帰 省 3 

 「これっつぽっちじゃ、足りないよ〜」

食卓を見るなり、成歩堂が言った。

「だって、今晩はお祭りだから。それでいいでしょ?」

台所とは違う方向から、成歩堂の母親の声が返る。

「え? どこ?」

「神社の夏祭り。いつも夏休みの最後にやってたの、忘れたの?」

その言葉に成歩堂と御剣は、遠い記憶を蘇らせる。どうせ買い食いするのだから、腹六分で充分だと言われて成歩堂は納得し、御剣は怪訝な表情を浮かべた。そんな御剣にお構いなしに、成歩堂は御剣を急かしながら夕食をかっ込む。言われるままに食べながらも、しっかり味わうこともなく食事をするのは、作った人に失礼ではないかと御剣はひっそりと意義を唱えた。しかし成歩堂は取り合おうしないどころか、今はそういう場合ではないのだと御剣を急かす。そうして何が何やら分からないうちに慌ただしい夕食が終わると、一息入れる間もなく湯を使うと言い出した。

 食事をした直後の入浴は、身体に悪いと御剣が言うと、

「汗流すだけ。頭も洗わなくていいから、お湯かぶるくらいでいいんだよ」

と、成歩堂が答える。意味が分からない御剣は言われるままに汗を流すだけで風呂場から出ると、成歩堂の母親の呼ぶ声に応えて家の奥に進む。

 「怜侍君、どっちの柄が、好き?」

そこには二着の浴衣を広げて成歩堂の母親と祖母とが待っていた。全く予想外の出来事に御剣が反応できないでいると、

「怜侍君は縹の縞の方がいいかしら、ねぇ、お祖母ちゃん。龍一には紺地にして」

「どっちも一度、当ててみたら?」

などと、成歩堂家の女性達が言葉を交わし、それから浴衣が代わる代わる御剣の胸元に近づけられて、

「どっちも似合うけど……やっぱり縹色の方がいいかしらね、粋で」

と、本人の意思などお構いなしに事態が進んでいく。

「あ、浴衣。新しいの、縫ってくれた? もしかして」

「怜侍君が来てくれるっていうから、張り切って縫ったのよ、お祖母ちゃんと二人して。最初は二人、お揃いの浴衣にしようかって思ってたんだけどね。お父さんが、大の男が二人揃って同じ柄の浴衣を着て歩いてたら、まるでどっかの温泉宿みたいだとか言い出して。でも、せっかくなんだからって、結局ね、似たような縞目のね、色の違うのにしてみたのよ。どう、龍一。怜侍君、どっちが似合うかしら?」

「御剣は、どっちがいいんだよ」

突然に話を振られて戸惑う御剣の正面に、成歩堂が立つ。そして二枚の浴衣を代わる代わる胸の辺りに当ててみて、

「やっぱり縹かな。御剣はちょっと色素が薄いから、紺地はちょっとキツイ気がするけど」

と、言う。

 和服とは縁遠いというよりも、全く接点のない生活を送っている御剣は、恐縮しながら成歩堂母子が勧める方を選ぶ。と、つい、と、成歩堂の祖母に腕を引かれて振り向けば、

「おいで。着せてあげるから。それ、羽織ってからでいいから、こっちにね」

と、言われて恐縮至極といった態で素肌に浴衣を羽織る。

「ああ、丈も裄も丁度だね」

と話す成歩堂の祖母が嬉しそうに微笑い、つられるように御剣の顔にも微笑みが浮かぶ。

 「成歩堂……自分で着られるのか……」

手際よく自分で帯を締める成歩堂に気づいた御剣が、訊く。

「浴衣だけじゃなくて、袴も着付けできるんだな。女の子のも、簡単な帯の結びならできるよ」

「何故……」

「あれだよ、門前の小僧、うんたらかんたら……ってヤツ。おばあちゃん、昔は着つけも教えてたから」

なるほど、と、感心している間に着付けが終わったであろう、軽く背中を叩く合図に御剣は、改めて成歩堂家の二人の女性に礼を述べた。

「怜侍君は姿勢が良いから、何を着ても映えるわねぇ……小さい頃はお母さんに似てると思ってたけど、そうしてると御剣先生と目の感じがそっくりで」

そう言った成歩堂の母親が突然に涙ぐみ、御剣先生が生きていらしたらと呟く。

「どんなに怜侍君を自慢に思われたか……PTAの役員をしてくださっただけじゃなくて、何か困った時はすぐに相談してほしい、力になるからって、ねぇ。本当に良い方だったのよ、よく知らないんだけどね、相談事によってはね、ふさわしい専門家がいるからって、知り合いの先生を紹介してくださったりしてね、駅前商店街とか、あちこちで頼りにされてたものよ」

