共食い――或いは「縁側」の真相


店先に並んでいた白桃を買ったことに、特に深い意味はなかった。ただ何となく、気がついた時に世界は3つの桃の入った袋を手にしていただけのことだった。桃が特別好きだというわけでもないはずなのに、不思議なこともあるものだと思いはしたが、桃が食べられないわけでもない。食べる気にならなければ、飛葉にでもやればいい。甘いものや果物に目のない飛葉なら、この桃も喜んで片付けるはずだ。そんな取り留めのないことを考えながら、彼はアパートへの道を辿っていた。

桃を冷蔵庫に放り込んだ後、風呂場で軽く水を浴びて汗を流した世界は、2週間ほど任務で留守をしていた間にすっかり伸びてしまった、猫の額ほどの広さの庭先の青々とした夏草を眺めていた。住居というものに対する思い入れが希薄な彼に、伸び放題になっている雑草をどうこうするつもりは毛頭ない。数日間の休暇が終わり、次の任務に就いている間に、そして任務から解放される頃には季節は変わる。木々の葉が色づく頃には、今は鮮やかな色をしている草たちも、朽ちてしまうことだろう。そんなことを考えながら、彼は冷蔵庫からトマトジュースを取り出した。

 冷えたトマトジュースを飲み終えた頃、誰かがドアをノックした。

「よ、暇だろ?」

世界がドアを開けると、飛葉がいた。土産のラムネ瓶を自慢げに目の高さに掲げている飛葉は、水色に透き通った瓶に引けを取らぬほどの汗をかいており、白いランニングはまるで水を被った後のように濡れている。

「ひどい汗だな」

「梅雨が明けた途端、いきなり暑くなりやがんだもんな。ラムネ、飲もうぜ」

そう言いながら、飛葉は部屋の中へと上がり込む。

「風呂場で水をかぶってこい。そのなりを見ているだけで、こっちまで暑苦しくなる」

「他に言い方ってのを知らねぇのかよ」

唇を尖らせながらラムネを冷やすために冷蔵庫の扉を開けた飛葉は、目敏くも先刻世界が収めた桃を見つけ、嬉しげな様子でその持ち主に声をかける。

「おい、世界。桃」

予想通りの反応に、世界は限りなく苦笑に近い笑みを浮かべ、

「汗を流してから、食え」

と答えた。

◇◇◇

濡れ縁から胸から上を出して、飛葉は無心に桃を食べている。水風呂の後、ランニングとトランクスだけを身につけている後ろ姿は、まるで子供のようだと世界は思う。

飛葉にはおよそ好き嫌いというものがなく、その健啖ぶりも大したものである。どんな状況に追い込まれても、食欲だけは失わない。それが彼の生命力の源となっているとも言えるのだが、栄養を摂取するためではない、食の楽しみを満たすために好物の菓子だの果実だのを食べている時の表情は、あどけない子供のようになる。その顔をいたく気に入っている世界は飛葉と出会ってからというもの、自分では口にすることなどない和菓子などを頻繁に買うようになり、それが高じて飛葉の好物を買い置く習慣さえいつの間にかついていた。おそらく今日、気まぐれに桃を買ったのも、そんなところだったのだろうと漠然と考え、畳に肩肘をついた体勢で横にななったまま、ぼんやりと飛葉の背中を眺めていたのだった。

「何だよ、世界」

不意に飛葉が振り返る。世界は

「何でもない」

と答えながら、突然に桃を買った理由に思い至った。

飛葉はつかの間惚けた表情を浮かべると、再び雑草が好き勝手に伸びている庭先に向き直って桃を食べ始めた。種についた実まできれいに食べてしまうと、飛葉は板塀の辺りに硬い殻に守られ、眠りについている白桃の素を投げる。

「うまくいけば、来年から桃買わなくてもすむぜ」

「実がなるまでに3年はかかるぞ」

「桃栗三年、柿八年てヤツかい?」

飛葉の腕が桃の果汁に濡れていた。

「ここン家の庭は草ぼうぼうだから、もっとかかるかもな」

軽く笑いながら台所に向かう飛葉の手を取り、世界は果汁が流れた痕に唇を寄せた。

「おい、何すんだよ」

「乾くとベタベタするぞ」

「だから、手を洗うんだよ。離せよ、世界」

飛葉の抗議の言葉に耳を貸すことなく、世界は飛葉の腕にからみついている果汁を嘗め取り続ける。腕から手首へ、そして指先までを丹念に辿った後、先刻まで桃の柔らかな果肉を味わっていた唇に舌を這わせた。

