続・ある男の生涯


 すっかりむくれてしまっている飛葉は、少し遅れて歩いている世界に言った。

「ついてくんなよ、バカ野郎」

「そうしたいのは山々だが、俺のアパートもこっちの方にあるんだ、諦めろ。それから、いい加減にふて腐れるのをやめたらどうだ?」

「気に入らねぇなら、見なきゃいいだろ? だいたい、いつ、俺がかまってくれって言ったよ」

 太い文字ででかでかと、『不機嫌』と書かれた看板を背負っているかのような飛葉の後ろ姿に苦笑しながら世界は、小さな溜息をつく。それから心持ち歩調を早め、飛葉の隣に立つ。

「説教はうんざりだ。押しつけがましい先公も、お節介がすぎるあんたもな」

 極秘任務で潜入した先の蛍雪学園の『卒業生を送る会』で関取の役を与えられ、無理矢理舞台に引っ張り上げられかけたことが、八百がそのことをメンバーの前で面白可笑しく話したことが、そして任務であるが故に致し方なく学校行事に巻き込まれたことをネタに笑われたことが余程気に入らないらしく、飛葉は膨れっ面のままで黙々と歩いている。

 全身で拒絶の意思を表している飛葉は、特にこの日は学生服を着ているせいか、随分と幼く世界の目に映った。

 肩を軽く叩く世界の手の感触に、飛葉は憮然とした貌で振り向く。

「んだよ。まだ何か文句あんのかよ」

「学校はともかく、この制服は気に入ってるんじゃないのか」

世界が問うと、飛葉は表情を変えずに前方に向き直る。

「別に……ちんちくりんのよりマシってだけだ。だいたい俺は、学校は大嫌いなんだよ」

「そうか?」

「そうさ」

「だが俺は……それも悪くないと思うが……」

 驚き、振り向いた飛葉に世界が微笑む。

「授業中に居眠りするのも、久しぶりだったんじゃぁないのか?」

「学校がな……そいつがもう、随分ご無沙汰だった」

「どうだった」

「どうって……」

世界の思いがけない問いかけに意表を突かれたのか、飛葉はつい先刻まで全身に漲らせていた怒りをいくらか収めてしまっている。

「別に……退屈なだけだな。ダチがいるわけでもねぇ、お勉強が好きなわけでもねぇ、学校でやりたいこともねぇときちゃぁ退屈なばっかりで、居眠りでもしねぇことには間が持たねぇんだ」

 そうか、と答えた世界が煙草に火を点けた。

 

 数年ぶりに腕を通した学生服は懐かしい臭いがした。だが学校生活というものに上手く馴染めなかった飛葉には、制服がひどく窮屈に感じられる。おまけに蛍雪学園で顔を合わせてからというもの、世界が自分を子供扱いしているように感じられて落ち着かない。

 紫煙を燻らせている世界は無言のままで、その少し前を歩く飛葉も何も言えずにいる。沈黙が重いわけではなかったが、何も言わないままでいるのも落ち着かず、飛葉は世界に対してはあくまでも無関心を装いながら周囲に視線を巡らせて会話のきっかけを探す。

 梅や沈丁花の盛りは既に過ぎ去り、桃の花には遅く、桜が咲くにはまだ早い。夜空を仰ぎ見たところで気の利いた言葉を口にできるだけの語彙はなかった。すぐ後ろの男の気配を背中で窺おうとした時、世界が飛葉の名を呼んだ。

「お前も、気をつけることだ」

と、世界は振り向いた飛葉に言った。何のことかわからず、飛葉は言葉の真意を問うてみた。

「お前、食い意地が張ってるからな。椎名のジイさんみたいに古くなってるものまで食うなよ」

言いながら世界は、飛葉の髪を掻き回して微笑んだ。

「俺は蓄膿じゃねぇし、鼻は利く方だ。あんたこそ耄碌して妙なモン食わねぇようにするこった」

 任務に就いていない時、世界はいつも飛葉を子供扱いする。甘やかそうとするわけではないが、そうしても許されるような空気を身に纏う。初めて出会った頃から変わらぬ年嵩の男の余裕は腹立たしく、けれど嬉しく思う部分も僅かではあるが確かにあった。素直になるのは癪に障る。だが八つ当たりなどをしてみても世界は上手くかわして優位を保つに決まっている。