「父が……?」

「ねぇ、私達は御剣先生がすごく偉い弁護士先生だって知らなかったけど。どんなことでも親身になってくだすってねぇ」

「知らなかった……なぁ、御剣」

子供に聞かせられる話じゃなかったから、仕方がなかったのだと成歩堂の母親が言い、その隣で祖母が頷いている。

「でもね、あちらでもきっと、怜侍君のことを自慢に思ってらっしゃるわよ。ねぇ、他人様のために一生懸命になってるんだものね。ホントにね、立派になった姿を一目、見ていただきたかったわねぇ……ああ、ごめんなさいね。湿っぽい話なんかしちゃって。さ、行ってらっしゃい、楽しんできてね。それから、お父さんも怜侍君と会うのを楽しみにしてたから、ほどほどに帰ってきなさいよ」

と目尻を指先で拭いながら、二人は浴衣で装う御剣と成歩堂を玄関に追い立てる。

 玄関に揃えられている二そろいの下駄の一方は履き馴らされており、もう一方は真新しい。

 成歩堂は迷わず新しい方をつっかけて、

「御剣、僕のを履くといいよ。新しい下駄は、鼻緒がキツイから」

と、言う。御剣が遠慮する素振りを見せると、その母親は

「龍一は、面の皮だけじゃなくて、足の皮も厚いから、丁度いいわねぇ。鼻緒ずれも、できゃしない」

と、笑いながら、数枚の救急絆創膏を御剣に手渡す。

「馴れないと、鼻緒にこすれて痛いからね。これ、使いなさい」

「二人とも、楽しんでおいでね」

隣に立つ祖母が、孫とその友人の掌に千代紙で作られた小さな包みを乗せた。

「あら、よかったわね、二人とも」

「ありがとう、お祖母ちゃん」

満面の笑顔を浮かべる成歩堂母子の隣で御剣がうろたえていると、成歩堂に肘を突かれた。

「あ……ありがとうございます」

 躊躇いながらも、礼儀正しく感謝の心を告げる御剣を、成歩堂の祖母が優しく見つめる。感情をストレートに表現するのが不得手な、御剣なりの精一杯の言葉が祖母だけでなく、母親にも伝わっていることを確信した成歩堂は、心の中でこっそりと安堵の息を吐く。

