歳 月


 二つ折りにした座布団を枕に畳に寝転がったまま、飛葉はぼんやりと安物の合板が貼られた天井を眺めていた。久しぶりに無茶な動かし方をしたせいか、右の膝が微かに痛む。陽が完全に落ちる前の青い闇の中で飛葉は、惨殺された恋人の敵を取るためだけに人に拳銃を向けた少女を思った。

 16歳。まだ子供だ。すぐに根を上げるだろうと、軽い気持ちで教えた練習方法で拳銃の扱い方をマスターしただけでなく、土壇場で見せた度胸の良さや気の強さが今も強く印象に残る。磨けば確かに光る、宝石の原石に違いない。そんな確信を抱きはしても、少女に闇の中で生きる運命を課そうとは思わなかった。今度のことは全て忘れ、少々退屈であっても普通の暮らしを送ってくれればいい。

 常に殺し屋や悪党につけ狙われる日々。一瞬たりとも気を抜くこともできない、まるでいたちごっこのように悪党を追い詰め、猫を噛もうとするネズミのような悪党たちの決死の反撃をやりすごし、その命を当たり前のように奪い取る生活を過ごしてきた――三十余年の人生の半分を殺伐とした空気の中で生きてきたからこそ、飛葉は少女にかつての自分と同じ道を歩ませたくはなかったのだ。

◇◇◇

 仰向けのまま、とりとめのない考えを巡らせている飛葉の身体に古ぼけた階段を上る足音が届く。次第に近づいてきた足音がドアの前で止み、静かにドアが開かれた。

「来てたのか」

部屋の主が灯りを点けた途端、部屋は眩しい光りに満たされる。

「飯は食ったのか」

「久しぶりに来たってのに、そんな挨拶はねぇだろうよ、世界」

そう言った飛葉がむくれてみせると、少し白いものが混ざった口髭を蓄えた男が笑う。

「昔からお前は、いつでも腹を空かしてるだろう。もう、癖だな。飯の心配をするのは」

「いつまでも、空き腹抱えたガキじゃねぇよ」

 飛葉の言葉を笑い声で受け止めた世界が腰を下ろすと

「膝が痛むのか」

と、問う。

「ちょっとな……急に無理をしたもんだから、びっくりしたみてぇだ」

飛葉が決まり悪げに答えた。

「この間、ちょっとした殴り込みに出たらしいな」

世界が飛葉の足をゆっくりと揉み始める。

「行きがかり上」

「無茶ができる足じゃぁない」

「わかってる。けどよ、バイクに乗れば、足が悪いハンディもお釣りがくるくらいカバーできるぜ」

「いつもいつも、都合のいい条件が揃っていると考えてると、足下を掬われるぞ」

溜め息と共に落とされた世界の言葉に肩を竦めた飛葉は、小さな声で詫びの言葉を口にした。

 飛葉の言葉に微笑みと沈黙で答えた世界は、数年前に共に出向いた死線での激しい戦いの中で傷つき、言うことをきかなくなった飛葉の膝を慈しむかのようにマッサージを施す。無愛想な風貌と裏腹なほどに面倒見のいい、自分よりも遙かに年嵩の男の髪がかつての漆黒ではなく、銀色の光りを弾く色のほうが勝りつつあるのを眺めながら、飛葉は世界と共に過ごしてきた歳月の長さを思う。

 そう言えば、初めて世界に出会った時の自分はあの少女と同じ年頃で、世界は今の自分よりもいくつか年上だった筈だと思い至り、飛葉は複雑な気分になった。

 悪党退治のためとは言え、確実に人を殺すための手段の全てを年端もゆかぬ子供に教えねばならなくなった時、やはり世界も今の飛葉と同じように、痛みを伴う感情を抱いたのだろうか。できれば平凡な暮らしを送らせてやりたいと思いながらも、金で買われたも同然の身の上ではそれもままならない状況を歯痒く感じたのかもしれない。今は亡い草波に見出された時点で退路を断たれたあの頃の自分たちには敵を倒すほかに生き延びる手段はなく、殺される前に確実に悪党の息の根を止められるだけの力と技を身につけるためだけに存在した日々。

 事実上、ワイルド7の最後となった戦いから生還したのは僅か3名だった。飛葉は片足の自由を半ば奪われ、その身体で飛葉を庇った世界の体内には摘出することがかなわなかった数個の弾丸が残っており、敵の本拠地を壊滅させるための爆薬を仕掛けていた両国は瀕死の状態で救出されたが、何年も意識を取り戻すことなく病床で静かに息を引き取り、その最期を見取ったのは共に生き地獄をくぐり抜けてきた飛葉と世界だけだった。

 自ら修羅の道を選んだわけではない。他に選択肢がなかっただけだ。それでも飛葉の長い人生の半分以上を共にすることになった男の存在が、一瞬でも血の臭いを忘れさせてくれる。それが飛葉にとって唯一の、そして何ものにも代え難い心の拠り所となってくれた。世界が生きていると思えば、痛む足を引きずり歩む無様な姿で生き長らえることにも耐えられる。

 「どうした」

黙り込んだままの飛葉に、世界が問う。

「あんたは変わんねぇと思ってよ。昔からマッサージだのが上手かったよな」

「お前らが無茶ばかりするから、俺がいつも按摩師の役を押しつけられてばかりだ。特に飛葉、お前が一番手間がかかる」

「あんたが勝手に世話を焼いてるんじゃねーの」

飛葉が笑い声につられるように、世界が破顔した。世界の微笑みがどうにも遣りきれなくなった飛葉は両腕を伸ばし、親兄弟よりも長く身近で自身を守り続けている男の身体を引き寄せる。

「どうした、飛葉」

「いつだったか……俺が世話を焼かせてるうちは、あんたが老け込むこともボケることもねぇって、八百が言ってたぜ」

まるで恩を着せるような口調で飛葉が言うと、世界は呆れたと言わんばかりに溜め息をつく。

「せいぜい、長生きしろよ。俺がせいぜい面倒かけてやるからよ」

「まったく……」

世界はそう呟くと飛葉を胸の中に抱き込むように腕に力を込め、

「幾つになっても、仕方のないヤツだ」

と応えた。


『ロゼ・サンク』の飛葉など。
戯れに書き留めておいたものを加筆修正してみました。

作者がオヤジスキーなので世界は殉死してない設定で、
ワイルド7から引退して、今はハーレーのカスタムパーツ職人で
生計を立ててるイメージで書きました。
たまには飛葉も仕事を手伝ったりするかもしれへんし、
足を悪くする前の飛葉が単車の改造を頼んでいたかもしれません。

体毛豊かな世界は禿げる可能性が高いけど、
やっぱりロマンスグレーでいてほしいのは、ささやかな乙女心(笑)。


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