ビクトールの災難 2

 1階ホールに残された、呆気にとられて二人を見送った人々の一人が

「……で、ビクトールさんはティル殿に一体何をやらかしたんだ?」

と、独りごちた。二人と一緒に訓練していた者はいないのかという声が挙ると

「俺は一緒だったけどなぁ……別に、何もなかったぞ。いつもの通り、ティル殿は棍を使って、ビクトールさんは剣で……」

と、答えが返る。

「特にもめたってわけでもないし、俺達とも冗談を言い合ったりしてたくらいで、喧嘩沙汰とか誤解だとかもなかったよな」

グレミオの怒りの原因の見当もつかないと誰かが言った後、

「それにしてもグレミオさん、あの細腕でよく、あんな大きな斧を振り回すもんだ」

と、心の底から感心したように言った。

「あら、グレミオさんはあれで結構、いい身体してるのよ。あたし達が二人がかりでないと運べないジャガイモの樽を軽々と持ってくれるんだから」

「そうそう、お洗濯の時も買い出しの時も、進んで重い荷物を持ってくれるもの」

「シチューやスープの入った寸胴だって楽々運んでるわよね」

「どこかの男共ときたら嫌々運んでるばっかりで」

 グレミオを優男呼ばわりした兵士を一瞥しながら、厨房を預かる女性陣が援護の言葉を口にし始めると、普段穏やかなグレミオが怒りを露わにするほどの悪さをビクトールがしたに違いないという話に落ち着きかけた。

 その時、

「あれ、みんな何してるの?」

と、トラン城の主であり、解放軍の若きリーダーが現れた。

「ねぇ、みんな。グレミオ、どこに行ったか知らない? 洗濯物を置いたままどこかに行っちゃったんだけど……」

「グレミオさんはビクトールさんを追っかけて……。ところで、ティル殿。ビクトールさんと何かあったんですか?」

ティルの問いに答えるでもなく、一人の兵士が尋ねる。

「え……訓練の時かい? 別に何もないけど……」

「でも、凄い形相でグレミオさんがビクトールさんを追っかけていきましたよ」

「あんなに怒ったグレミオさんを見たのは、初めてですよ。ビクトールさん、ティル殿に何か言ったんじゃありませんか」

「何かっていったって……」

あちこちから矢継ぎ早に放たれる問いに答えられず、全く見当がつかないとティルが溜息をつく。

「そう言えばさっきの訓練の時、ビクトールから新しい腰の訓練方法を教わったって話したら、急にグレミオがいなくなったんだけど、それと関係があるのかな」

「腰……ですか」

「うん、こうやってね」

と、ティルは先刻グレミオに披露したのと同じように腰を動かして見せた。すると周囲から諦めに似た溜息が聞こえ、グレミオ擁護派の恰幅の良い料理女がティルの肩に手を置いて、

「ティル様、そういう真似をなさっちゃいけません」

と、諭すように言った。

「駄目なの?」

「ええ、いけません。そういうことを人前でするのは……礼儀知らずで恥知らずの大人だけですよ。ティル様は解放軍のリーダーなんですから、そういうことなさっちゃ駄目なんです」

念を押すように言って聞かせる、自分にとっては母親のような年齢の彼女の言葉にティルは素直に頷くと、

「うん、わかった。もうしないよ。それじゃ、僕はグレミオを探してくるね」

と、年相応の無邪気な笑顔を浮かべて立ち去った。

 「ありゃ、ビクトールさんの自業自得だな」

ティルの背中を見送りながら、誰にともなく呟かれた言葉を機に1階ロビーはいつもの平穏な空気を取り戻した。

◇◇◇

 その頃、ビクトールはグレミオの追跡を振り切ろうと、必死に城内を走っていた。時折、共に視線をくぐり抜けてきた仲間に助けを求めたが、追跡者がグレミオと見て取るや誰もが無関心を決め込んだ。そしてとうとう、通路の最奥に追い込まれてしまった。

