愛の在処 2


 ネクタイを解き、シャツのボタンを外す瀬戸口の耳に嬉しそうな東原の声が聞こえた。初めての銭湯にはしゃぐ東原を楽しそうに諫める壬生屋の言葉の後に、銭湯に入るという初めての経験に緊張を隠せない舞の声が続く。

 指揮車でのオペレーション中に受けたダメージは、酷い頭痛となって幼い東原を苛んだ。石津に鎮痛剤をもらってすぐに仮眠をとったのが功を奏したのか、今では戦闘終了後の痛々しい面影は微塵も感じられない。舞には紅茶を、壬生屋にはイヤリングを手渡して東原を銭湯に連れて行ってもらいたいと瀬戸口が頼んだ時、舞は酷く慌ててしまった挙げ句にしどろもどろといった状態になり、誰かと風呂にはいることなどこれまでなかったことをすぐに露呈した。それを察した東原は即座に舞を自分と同列に扱って壬生屋によろしくと頭を下げ、壬生屋はいつものお姉さんぶりを発揮して二人の面倒の一切を引き受けるからと胸を叩き、舞は仏頂面の頬を照れくさそうに染めながら不承不承といった様子で銭湯行きを承諾する。そして瀬戸口は3人の女生徒の引率のために銭湯に出向き、ついでだからと汗を流すことにしたのだった。

 浴室では若宮に力の限りに背中を擦られている滝川が遠慮がちな悲鳴をあげていて、速水は先の戦闘での援護の礼だからと無理矢理奪い取ったタオルで来須の背中を流している。

「よう、瀬戸口じゃないか。お前も来たのか」

「ああ、お姫様たちをエスコートしてきたんだ」

若宮に瀬戸口が笑顔で応えた。

「え、でも、ののみちゃんは?」

速水の問いに答える代わりに、瀬戸口はタイル製の仕切の向こうに声をかける。

「ののみ〜、ちゃ〜んと洗うんだぞぉ。それからお嬢さん方にあんまり世話をかけないようにな」

「うん、たかちゃん。だいじょうぶなのよ」

女湯で東原の世話を焼いているらしい壬生屋が、銭湯の作法を知らない舞にも何かと声をかけている様子は男湯にも湯気と共に届けられるようだった。

「そっか、舞や壬生屋さんと一緒なら,向こうに入れるんだ」

「よくもまぁ、そんな細かいところにまで気が回ることだな」

速水と若宮が感心したように言う。

「おいおい、俺を誰だと思ってるんだ? 愛の伝道師サマに向かって言うセリフじゃないな」

「師匠、師匠、俺達はさすがだって言ってんすよ」

「まったく……不肖の弟子を持つと余計な気苦労が増えて、かなわん」

「あ、俺、背中流しますよ、師匠」

これ幸いとばかりに滝川は若宮の手から擦り抜け、瀬戸口の背中を擦り始めた。若宮はそんな二人の美しき師弟関係に満足そうに頷きながら彼自身の身体を豪快に洗う。速水は何が楽しいのか、殆ど声を発しない来須に何やら話しかけている。

 昨夜の戦闘の名残を洗い流した5人は湯船でくつろいでいた。若宮と滝川は頭の上に濡れタオルを置いている。速水が滝川と昨夜の戦闘のお陰で見逃したアニメ番組の話題に花を咲かせ、来須が相変わらず黙りを決め込んでおり――彼の場合、普段から極端に口数が少ないために誰も気にしてはいないが――瀬戸口と若宮が世間話に興じていた時、東原の無邪気な声が聞こえてきた。

「みおちゃんのおっぱい、まるくっておっきいのね」

「いやだわ、ののみさんてば」

「ねぇ、ねぇ、さわってもいい?」

「え、そんな、恥ずかしいですわ」

「触らせてやるがいい。どうせ、減るもんではないだろう」

「芝村さん、そういう言い方は失礼です」

「言葉を変えても事実は事実だ。ののみ、存分に触るがいい」

「何故、あなたが許可を出すんですか!!」

「仕方がないではないか。ののみがそちらのほうがいいと言っている以上、他に選択肢がない」

「あー、まいちゃんのほうがちっちゃいのね、おっぱい」

「こら、ののみ、何を!!」

「あら……うふふ。でも、私達まだ成長期ですから平気ですよ」

「そなたはまだ成長するつもりなのか」

「え……そんな……でもその可能性は……あるかしら……」

「ねえ、ねえ、まいちゃんとみおちゃんのおっぱいさわってもいい?」

「比べないと約束できるか?」

「なにと?」

 男湯にはエッチな雰囲気に突入する直前にも似た複雑な空気が流れていた。若宮は相好を崩し、来須は我関せずといった素振りで天井を見上げている。青春小僧を絵に描いたような速水と滝川は真っ赤な顔を見合わせているばかりか、滝川は時折生唾を飲み下し、速水の面(おもて)にはぽややんとした苦笑いが浮かぶ。

