雨上がり―2―


 手頃なカップと湯飲みと茶葉の入った袋を手にした飛葉が戻ると、世界は相変わらずの仏頂面でバーボンを舐め、八百は涙を流しながら腹を抱えている。

「おい、世界。八百のヤツはいったい、どうしたんだ?」

目を丸くして尋ねる飛葉に、世界は憮然とした声で

「思い出し笑いだ」

と、答えた。それにしては様子がおかしすぎると言う飛葉を煙に巻くように、

「笑い上戸が思い出し笑いを始めやがっただけだ。馬鹿はほっとけ」

などと白々しい言葉を並べる世界を見た八百は、いよいよ激しく笑い出す。飛葉は笑い続けている八百に

「で――お前、これから女と会うのかよ」

と問う。八百は無理矢理笑いを押さえ込むと

「いや、世界の野郎が勝手にほざいてるだけだ。この間飲み損ねた分、今日はとことん飲もうって腹なんだよ」

と言った。その言葉に飛葉の目に薄い影が差したのを認めた八百は

「で、飛葉よ。俺には何もなしかよ」

と、冗談めかして言う。

「濡れ鼠のお前を見つけてやったのは、俺だぜ?」

笑いながらウィンクを投げる八百は

「明日、何もなかったら昼から出かけようぜ。浅草のほうに草団子の美味い店を見つけたんだ」

という飛葉の誘いに二つ返事で答えると、世界に問う。

「旦那はどうする」

「世界は甘いものは食わねーよ」

世界の代わりに答え飛葉が同意を求めるように世界を見ると、世界は相変わらずの仏頂面で頷く。八百はどうしようもなく鈍い飛葉を相手に独り相撲を取っているに等しい世界に思わず同情したが、何食わぬ顔で

「じゃ、明日は雷門の前で1時にな」

と言った。

◇◇◇

 晴れ渡った空には鳩が舞い、楽しげにそぞろ歩く観光客で浅草寺は相変わらずの賑わいを見せていた。絶好のデート日和とも言える日に、何が悲しくて野郎と待ち合わせなぞしなくてはならないのかと思いもするが、飛葉の好意をむげに断ることもできず、また殆ど連日任務に就いていたためにあと一歩で落とせるはずの相手とは疎遠になっていたこともあって暇を持て余していた八百は、道行く人々をぼんやりと眺めていた。

 世界のことは本人から口止めされてもいたが、それ以上に三十路も半ばにさしかかろうという男がまるで子供の飛葉に振り回されている様を見物する楽しみを自分から手放す気もない。運動部に長く在籍していたため、性的欲求を同性に向ける同胞は珍しくなく、通っていたのが男ばかりの工業高校だったということもあり、多少過剰にも見えるスキンシップというものにも慣れてはいたため、八百は同性愛に対して特に思うこともなかった。八百自身は同性に友情以上の感情を持つことなどなく、腕に抱くなら柔らかな身体の異性のほうが好ましいと考えている。それ故、世界の心情にある程度の理解を示すことはできても、同調することはない。彼自身が異性に恋情を抱くのと同じ感情を持っているのだろうとは思いはするが、それだけだ。共に生死を分ける戦いに出向く仲間の恋路をじゃまする気はなく、どちらかというと力になってやりたいとさえ考えもするのだが、如何せん相手が飛葉では八百自身も手も足も出ないというのが正直なところだった。

 「よ、待たせたな」

出掛けにアパートの管理人の爺さんに捕まったと、走ってきたために上がった息を整えながら飛葉が言う。実際の年齢よりも幼く見える風貌に、これが相手では迂闊に手が出せないのも頷けると、八百は思った。

「ま、いいさ。で、その店はどこだ」

「こっちだ」

飛葉はそう言うと、軽い足取りで歩き始めた。

◇◇◇

 甘党の飛葉が勧めるその店は古い佇まいの小さな店だった。店内では初老の夫婦が穏やかな微笑みで二人を迎える。店はそれなりに繁盛しているようで、数組の客が好みの甘味を前に静かな声で談笑している。二人が店の隅のテーブルにつくと、すぐに熱い番茶とおしぼりが運ばれてきた。

「さ、何でも好きなものを頼んでいいぜ」

上機嫌でそう言った飛葉は栗ぜんざいとあべかわ餅を注文し、八百は白玉汁粉と磯辺焼きを、そして更に飛葉が草団子を頼む。飛葉と顔見知りらしい白髪の女主人は、若い男の二人連れが珍しいのか、飛葉にしきりに話しかけている。飛葉が八百を友人だと告げると、何やらサービスをすると言って調理場に消えた。

「よく来るのか」

「ああ。草団子がな、美味い。一仕事終わった後に食うのがいいんだ」

「ま、疲れた時には、甘いものを食うのが一番だからな」

芳ばしい香りの番茶を啜りながら話をしているうちに、二人の注文が次々に運ばれてくる。老婆がサービスだと言って紫陽花を象った和菓子を二つテーブルに置く。八百と飛葉は軽く礼を言ってから、湯気の立つ椀を手に取った。

 ワイルド7のメンバーはいずれも健啖家だが、飛葉は人並みはずれて体格の良いヘボピーに負けないほどの大食らいで、好き嫌いも殆どないばかりか、甘いものには目がない。それは重々承知していた八百だったが、ぜんざいを無心に食べる飛葉の表情はまるで年端のいかない子供のようで、こみ上げる笑いを押さえ込むのに苦労する。飛葉の言葉通りに清々しい香りの草団子も他の餅菓子も、上品な甘さが舌の上でとけるようだ。八百が美味いと言えば、飛葉はもっと食べろと皿を勧めてきたりして、二人は他愛のない話をしながら舌鼓を打った。