 飛葉の僅かな逡巡を世界は見逃さなかった。世界は飛葉の髪を梳いていた手を素早く背中に滑らせて、自身よりも一回り小さな身体を抱き寄せる。突然のことに飛葉は驚いた。しかし夜半近くの路地では人目を気にする必要などないことを知っている飛葉は世界を拒んだりせず、紫煙の気配が残る皮の上着に頬を寄せる。

「寄っていくか?」

世界が囁き、飛葉が答えた。

「どうしてもって言うんなら……な。そうしてやんねぇことない」

「保護者代理の部屋に泊まるなら、誰も文句は言うまい」

そう言って世界は咽の奥で低く笑い、釣られるように飛葉も押さえきれなかった笑い声を零した。

◇◇◇

 部屋の扉を閉めるなり、世界と飛葉は口づけをかわした。呼吸さえもどかしく感じているのか、飛葉は世界を深く求める。抱き寄せる腕に力を込めた世界の首に両腕でしがみつく飛葉をなだめるように、その少し癖のある子供のような髪を梳く。背中を撫でていた手を首筋に滑らせてやると、飛葉の身体に緊張が走った。それに気づかぬ振りで髪の生え際を指で辿ると飛葉が甘い粋を吐く。

 「そんな格好をされると、子供に悪さをしている気分だ」

飛葉の吐息を掬い取った世界が囁くと、飛葉の瞳に勝ち気な光が宿る。

「それなりに似合ってはいるが……どうも落ち着かん」

言いながら世界が飛葉の身体を包む学生服を三和土に落とす。

「おい……玄関先で変なことすんなよ。まったく、辛抱のきかねぇ男だぜ」

軽口を叩く飛葉にはもう余裕はない。それを認めた世界は乱暴に靴を脱ぎ捨て、灯りもまだ点けていない部屋に飛葉を誘う。

 

 男同士で抱き合うことは背徳でしかない。極悪人を地獄に送る処刑人稼業で生きながらえている身であればこそ、背徳の罪深さを感じずにいられた。だがこの日のように飛葉が本来の年齢に相応しい姿で、同じ年頃の学生達を相手にしているのを目の当たりにしてしまえば、世界は飛葉を抜け出すことのできない生き地獄に引きずり込んだ己を嗤うほか術がない。しかし、いくら自身を嘲り嗤ったところで、年端もいかない飛葉を煉獄に落とした罪が消えることはないのだ。例え出会った時点で既に飛葉に更正の可能性がなかったとしても――それでも今よりはましな選択肢がなかったわけではない筈で、その機会を奪ったのは誰でもない世界自身だった。

 飛葉と出会ったこと。そして飛葉と抱き合う間柄になったことを後悔したことはなかった。だが飛葉にとってはどうなのだろうか――――――――――――。

 袋小路に迷い込んだ思考を断ち切るように、世界の腕の中で愉悦の余韻に身を任せていた飛葉がくしゃみを一つした。

「汗が引いたら、ちょいと寒くなってきた」

そう言うと飛葉は、遠慮のかけらも感じられないほど豪快なくしゃみを二度、続ける。

「お前は……色気だとか情緒ってものを知らんのか」

世界の呆れ声などどこ吹く風とばかりに

「そんなもんで腹がふくれるかよ」

と、笑った。そして足先で先刻脱ぎ捨てた学ランを引き寄せて

「おい、世界。寒い。布団、敷けよ」

と言う。

「お前な……少しは遠慮ってものも覚えたらどうだ?」

「うっせーんだよ! 俺は……俺だって動けりゃ勝手にするさ。けど、しょうがねぇだろ? あんたが無茶するから、力入いんねぇんだ!! さっさと布団。ほら、早くしろよ」

 世界に組み敷かれている時の艶めいた空気を微塵も感じさせない子供じみた所作で、飛葉は世界を押入の方へ追いやり、世界はともすると悲観的な方向へと向かう彼の思考を無理矢理自分の方へ向けてしまう少年に決して敵うことなどない幸福を胸に抱いたまま、立ち上がった。


そんなわけで、飛葉ちゃんの学ランプレイ(笑)。
こういうのもたまには新鮮でエエと思うんですが、
オヤジはちょいとばかり複雑かもしれません。


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