夢の後


 飛葉は白い靄の中をただ一人、歩いていた。いつもとは異なる地面の感触に、そして自分自身の足音さえ聞こえないひっそりとした周囲の様子に、これは夢なのだと飛葉は確信した。

 何もかもが不確かな白い世界は懐かしいような、不可思議な気分にさせる。けれど同時に、居心地の悪さも感じていた。どこまで行けばいいのか。いつまでただ一人、歩いていればいいのかさえ見当もつかない。

 この先に何かが待ち受けているのであれば、それが獰猛な野生の獣であっても、彼が平素から相手にしている悪党の亡霊であっても構わないとさえ思う。生命の気配一つ感じられない空虚さには我慢がならなかった。生きている実感を得られさえすれば、再び生死を賭すような戦いの渦中に飛び込むことさえ疎ましくはないのだ。

 自分自身がそこにいる確かな証がほしかった。

 ただそれだけを欲していた。

◇◇◇

 不意に何かの気配を感じた飛葉の視界に、見慣れぬ白い天井が映った。自身の置かれている状況がすぐに把握できない飛葉が身体の向きを変えようとした途端、全身に鋭い痛みが走る。

「いきなり動くな。お前は半死半生の目にあったんだぞ」

ベッドの傍ら、それほど高くない位置から聞こえる耳慣れた声に、飛葉の意識が現実に引き戻された。

「そう……だったな。あの阿呆どもはどうなった」

「全員、地獄送り……と言いたいところだが、一人だけ助かった。今は警察病院に収容されてる。回復次第、取り調べが始まるだろう」

「八百は、どうした。ヤツも撃たれたはずだ」

「お前が楯になったお陰で、それほどひどいケガにはならかった。お前より一足先に退院した」

安堵の息を吐き、飛葉はゆっくりと瞼を閉じた。

「俺は何日、寝てたんだ」

「2日ほど」

飛葉が目を開いた。先刻までぼんやりとしていた瞳には、強い光が宿っている。

「……腹が減った。世界。あんた、何か食い物持ってねぇの」

飛葉が呟くと、世界は驚きのために一瞬だけ目を見開いた。そして安堵を含んだ笑い声をこぼす。

「何、笑ってんだよ」

飛葉がふてくされて言う。

「安心した。もう、大丈夫だな」

 世界が立ち上がり、飛葉の身体の脇に片手を置いた。真上から飛葉を見下ろし、空いた手で額にかかる飛葉の前髪に触れる。包帯やガーゼでは覆いきれない幾つもの傷は、まだ瘡蓋にはならず、生々しい血の色を半ば留めていた。傷を避けるように飛葉に触れていた指先が不意に動きを止める。

「大丈夫だ、世界。俺は、生きてるよ」

「ああ、そうだな」

ゆっくりと肘を折り、世界は飛葉に頬を寄せた。確かめるように触れ合う肌。その下には確かに熱い血が流れていることを、二人の間の空気の温度が教える。

「髭……痛てぇよ」

飛葉が腕を伸ばし、更に世界を引き寄せる。

「無精髭ぐらい……剃れよな」

頬を刺すようなザラザラとした感触に、飛葉の鼻の奥に微かな痛みが生まれる。それは無事に生き延びることができた確かな証のように、飛葉には感じられた。

 混ざり合う体温を惜しむようにゆっくりと世界が半身を離し、飛葉の額にそっと唇で触れた。

「また来る。ゆっくりと休むといい」

世界はそう言って、ドアへと向かう。

「無精ひげの始末をして、食い物を持ってくるって言うなら、また来てもいいぜ」

飛葉の遠慮のかけらもない言葉と悪戯な笑みに微笑で答えた世界が部屋を後にした。

◇◇◇

 一人になった飛葉の意識を、再び睡魔が絡め取る。飛葉は両腕を伸ばして大きな欠伸を一つし、消毒薬の臭いのする布団に潜り込んだ。

 すぐに深い眠りが訪れたが、今度は夢を見ることはなかった。


後先なんか考えてはいないように、
けっこうなムチャをする飛葉は医者の世話になることが、
他のメンバーよりも多いんではないかと思います。
で、そんな飛葉が心配でしゃーない世界ですが、
とりあえず飛葉が腹を空かしてくれれば
安心したりするんではないかと……(笑)。


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