美男と野獣 1


 その日、傭兵砦は阿鼻叫喚の渦中にあった。

 ある者は青ざめた顔で蹲り、またある者は呻き声を苦しげに押し殺してシーツの中で背を丸めている。そして手洗いの前の長い行列からはこの世を呪うかのような低い声が絶えず聞こえてきて、砦の重苦しい空気をいっそう沈鬱なものにしていた。

◇◇◇

 まもなく冬も終わろうとしていたある日、傭兵砦では食糧倉庫の大浚えをしていた。厳しい冬を越える間に食糧の殆どが屈強を誇る傭兵達の腹の中に収まっていたため、倉庫内の片づけ自体はさほどの手間ではない。戸外で空の樽を井戸端で洗うのは女達の仕事で、男達は洗い終えた樽を逆さまにして並べていく。倉庫の中では封印されたままの樽が最も風通しのよい場所に移され、当座使う予定の肉の塩漬けや乾燥させた野菜が詰められた樽が運び出された。

 傭兵砦の隊長を務めるビクトールは、倉庫の中で持ち前の馬鹿力を発揮していた。副隊長のフリックは、バーバラやレオナの指図の通りに運び出された樽の落ち着き先の指示を入れる。

 都市同盟の外れにあるこの砦は盗賊団の通り道の途中にあるだけでなく、よその国との小競り合いに巻き込まれることが少なくない。そんなこともあり、ビクトールやフリックをはじめとする戦い慣れした剛の者達が傭兵として駐屯しているのだが、冬の間に頻発する集落や旅の一団達の間で時に生じる食糧の奪い合いもこの年にはなく、時折道を見失った旅人が宿を借りに訪れる程度の変化があるくらいといった案配で、砦周辺はいたって平和であった。
 

  
 しかし春を思わせるその日、突然異変が生じた。

 最初に身体の変調を訴えたのは少年達だった。嘔吐や下痢といった症状を訴えた彼らに下された診断は食べ過ぎや風邪といったもので、症状に応じた煎じ薬を与えられた者から早々に眠りについたのだ。次に身体に異常を感じたのは食糧庫で樽の整理をしていた連中だった。彼らの症状は少年達よりもひどく、高熱で意識朦朧となってしまった数名の男達は大部屋に集められることとなる。そして傭兵砦を預かるビクトールと、その補佐役を務めるフリック、食糧管理を任されているバーバラ、砦の住人達の飲食の面倒の全てを引き受けているレオナの四名はフリックの部屋に会していた。

「一体どうして、こんなことになっちまったんだい」

悲痛な呟きをこぼすバーバラの肩に、フリックが手を置いた。

「バーバラ……あまり気に病まないほうがいい。こう……きっと色んな運の悪い偶然が重なっただけさ」

「そうさ、バーバラ。実際、平気な連中もいるんだから、倉庫を預かるあんたに非があるなんて、誰も思っちゃいないよ」

レオナとフリックがバーバラを慰めたが、世話好きで責任感の強い傭兵砦の倉庫の管理人は倉庫の出入りが多かった者達ほど重い症状に陥っていることをひどく気に病んでおり、その落胆ぶりは普段の彼女の様子からは想像さえできない。

 どんな時も人より騒々しい筈のビクトールが一言も発しないのを怪訝に感じたフリックが

「そう言えば、ビクトール。お前も倉庫の中にいたよな。なのにどうして、お前だけはピンピンしてるんだ」

と、問う。ビクトールは指先で顎の先を掻きながら、言葉にはならない返事を返す。日頃からはっきりとものを言う男のはっきりしない様に不振なものを覚えたフリックは、改めてビクトールの方に向き直る。