「無駄遣い、するんじゃいわよ。あと、悪さもね。怜侍君、よろしくね」

 どんな時も小言を忘れない母親に苦笑を浮かべながら、成歩堂と御剣は夏の宵へと歩み出した。

「よく考えるまでもなく……逆ではないだろうか?」

御剣の言葉に、成歩堂が『逆?』と反応する。

「我々は既に社会人として、労働に応じた収入を得ている」

「僕の場合、何となく働き過ぎって気がするんだけど……」

「それは、君が単純なだけでなく、人が好すぎる上、要領が悪すぎるのだ、成歩堂」

『ひどい言われようだ』と、成歩堂は暢気に笑い、

「甘栗と、蜂蜜入りの一口カステラ。お祖母ちゃん、好きなんだよ」

と、言った。それから、もらったばかりの袋を覗き

「千円入ってるよ。御剣のと合わせて二千円。これだけあれば、両方買っても大丈夫」

と、笑う。

「お祖母ちゃんは嬉しいんだよ、御剣。御剣は、どう? お小遣い貰って、嬉しくない?」

「うム……ひどく驚いたが……そうだな……同じくらいに……そう……嬉しい……かもしれない」

今の感情を表すにふさわしい言葉を探しているのだろう、御剣の言葉はたどたどしい。けれど、普段から感情表現が豊かとは言えない彼には珍しい応えに、成歩堂の頬が緩む。

「お土産をみんなで食べたら、もっと嬉しくなると思うよ」

「そうか……そうだな……」

「ま、その前にお祭りを楽しむワケなんだけどさ」

 たこ焼きにイカ焼き、リンゴ飴にミルクせんべいと、次々に目当ての店を挙げてみせる成歩堂に半ば呆れながら、御剣が笑う。

「呆れた食い意地だな」

「祭りと言えば、買い食いだろ?」

「私はよく知らないが……普通はまず、神殿にお参りをするものだろう」

「お楽しみは最後に取っておくのも悪くないよね」

 急かすように御剣の背中を、成歩堂が押す。子供のような振る舞いを御剣は窘めるのだが、その声もどこか明るい。

 奉納神楽だろうか、遠くで聞こえる和楽器の音。露天商の客寄せの口上。傍らを駆け抜けてゆく子供達は、成歩堂と御剣が級友だった頃と同じ年頃に見えた。それより幼い子供らの多くは親と一緒で、アセチレンランプに照らされる露店を物珍しそうに眺めている。小遣い銭と値札を見比べる真剣な表情や、空くじはないけれど当たりも入ってなさそうなくじ引きをする直前のひどく緊張した面持ちは、かつては子供だった成歩堂には懐かしく感じられたが、御剣はさり気なさを装いながらも、物珍しそうに視線をあちらこちらへと動かしていて、その様子からこれまで、夜店を冷やかしたり買い食いをしたりといったことが、殆どないように感じられた。

「何か、買ってあげようか。それとも、金魚すくいとか亀釣りとかは?」

「生き物は最後まで責任を持って飼えないからな……」

「じゃぁ、リンゴ飴は? 焼きトウモロコシもいいけど、歩きながら食べるならイカ焼きの方がいいと思うけど」

何が好きなのだと成歩堂が問うたが、御剣は答えられなかった。

 こういう場を訪れる時は両親が一緒で、少し身体が弱かった母は人混みが得意ではなく、どうしても喧噪を避ける道を選んで歩くことになり、それは露店が殆ど並ばない道程となる。祭礼とは言え、夜中に子供同士で出かけることは許されなかったため、気の置けない友人と共に祭りを楽しむことは皆無に近く、祖父母の下で暮らすようになってからは性格的な問題から親しい友人もなかなか作れなかった。そうこうしているうちに祭りだ何だと浮かれていられる年齢ではなくなっていたのだ。

 「どっち? 赤いのと、緑のと。好きな方、選んでいいよ」

御剣がぼんやりとしている間に、成歩堂はいつの間にやらリンゴ飴を二つ手にしていた。健康に良くないことが明かだろう鮮やかな飴の衣を纏ったリンゴは、まるで宝石のように見える。

「味は殆ど一緒。飴が甘くて、中身が普通のリンゴ」

「ム……そうなのか?」

「色、つけてあてるだけだから、こういうのは。かき氷は一応、色によって味は変わるけどね」

『どっち』と重ねて尋ねられて、御剣は赤い方を選んだ。

「緑色のを食べると、舌まで緑色になるんだよな」

「ほう……では、こちらの場合は、赤くなってしまうのだな」

「赤いのはあんまり目立たないけどね。青とか緑とかは目立つんだよな。後で見せてやるよ、御剣」

 意気揚々と笑う成歩堂を悪趣味だと御剣が諫めている間に、二人は本殿に到着した。『ご縁がありますように』と、成歩堂がありったけの五円玉を賽銭箱へと豪快に投げる。裁判所で人を真っ直ぐに指差す時と変わらないキビキビとした動作に御剣は半ば呆れ、半ば感心しながら手を合わせていると、横から成歩堂が願い事は何だと訊いてきた。

