ。けど、それももう、お終めぇだ。俺は俺の好きなようにする。他人にいいようにこき使われるのは、まっぴらだ」

飛葉が不敵な微笑みを浮かべた。

 世界が余裕を見せつけるように懐から煙草を取り出した時、飛葉の右手が世界の顔面めがけて繰り出される。だが世界は間一髪のタイミングで飛葉の拳をかわした。

「往生際が悪いぞ」

「うるせー! 俺は俺の好きにするって言ってんのがわかんねーのかよ。今までだって、誰にも俺の邪魔をさせたこたぁ、一度もなかったんだ。ちょっとくらい、年寄りに花を持たせてやったからって調子に乗ってンじゃぁねーよ」

「ほう……」

飛葉の言葉を鼻で笑うと、世界は殊更味わうように、殊更ゆったりと煙草を吸ってみせる。

「もう、今までみたいにはいきゃしねー」

 そう言い捨てた飛葉の左の拳が空を切った。世界は反撃しようとはせず守りに徹する。時には身を翻し、また時には四肢を素早く動かして飛葉の攻撃をかわした。そして飛葉は世界の虚を突くように攻め立てる。飛葉の軽快なフットワークは、喧嘩沙汰など珍しくなかったであろう、かつての生活を彷彿とさせると共に、強い撥条(ばね)に恵まれた飛葉の持って生まれた恵まれた肉体的な資質を見せつけた。

 バイクの走行訓練でも優れたバランス感覚と勘の鋭さを見せた少年が豊かな才能の持ち主であることは、世界も充分に承知していたのだ。不安定な基礎から生じる、バイクを走らせる際の微妙なバランスの崩れを矯正するのは容易ではなかったが、一旦体に覚え込ませさえすれば確実に自身の糧とし、二度と忘れることはなかった。剥き出しの反抗心や気性の激しさに閉口することはあったが、若さ故のかわいげのなさも見方を変えれば頼もしくさえある。それだからこそ忍耐を持って飛葉の指導役を務めることができたと言えた。否、日に日に成長していく飛葉の姿を眺めること自体に楽しみのようなものを見出している自身に気づいた時、世界は飛葉大陸という逸材の持つ可能性にあらゆるものを賭してみたいとさえ思っていたのだ。


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