「待て、グレミオ。話せばわかる」

「既に話し合いの余地はありません」

グレミオの目に強い光が閃くと

「待て、とにかく理由を聞かせろ」

と、ビクトールが言い募る。ビクトールの背後には壁しかなく、完全に退路を断つことに成功したと見たグレミオは、斧を構えたまま答えた。

「あなたは今日、ぼっちゃんに腰の運動などと品のないことを教えましたね」

グレミオの言葉に思い当たることがあったのか、ビクトールの顔から血の気が引く。

「ぼっちゃんは本当に武術の腕を磨くための腰の鍛錬だと、強くなるために続けるのだとおっしゃってます。人を疑うことを知らない素直なぼっちゃんに、よくもそんなデタラメが言えるものです。感心してしまいますよ。ビクトールさん、あなたにはわかっている筈ですね。あれが武術のためのものではないことを……いえ、実際には何の役にも立たないことを……!!」

「いや、将来きっと役に立つ」

「何のですか!!」

「とりあえず、ベッドの中で」

「坊ちゃんはまだ15歳ですよ?」

「今から腰の使い方を練習しておけば、一人前の男になる時に……」

「そんなものは、自然に任せればいいんです。年端もいかない少年に、あなたは一体何をさせようというんですか!!」

「自然に任せて、いざって時に失敗でもしようもんなら、それこそ一生に響くぞ。それとも何か、その時もお前さんが何もかも世話を焼くってのかい」

 ビクトールが苦し紛れに発した言葉は、僅かに残っていたグレミオの理性の一切を奪い去った。グレミオは無言で、そして怒りに身を震わせながら静かな、絞り出すように

「問答無用」

と言い捨て、ビクトールが身構えたその時、救世主の声が聞こえた。

「あ、いたいた。二人とも、何やってるのさ」

パタパタと駆け寄ってきたティルの姿にグレミオは毒気を抜かれ、ビクトールは安堵の息をついた。

「グレミオ、残りの洗濯物をたたんでおいたんだけど、グレミオが繕ってくれる分はどこにしまっておけばいいのかな。急にいなくなっちゃうから、わかんなくって……」

「ああ〜〜〜、申し訳ありません、ぼっちゃん。ぼっちゃんにそんなことをさせてしまうなんて〜〜!!」

ティルの言葉にグレミオは、つい今し方までの怒りなど微塵も感じさせないほどに狼狽え、恐縮してみせる。

「いつも、グレミオがやってくれてるんだから、僕だってたまにはお手伝いしなくちゃね」

「ぼっちゃん……」

「ね、ご褒美に今日の夕食は、グレミオの特製シチューにしてくれる?」

感無量といった様子のグレミオに、ティルが少しばかり甘えたように言う。

「ええ、ええ、もちろんですとも。このグレミオが、腕によりをかけて美味しいシチューをお作りしましょうね」

 ティルとグレミオが微笑ましい様子で言葉を交わすのを、ビクトールは息を詰めたまま眺めていた。そんなビクトールのことなどお構いなしに、解放軍のリーダーとその保護者は夕飯の話題に花を咲かせている。

「それじゃ、ぼっちゃん。早速、夕食の準備をしましょうか」

「うん。それじゃ、僕も何か手伝うよ」

「ぼっちゃんは味見が目当てなんでしょう」

「どうして、わかっちゃうのさ」

「そりゃぁ、このグレミオ。ぼっちゃんがお小さい頃からずっとお世話してきてるんですからね。それくらいは、お見通しですよ」

 普段の穏やかさを完全に取り戻したグレミオは、いつもの優しげな笑顔を浮かべながらティルを伴ってその場を離れた。

 二人の足音が完全に聞こえなくなったのを確かめてから、ビクトールはその場にヘナヘナと座り込み、

「助かった……」

と、豪放磊落を絵に描いたようないつもの彼からは想像もできないような情けない、大きな溜め息をついたのであった。


グレミオがパーティーにいる時の戦闘の最中、
ぼっちゃんが膝をつくと必ずグレミオがぼっちゃんを庇ってました。
そして、何故かその後に必ず必殺の一撃を出す姿に、
優男・グレミオの真の実力とか人格を見たような気がしました(笑)。

絶対、ビクトールは何だかんだとぼっちゃんをからかうでしょうし、
内容によってはグレミオが激怒することもあったに違いないと思うんですが……。


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