「犯罪が少しでも減るように。それから、世界が平和であるように、と」

「真面目だねぇ、検事殿は」

「君の願い事を、聞かせてもらおうか」

「家内安全、無病息災、商売繁盛」

「商売繁盛だと? 随分と俗っぽいのだな、赤貧弁護士君は」

「いやいやいや、切実なんだってば、これが。事務所とアパートの家賃と、それから真宵ちゃん達のお給料だけは、何があっても確保しなきゃなんないんだよね、所長としては」

切実な言葉の中に違和感を覚えた御剣が、待ったをかけた。

「家賃と人件費だけというのは、どういうことだろうか。君の生活費はどうなるのだ?」

「ん〜〜〜、それは、どうにかなるかな、と」

「社会人が……しかも社会的にも重い責任を担う弁護士が、そんな計画性のないことでどうするのだ!」

「大丈夫。食い詰めた時は、頼りになる国家公務員殿の官舎を襲撃する予定だから」

「これはもう、お話にもならないな」

へらりと笑ってみせる成歩堂に、御剣は心底呆れたと言わんばかりに両手を広げ、肩を竦めて見せる。

「冷たいぞ、お前」

「当然だ」

 憮然とした表情を崩さずにいる御剣など気にしていないのか、成歩堂は暢気に笑いながら御剣の袂を引く。こっち、と御剣を導く腕の強引さに眉を顰めながらも、抵抗しないことに気をよくした成歩堂は神社の裏手に向かう。迷いのない足取りで目指す先には闇にとけ込む木々が生い茂る小さな丘があるばかりなのだが、そんなことはお構いなしに成歩堂は進んでいく。

「成歩堂?」

「緑色の舌、見せてやるよ」

最後に『人のいない所で』と言い添えた成歩堂は、どこか有無を言わさぬ空気を纏っているため、御剣は抗議もできずにいる。数分歩いて到着した場所には灯りらしきものはなく、少し離れて神社や露店の列の光の群れが見える程度だった。御剣は成歩堂に抗議しようとしたが、その前に暢気な幼友達は子供のように舌を出す。

 視覚が闇に慣れていたこともあり、少し目を懲らすだけで人工着色料に染められた舌の様子が見えた。灯りの舌ではさぞ鮮やかに見えるのであろう箇所をしげしげと眺めていると、御剣の肩が不意に押される。

 突然のことに体勢を整える暇も与えられず、御剣の背に固い際だ木肌の感触が伝わってきた。その瞬間、身体を攫うかのような強い力で身体を引き寄せられ、抗議の声を挙げる間もなく唇が塞がれた。強張る唇をくぐり抜け、口腔のより深いところを求める成歩堂の熱さに御剣は、簡単に力を奪われてしまう。押しつけられる身体を引き剥がす筈の腕は、いつの間にか成歩堂を求め、その背中に回してしまっている。流されまいとする理性と、唇を媒介として入り込んでくる熱に煽られる情や欲が衝突する度、御剣の身体が震えた。

「き……きさま……!」

口吻の戒めが僅かに解かれた隙を突き、御剣は抗議の声を挙げようとしたが、成歩堂の指で遮られた。

「他の人に、聞こえちゃうよ」

囁かれて御剣が、成歩堂の肩越しに周囲を窺ってみると、そこここの物陰に人影らしきがあり、その全てが二人連れであることが知れる。そして彼らのほぼ全員が肩を寄せ合ったり、抱き合ったりしていることも、何とはなしに感じられた。

「そういう場所なんだ、ここ」

「どこまで無神経なのだ、キサマは」

誰かに見咎められたらどうするつもりだと、御剣が声と怒りを押さえて囁く。

「誰も見てないよ。みんな、目的が同じだから、見逃してくれるんだ」

他の誰かを見てる余裕なんてないんだよね、と成歩堂は笑いながら、再び御剣に口づける。諦めたのか呆れているのか、それとも開き直ってしまったのか、或いはその全てなのかは量りかねたが、御剣も多少はリラックスできているようで、成歩堂の背中に回されている腕から過剰な力が抜けた。積極的に仕掛けてはこないけれども、この状況がまんざらでもないのだろうと、成歩堂は右の掌を鶯色の浴衣地の下に滑り込ませようとした瞬間に、髪が後ろに思い切り引っ張られる。

「調子に乗るな。着崩れたら、どうするのだ」

「僕が直してあげるから……」

 だから続きをと成歩堂がねだると、御剣が唇の片端だけを上げて微笑んだ。それを承諾の意味と取った成歩堂は、ほぼ同時に成歩堂は鳩尾に衝撃を受けた。

「調子に乗るなと、言った筈だが」

聞こえなかったのは残念だと言いながら、御剣は蹲る成歩堂を振り向きもせずに灯りの方へと進む。御剣を引き留めようにも動けない成歩堂が、御剣を呼んだ。しかしその足取りは何ら変わらず、見慣れたきびきびとした動作で遠離っていく。

