七夜目の真実―Side of others 3rd―


 細い金属の棒で鍵穴を探るだけで、武田浩一のアパートのドアは簡単に開いた。武田本人はいうまでもなく、周囲の人間に知られたら人権蹂躙だと攻撃されることが必至の家宅捜索は慎重に、そして手早く行われた。彼らは他者がこの部屋に侵入した痕跡を一切残さないようにするためには、一通りの作業を終わるまでには相当な時間がかかるだろうと予測していたが、質素な生活をしている武田の住まいには最低限必要だと思われるものしかなかったため、極秘裏に行われた捜索は速やかに進められている。

 室内にはビニール製の洋服収納家具と小さな整理箪笥と書棚が一つずつ。書棚には溶接や危険物取扱免許取得の準備用のものと思われる専門書、金属加工技術の専門雑誌や漫画本が並んでいる。趣味のものと思われるその他の本はどれも皆、当たり障りのないものばかりで武田浩一がごく一般的な暮らしを送っていることが偲ばれた。

「随分、真面目なもんだな……」

両国が危険物取扱教本を手にしたまま独りごちた。

「見ろよ、これ。あちこちに赤線引いて、書き込みまでしてあるぜ。工業高校に通ってる連中だって、教科書をこれほど使い込んじゃいねぇよ」

「こういうのはよ、ヤツの仕事に必要なのか?」

「別に資格がなくたって技術がありさえすりゃ、仕事なんてできるんだけどよ。溶接でこの先ずっと食ってこうと考えてんなら、あったほうがいいに決まってる。資格がありゃ給料も上がるし、金さえ貯めりゃ今の勤め先を出ても独立だってできるし、他の工場に移るってことになっても有利だもんな。資格さえ取っちまえば前科者でも何とかなるって考えてんだろうな、きっと」

そう呟いて両国は本をもとの場所に戻し、八百は整理箪笥の中に意識を戻す。世界は室内の一角に設けられた流し台の当たりを探っていたが、男の独り暮らしに最低限必要なものしか見つけ出せず、押入にも布団や季節はずれの衣類以外のものは見つけられなかった。

「武田は……シロと見ていいんじゃないか」

八百が言った。

「部屋を見た限りではな」

「けどさ、他に倉庫だとか部屋だとかを借りてる形跡もなかったろ?」

「書類上はな」

「警察の連中にも知られずに人間を隠しておける場所なんざ、もう日本には数えるほどしか残ってねぇだろうな」

「仮にそこを東京だとしたら……コンクリの重りをつけて東京湾に捨てるか、何処かの造成地に埋めるか……」

 終戦から20年余りの歳月が流れた東京近郊で、複数の成人の死体を隠せる場所に出向くには自動車を使うしかなかったが、運転免許証さえ持たない武田が何らかの形で自動車を手に入れたとしても、自身の意志を持つ年齢に達している人間を――その生死に関係なく――どこかに運ぶのは無理な話でしかない。彼らは畳を上げ、畳の下に敷かれた古新聞や床板、床板の下の地面に至るまで詳細に調べてみたが、ここ数年のうちに人の手が加えられた痕跡を見つけることができなかった。

 決して裕福とは言えない経済状態の人々が住む町に、共働きをしている主婦が帰宅するよりも早く、収穫を何一つ得られなかった三人は武田のアパートを後にした。

◇◇◇

 佐倉川を張っていたオヤブンから容疑者帰宅の無線が入り、世界が終夜の監視の交替のためにガレージを後にした。その数十分後にオヤブンから連絡があり、八百が武田のアパートに向かう。それからしばらくして、オヤブンとチャーシューがガレージに現れ、その数分後にヘボピーが横浜から戻った。彼らと両国は息抜きと食事のためにボンに出かけ、それぞれが得た収穫を聞き出そうとしたが、佐倉川と武田の両容疑者を尾行していた二人は特に何もないと言い、両国も武田の部屋からは何も見つけられなかったと言う。そしてヘボピーも同様に、事態に変化をもたらすものを掴んではいなかった。