 舞と壬生屋は東原の幼い問いに窮したと見え、それまでの和やかさとはうって変わった様子の沈黙が女湯にも落ちた。

「おおい、お嬢さん方。そんな色っぽい話はもう少し小さな声で頼むよ。こっちでは修行が足りない小僧が二人で困っちゃってね。もう、あちこちカチコチで」

瀬戸口がいつもの軽薄な調子で女湯に声をかけた。瀬戸口と共に湯船にいた速水と滝川が慌てて自己弁護の言葉を仕切の向こうに投げかけたが、二人の言葉が終わるよりも早く女湯と男湯を隔てる仕切と天井との間の狭い空間を越え、銭湯備え付けの洗面器やら腰掛けが投げ込まれる。

 いち早く仕切に身体を寄せていたた瀬戸口は辛くも難を逃れた。来須と若宮はその類い希なる肉体能力を駆使して洗面器と腰掛けを振り払う。だが5121小隊のエースパイロットを目指す少年戦車兵・速水と滝川の両名は経験値の不足とその未熟さ故に、思春期にある少女二人の怒りにまかせた攻撃に晒されることとなったのである。

◇◇◇

 翌日、速水と滝川の二人の悪い噂が流れた。壬生屋と芝村はピリピリした雰囲気をまき散らしていたが、来須と若宮は相変わらずのマイペースで極めて普通の様子で日課の訓練をこなしている。初めての銭湯が気に入りとなった東原は幸福状態にあり、それにつられた瀬戸口もの気分も何故か浮かれ気味で、意識的に抑えようと努力しては見るのだが、我知らず口元が緩んでしまうのだった。

「ねぇ、たかちゃん、きょうはとってもたのしそうだねぇ。なにか、いいとことがあったの?」

東原が上機嫌で普段の仕事をこなしている瀬戸口に問う。

「そう? 俺、楽しそう?」

「うん、とってもたのしそうなの」

幸福そうな笑顔の東原を見た瀬戸口が目を細める。

「やっぱ、愛かな」

「あいなの?」

「そう、愛かもしれないものをね、見つけたかもしれないんだ」

「かもしれないの?」

「そう、かもしれない」

幼い二つの瞳が瀬戸口を見つめた。

「あのね、ののみはおもうのよ。かもしれないんじゃなくて、きっとそれはほんものなの。だってたかちゃん、うれしそうだもの。だからほんものがみつかったんだって、ののみはおもうのよ」

「そっか。ののみは偉いな。俺にはわからないことが、ちゃぁんとわかってるんだな」

 瀬戸口は東原に目線を合わせるために膝をつき、黄色いリボンで飾られた髪を撫でてやった。自身に向けられた東原の笑顔に瀬戸口は、彼が求めていたものがすぐ近くに存在していることを知る。

 愛はこんなところにあった。徒に生き長らえ、絶望に曇ってしまった目では見つけられなかっただけで、彼の身近な息づいていたのだ。

 それは幸福そうな東原の姿であり、彼女を見守る仲間達の存在であり、そして数多の形のない何かであり、その全てを瀬戸口が愛と呼んだところで、誰を憚ることがあるだろう。否、世界中の人間に責められようと、知ったことではないとさえ思えるのだ。

「えへへー、ほめられちゃった。うれしいねぇ」

東原が笑い、瀬戸口も笑う。

「そっか、嬉しいか」

東原が頷いた。

「俺も嬉しいよ。きっとののみのお陰だな」

そう言うと瀬戸口は小さな東原を肩に抱き上げ抱き上げ、悪い噂に意気消沈している筈の不肖の弟子二人と、ピリピリした雰囲気の二人の戦乙女がいるであろうハンガー2階に向かう。彷徨える魂を救う愛と幸福のお裾分けをするために――――。


ドリフのコントみたいな銭湯のお話を書きたかったのです。
あと、愛を求めて時の中を彷徨う瀬戸口君に、
青い鳥は近くにいることを伝えてもみたいのでしたが、
結局の所は、女湯の遣り取りが一番楽しかったですねぇ。

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