 迷いのない背中を見送る成歩堂の胸中に、忌まわしい既視感が蘇る。短い、そして絶望しか感じさせない言葉だけを遺し、背中を見送ることも引き留めることも許されず、喪った事実だけを突きつけられて、全ての感情を怒りにすり替えるしかなかった苦い日々。それは既に過去の一つとなっているが、存在したという事実は未だ成歩堂を不安にさせる。

 腹部の鈍い痛みを気力でねじ伏せ、成歩堂は立ち上がった。完全復活というわけではないが、御剣がかなり手加減してくれたのだろう。呼吸に困難を来す程のダメージは受けていない。

 成歩堂は御剣を追って走り出した。しかし神社本殿付近に求める背中は見当たらず、ひたすらに先を急ぐ。アセチレンランプの行列の端に辿り着いても御剣はおらず、成歩堂は人の波をかき分けて進んでいく。

 立ち寄り場所の見当はついている。往路で視線を向けていた店は数える程だったし、それが妙に御剣らしくて、成歩堂は今すぐにでも抱きしめたくなるような愛しさを堪えるのが大変だった。

 御剣と別れてから、まだ十分も経ってはいない。彼は、そこにいる。成歩堂は絶対の確信を抱いて人の流れの中を急いだ。

 「遅いぞ、成歩堂」

商品を並べてある台から視線を動かしもせずに、御剣が言った。僅かに眉を顰めて腕を組んで思案に耽っている様子は法廷でも見慣れていたが、その視線の先にあるものと言えば、天才検事・御剣怜侍にはおよそ似つかわしくない──というより、成歩堂にとっては実に微笑ましい品々である。

「何? どうかした?」

真面目な風を装い、成歩堂が問う。

「蜂蜜入り一口カステラであることに違いはないが、新製品だという抹茶味と通常商品のどちらが良いのだろうか」

 新しい味に挑戦するのであれば、抹茶味がふさわしい。しかし幼い頃からの倣いを優先するならば、通常のものを選ぶべきである。けれど土産物を贈る相手の嗜好を重視するならば、過去に固執するよりも現状を反映した選択をすべきであり、それには成歩堂の意見を聞く必要があるのだという。

「両方買えば? お互いに社会人だから、二種類の一口カステラを買って、更に天津甘栗も買えるだけの経済力はあると思うんだけど……」

「確かに……」

 『キサマも、たまには役に立つ』と、御剣は笑い、上機嫌で二種類の一口カステラの一番大きな袋を買い、当然のように荷物を成歩堂に預けてから再び歩み始める。

 天津甘栗の屋台でも、御剣は一番大きな袋を買った。鼻歌でも歌いかねないほど上機嫌の御剣はどこか得意そうで、成歩堂の足取りも妙に軽くなる。

「喜んでもらえるだろうか」

「盆と正月が一度に来たような騒ぎになるよ、きっと」

「大袈裟だな」

「そうでもないよ。賭けたっていい。お袋は、さすが御剣だって言うよ、絶対。親父も祖母ちゃんも、いつもより美味しいとか言い出すぞ」

「そんなバカなことはあるまい」

「賭けようか?」

「賭博は違法行為だが」

「金品を賭けなけりゃぁ、いいだろ?」

「何を賭けるつもりだ?」

「御剣かな」

何を言い出すのだと言いたげな御剣を見つめ、

「御剣を独り占めした上に、一日中イチャイチャしても怒られなくて、食事も風呂も一緒でさ。手をつないだままで寝るとか、ストロー2本使って同じジュース飲むとか、色々とね。そういうの、したいなぁ」
と、ダメモトで言ってみた。

 仕事柄休日が合わせにくく、二人で連休を楽しめることなど滅多にない。今回は御剣の夏休暇が仕事の都合でずれ込み、成歩堂もクライアントとの約束が急に延期になり、他に急ぐ依頼を抱えていたわけではないという偶然が幸運にも重なったお陰で、二人揃っての帰省が叶ったのである。一度事件が生じたなら日曜日も祭日もない。日付が変わり、空が白み始めても眠れない日々を過ごさざるを得ない変則的な職にお互いが就いているだけに、二人で過ごす貴重な休暇は有意義に使うべきだというのが、成歩堂の密やかな主張なのである。