「なーんか、おっかしーよな。飛葉ちゃんはよ、どっかに遠出したりした時にゃ、必ず俺っちかチャーシューの店に電話入れるよな」

と、両国が言った。

「ああ。両国の会社とうちの店と、あとは隊長ンとこくらいだもんな。電話のあるトコは……」

「あいつ、ああ見えてリーダーの自覚だけはあるからよ、ぜってー1日で戻ってこれる場所にしか行かねぇんだ」

「やっぱ、何かあったか」

「何が?」

「俺にも両国にも電話がかけられなくて、隊長ンとこにも連絡が入れられないようなことさ。事故ったってんなら、病院から隊長ンとこに連絡が入るだろ? 免許証くらい持ってるはずだしよ、だいたい、ヤツが丸腰で出かけるとは考えにくいんだよな。チャカはともかく、バッジくらいは……」

「まぁな……」

「おいおい、てめぇらは一体全体、誰の話をしてやがんだ?」

神妙な表情になった両国とチャーシューに、オヤブンが鼻息を荒くして言った。

「だいたいな、殺されるようなことがあっても絶対に死にゃしねーんだよ、飛葉って野郎はよ。その辺のゴキブリやどぶネズミよりしぶとい男が、簡単に殺られてたまるかってんだ」

チャーシューと両国に今にも掴みかかりそうなオヤブンの気勢を殺ぐように、ヘボピーが立ち上がり

「じゃ、俺はもう少し心当たりをぶらついてくらぁ」

と、言った。他の三人があれこれと話している間中、ヘボピーは無言で注文した料理を平らげることに集中していたのだろう。彼が注文した料理の皿はすっかり空になっている。オヤブンが

「おい、ヘボ。お前、昨夜ろくに寝てねぇんだろ?」

と、言った。

「二人を張ってたお前らも似たようなもんだろ」

とヘボピーは答え、自分の勘定をテーブルに置く。

「俺はよ……じっとしてるのも苦手なら、仲間がいきなり姿をくらましたままってのも好きじゃねぇんだよ」

 ヘボピーの後を追って店を出たオヤブンが、ハーレーのエンジンを温めている仲間に声をかけた。

「おい、ヘボ! 飛葉を探す当てはあんのか?」

「ねぇよ。昔のダチも当たったし、連中から聞き出した場所も回った」

「んじゃ、付き合えや」

オヤブンはそう言い、ヘボピーのバイクの後ろに乗り、

「さてと、飛葉のアパートにやってくれ」

と言った。

◇◇◇

 ドアの鍵を針金で開けた二人は、飛葉の部屋に入った。室内は若い男の独り暮らしの気楽さそのままに適度に散らかされている。

「相変わらず、汚ねぇ部屋だな。女っ気がねぇから、見栄もはりやしねぇんだよ、飛葉は」

などと言いながら、オヤブンは奥の和室に進んだ。しかしヘボピーは入り口近くの流し台の前に足を止め、そこから動こうとしなかった。

「どうした、ヘボ」

「いや、妙だと思ってな」

「妙って……汚れ物が突っ込んだままになってんのがか?」

「ああ。飛葉はな、食い意地が張ってるだけあってよ、丼だの鍋だのを使った後は、ちゃんと片づけんだよ」

「そういや……軽井沢ン時も、台所だけはマメに片づけてたな」

「ああ。飛葉の顔を最後に見たのは、前のヤマが片づいた次の日だ。コレくらい、片づける余裕はあったはずだ……」

「ちょいと用足しか何かに出たかもしれねぇな。後でコレを片づけるつもりだったとか」

「あの日、ボンで会ったよな。ボンから帰ってから洗うつもりだったかもしれねぇ」

二人はしばし、沈黙した。そしてどちらともなく

「まずいことになってるかもな」

と呟いた。


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