「おい、お前、何か知ってるんじゃないのか?」

「いや……まぁ、な」

「知ってることがあるなら、洗いざらい吐いちまいな」

レオナが煙管の先でビクトールの顎をくすぐった。その艶っぽい仕草に見え隠れする剣呑な空気に、ビクトールは生唾を飲み込んだ。

 ビクトールは明後日の方向に視線を泳がせたまま、黙りを決め込んでいる。

「ビクトール、いい加減にしろよ。倉庫で何があったんだ」

煮え切らない相棒に業を煮やしたフリックがビクトールの胸ぐらを掴んだ。

 次の瞬間、フリックが声にならない短い声を発して腹を押さえた。

「フリック、どうしたんだい」

「いや……」

女達に心配をかけまいと、フリックは微笑みを浮かべた──つもりだった。

「あんた、汗! ひどい汗をかいてるじゃないか!!」

「もしかして、あんたまで!!」

レオナとバーバラが同時に叫んだ。そして次の瞬間、フリックは脱兎の勢いで部屋を後にした。

 落ち着かない様子でフリックの様子を見てくると言い出したビクトールの肩をバーバラが押さえ、レオナは妖艶な微笑みを浮かべる。

「なるほど。諸悪の根源は、あんたなんだね」

無精が故にザンバラに伸びたビクトールの前髪を、レオナの白い指が梳く。

「さぁ、正直にお言いよ。言いにくい話かもしれないけどね、場合によっちゃぁ私だって大目に見てあげないこともだいんだからさ」

「そうだよ、ビクトール。観念おし」

「私達が笑ってるうちが花だと思わないかい? ビクトール」

「こっちも穏便にことを終わらせたいんだけどね……」

 まさに前門の虎、後門の狼を絵に描いたような状況に、ビクトールは完全に普段の剛胆さを失ってしまった。それを承知で二人の女はゆっくりと、そして確実にビクトールを追い詰めていく。しかしビクトールは何も答えない。

「言いたくないのはわかるけどね、ビクトール。私もバーバラも、あんまり気が長い方じゃないんだよ」

「そうだよ、ビクトール。私達が本気で怒り出さないうちに白状しな」

 レオナとバーバラ──傭兵砦の猛者共を取り纏めている女丈夫の前ではビクトールも赤子同然。彼女達は口元に微笑みを浮かべてはいたが、その目は少しも笑ってはいない。

 ビクトールはガクリと肩を落とした。

「実は……」

「実は?」

「倉庫の中に……」

「倉庫の中に?」

「他のより小さな樽があったんだ」

これくらいのと言いながら、ビクトールは両手で樽の大きさを示してみせる。

「蓋に……プラムのブランデー漬けってあったもんだからよ……」

「呆れた!! 盗み食いしたのかい」

「上の方にあった実はガキ共にやってな、俺たちは酒と酒の染み込んだ実を頂戴したわけなんだがな。まさかこんなことになるとは考えもしなかったんだよ。力仕事をやったんだし、これくらいの褒美くらいはいいかと思っただけで、実際、みんなで分けたらほんのちょびっとしか口に入らなかったんだ。まぁ、盗み食いをしたのは悪りぃかもしんねぇけどよ、悪気はなかったんだよ。そこんとこな、酌んでくれよ。な? あのフリックだってすっかり忘れてたんだ。それくらいつまんねぇことなんだ。な?」

 同情を買うように媚びてみせるビクトールの頭を、レオナは煙管で力一杯殴りつけた。ビクトールは大げさに痛がって見せたのに腹を立てたレオナが再度煙管を振り上げた時、バーバラが言った。

「ビクトール。その樽ってのは赤いたがのついたヤツじゃぁなかったかい? プラムのブランデー漬けって他に赤と紺色で塗り分けてある、丸い印がついてたんじゃぁないのかい?」

記憶を辿るバーバラの言葉にビクトールは頷き

「ああ、そうだ。なんかこう、人魂を二つ組み合わせたような、そんな印だった」

と、レオナの攻撃を避けながら言う。

「その印に何か意味があるのかい」

「ああ。あれはね、薬なんだよ」

「薬?」

ビクトールとレオナが同時に言った。


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