 「ところでよ、飛葉」

追加の注文を終えた八百が言った。

「やっぱり、世界も連れてきたほうがよかったんじゃないか」

「ヤツは甘いもの、食わねーからなぁ」

「磯辺焼きなら食えるだろうよ」

「まぁな。けどよ、こういう店はやっぱり、甘いものが好きなヤツと来たほうがいいだろ」

「まぁな……」

八百は番茶を啜りながら答えると、

「飛葉――お前、世界に随分と懐いてんな」

と言い、更にその理由を問う。

「ヤツは仲間だし、家も近いし……」

飛葉はそう答えると考えを巡らせるように上を向く。

「世界は世界で、何だかんだと言ってはお前の世話を焼いてるしなぁ」

八百が水を向けると飛葉は我が意を得たとばかりに

「そうなんだよな。世界のヤツ、妙に面倒見がいいんだ。ありゃ、生まれ持っての性分だと思うぜ。愛想は悪りぃが、あれでなかなかいいヤツだ」

と言う。

「それにしてもよ、俺たちがガキ扱いすると真っ赤になって怒るクセに、世界にはあんまり突っかからねぇのは、どうしたってんだ」

「そんなこたぁ、ねぇだろ」

「いいやぁ。お前はな、俺っちを相手にしてる時と世界とじゃ、てんで態度が違うんだよ」

妙に自信ありげな八百の態度に、飛葉は腕組みをして考え込んでしまい、運ばれてきたくるみ餅を口に運びながらも、何事かを思いめぐらせている。八百はそんな飛葉の様子を楽しみながら、濡れ納豆の添えられた団子に舌鼓を打つ。

「そうか……」

不意に飛葉が口を開いた。

「世界といると――なんか、楽なんだ。それでつい、連んじまうんだよな」

「楽?」

「ああ、楽なんだ。別段話すことがなかったりしても気ぃ遣わなくていいし、風呂貸してくれるし、たまにゃ飯も奢ってくれるし……」

「なんだ? そりゃ」

「女が相手だったらよ、それなりに気を遣ってやんなきゃなんねーだろ? 世界が相手だと、そんなのがねーから楽なんだ」

「それだけかよ」

八百が呆れた顔をすると、飛葉は少しばかり不機嫌な口調で

「ま、いつまでも今のまま、いらんねーってのはわかってるんだ」

と言う。八百が視線でその先を促すと、飛葉はくるみ餅をつつく手元に視線を落とす。

「ヤツに――世界に女ができたら、俺もそうそう厄介かけてもいられねーし、そうなったら引っ越さなきゃなんねーよな」

「そりゃまた、どうして」

「決まった女がいる野郎の風呂、借りるのは悪りぃじゃねーか。いくら仕事仲間だっつっても女が嫌がるだろうし、この間みたいに勝手に台所漁ってラーメンくすねたりもできなくなるし、俺も気を遣っちまうしな」

そうなったら風呂付の部屋を探すのだという言葉に飛葉なりの世界への気遣いを微笑ましく思いはしたものの、単に親切な年長の仲間――それも近所の風呂付きの文化住宅に住んでいる便利な人間――としか認識していない事実に、八百は改めて世界の苦労を思い遣った。

「飛葉よ……世界は風呂屋じゃねーぞ」

「んなこたぁ、言われなくてもわかってるさ。今だって俺は風呂屋に行き損ねた時だけしか厄介になってねぇし、世界はダチが少ねぇみたいだから、しょーがねーからかまってやってんだ」

「俺には、お前が一方的に世話をかけてるみたいに見えるぜ」

八百が殊更呆れたように言うと、飛葉の表情が僅かに曇る。それを認めた八百が、気を取り直すように

「けどよ、考えようによっちゃぁ、世界が飛葉に厄介をかけてるとも言えるな」

と言った。

「なんだよ、そりゃ」

「あの無愛想な男に惚れる女なんぞ、そうそういやしねぇし、だからってほったらかしにしてちゃぁ、どんどん口数が少なくなっちまうよな。お前みたいに手の掛かる跳ねっ返りが傍にいたほうが、ヤツにはいいってことさ。それによ――」

八百はそこで言葉を切り、飛葉に耳を近づけるようにと手招きをする。

「年寄りには生き甲斐ってのが必要だ。だから飛葉、お前がせいぜい世話を焼かしてだな、ヤツがこれ以上老け込まないようにしてやんな」

八百の言葉に飛葉はたちまち明るい表情になり、

「しょーがねーなぁ……。ま、ここは八百の顔を立ててやるか」

と言って笑った。


後日談

「八百。お前、飛葉に余計なことを言わなかっただろうな」

「いや……特には……。何かあったのか」

「どうも、機嫌が良すぎる」

「しょぼくれてると言っちゃあ世話焼いて、機嫌が良すぎると言っちゃあ心配する。旦那、あんまり過保護が過ぎるんじゃないかい」

「…………飛葉は、何か言ってたか」

「何かって、何だ」

「………………」

「俺たちゃ草団子だの善哉だの汁粉だのを食ってただけだぜ。あの店は磯辺焼きも美味かったな。今度、飛葉に連れて行ってもらえよ」

「………………もう、いい」

「おい、旦那。一つ、いいことを教えてやるよ」

「………………」

「飛葉はあんたといるのが楽らしい」

「楽だと」

「風呂も借りられるしってな」

「そうか……」

「情報提供料に、今度奢られてやるよ」

「………………」


飛葉と八百の緒デートを書いてみました。
二人とも甘党やったら、こんなんもありよね。
いえ、甘いものが苦手な親父に無理矢理
甘いものを食べさせるのんも好きですけどね。
まぁ、あれですよ。
八百は頼れる兄貴ってスタンスなんです。


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