「安く見られた気がするが……」

御剣は思案顔で腕を組んで呟く。それから不敵な微笑みを唇に浮かべ、この勝負を受けて立つと宣言し、成歩堂も自信たっぷりに御剣の宣言を受け止めた。

◇◇◇

 故郷を後にする電車の車内で、賭に勝った成歩堂は、これ以上ないというほどに上機嫌である。ボックス型の座席に御剣と共に揺られているのは往路と変わりはない。けれど東京を離れる時には御剣の向かいに座っていた成歩堂が、東京に戻ろうとしている今は隣にいる。

 昨夜、成歩堂の両親と祖母は揃って二人が持ち帰った土産を喜んでくれた。成歩堂が言ったように、いつものものよりも美味しいという発言まで飛び出し、成歩堂の勝利は早々に決定的となったわけだ。勝負に勝てなかったことが、負けん気の強い御剣にしては不思議なくらい悔しくはない。賭の結果よりも成歩堂の嬉しそうな様子を見られることの方が価値があるように、御剣には感じられた。楽しみは最後に取っておくのだと、眠る時も布団をピタリとくっつけただけで──朝、目覚めるといつの間にやら寄り添っていたのだけれど──成歩堂に見事な忍耐力を見せつけられた御剣は、通路からは見えないように工夫を凝らしてはいるけれども、座席で手を繋ごうという成歩堂の希望を呑んだのである。

「少しは、気分転換になった?」

「少しどころではなかった」

◇◇◇

 成歩堂家を辞する時、成歩堂の母親が言った。

「おばさんね、怜侍君の浴衣と下駄、大事にしまっておくから。だから、いつでもいらっしゃいね。龍一を引っ張ってきてくれると助かるけど、でも怜侍君なら一人で来ても大歓迎だから」

 成歩堂には御剣連れでなければ戻るなと言う彼女の威勢の良い声が、少し涙に震えているのに気付かない振りをする御剣の胸中は複雑だった。御剣自身、成歩堂と寄り添うことを恥じたこともなければ後悔したことはない。だがそれが、この愛すべき人々を悲しませることに他ならない現実がひどく切なく感じられた。

 「で、どうするんだよ、御剣」

繋いでいた手が不意に引かれ、御剣は成歩堂を見た。

「お前、聞いてなかったな」

「うム、すまない。何の話だった?」

「晩飯、ピザにでもいいかなって。昼飯はそうめんばかりだったし、昨夜は海苔巻きだけだったし、ちょっとしっかりしたものが食べたいんだけど」

「ならば、どこかに食事に出かけてはどうなのだ?」

ピザをジャンクフードに分別している御剣が提案すると、成歩堂はニヤリと笑って異議を唱える。

「ピザをさ、食べさせっこしない? 『あ〜ん』とか言っ……何するんだよ、痛いじゃないか!」

「キサマ、とことん見下げ果てた俗物だな」

尖った後頭部に拳骨を入れ、成歩堂を一瞥する厳しい視線にたじろぐことなく、成歩堂は言う。

「賭に勝ったのは、僕だよ?」

忘れてはいないだろうなと念を押しながら、成歩堂は指を絡ませながら繋いだ手に力を込める。

「休暇の間、御剣怜侍に拒否権はない!」

外食はベタベタできないからつまらないのだと言い募る成歩堂に半ば呆れると同時に、当たり前のように楽天的で前向きな考え方に、御剣は救われるような気がした。

「まるで囚人の気分だ」

「いいね、それ。囚人プレイなんて、どう? 僕ん家でさ」

名案だとばかりにウキウキと語る成歩堂を御剣は、無言で眺める。

「何? 嫌なの、御剣?」

心配顔で覗き込んでくる成歩堂を視線で制した御剣は、勝手にすればいいと答えた。

「私に拒否権は、ないのだろう?」

できるだけ冷淡に言いながら、御剣は絡めた指に力を込めた。


友人サイトに預かってもらってたのを再掲載。
家庭環境とか幼少時については捏造三昧ですが、笑って許してください。

成歩堂の自宅に植えられた花木は石楠花です。
排気ガスなどにも強く、荒れた環境でも良く育つので垣根や街路樹にもよく使うわれます。
成歩堂は男の子なので、祖父ちゃんは白いのを選んだということで。
職人家系に生まれてるけど、お父さんは専門技術系サラリーマンかな。

個人的なイメージですが、成歩堂の場合は手先に関しては器用貧乏だと思う。
それなりに何でもこなすけど、匠にはなれない職人止まりの感じかなと。
だから、弁護士は天職なのだと思います。


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