「桃の味がする」

「ったりめーだろ? 桃、食ってたんだからよ」

立て膝の姿勢で、横になった世界の口づけに応えている飛葉の右手を握ったまま、世界は左手をトランクスの裾から忍び込ませる。

「おい、世界。何すんだよ、昼間っから」

「気にするな」

舌で顎先や首筋までに流れている桃の味を、左の掌で滑らかな肌の感触を確かめる世界に非難めいた言葉を口にはしているたが、飛葉が世界を振り払う素振りは微塵も感じられない。飛葉の右手を解放した世界は上体を僅かに起こし、汗ばみ始めたもう片方のトランクスの裾を上げて露にした、なだらかな曲面に口づけた。不安定な姿勢のバランスを崩さぬようじっとしているため、飛葉の抵抗の手段が事実上封じられてしまっていることに乗じ、世界は果実を堪能するかのように愛しい者の肌を辿る。

満身創痍といった具合の飛葉の体の中で最も傷跡が少なく柔らかな部分の肌は、その陽に焼けた顔や腕からは想像できないほどに白い。余分な脂肪などない、程良く引き締まり、弾力性に富んだそれは、先刻飛葉が口にしていた果実と同じように、淡い色の繊毛に覆われている。果実が熟すように色づき始めた肌に軽く歯を立てると、飛葉の身体が震えた。

「……っかやろ……噛むんじゃ……ねぇ……よ」

乱れる呼吸を懸命に抑えながら、飛葉が言う。

「気にするな。ちょっと小腹が空いただけだ」

「っかやろう……」

徐々に熱を帯び始めた飛葉の身体を翻弄するように、世界の手指の動きが激しさを増す。飛葉が甘さを帯びた吐息をこぼし、その間隔が次第に短くなる。緊張のために強張っていた身体を弓のようにしならせると、飛葉は微かな声と共に、力無く畳の上に崩れ落ちた。

額を畳につけ、呼吸を整えている飛葉を宥めるように、世界が汗に濡れた項に口づけ、後ろから抱えるように飛葉の身体を抱き起こして膝の上に座らせる。

「もう少し、つき合え」

世界は飛葉の耳元でそう囁くと、極上の身体を強く抱きしめた。

◇◇◇

「……離せ……暑……い」

背中から抱きしめられる姿勢のまま、うなじに世界の口づけを受けている飛葉が抗議の声を上げたが、世界は黙したまま飛葉の肩の稜線に唇を滑らせる。先刻よりも汗ばんだ肌に白いランニングが密着する様は、鍛えられた身体の立体感を強調するかのようにも見えた。

「世界……暑い……って……」

飛葉が半身を捻るように動き、世界の腕から逃れようとする。

「なら、脱げばいい」

世界が声よりも吐息の勝った囁きを飛葉の耳元にこぼすと、飛葉の身体に緊張が走り、一層世界の懐深くに囚われてしまう。

「馬鹿……言うな」

「脱がせてほしいのか?」

世界の言葉に飛葉は悔しげな表情を浮かべたが、絶えることのない世界の動きをかき消そうとするような切なげな色も見える。飛葉を焦らすような世界の挑発の言葉が密やかに、朱に染まった耳にからめられると、飛葉は自ら肌着を脱ぎ捨てた。

「俺だけ……は、猾い……」

飛葉が世界を振り向きながら言うのを受け、世界もまた一糸纏わぬ姿になる。

 互いを隔てるもののない交わりに、飛葉の五感はますます過敏になった。緊張と弛緩、微かな痙攣を繰り返す飛葉の背を流れる汗を唇で受け止めながら、世界は熱を帯びた身体の全てを手繰り寄せ、彼を呼ぶ飛葉の掠れた声に応えるように、世界は最愛の少年の身体を浚った。

◇◇◇

「暑い……」

うつ伏せのまま、力無く手足を投げ出している飛葉が呟いた。

「水を浴びてこい」

飛葉は恨みがましい視線を世界に投げ、

「俺はさっき、水を浴びたばっかりなんだぞ? 何で1日に何回も水風呂に入んなきゃなんねーんだよ」

と、ぼやく。

「入らないのか?」

「今は、そんな気分じゃねー」

そう言い捨て、再び畳に突っ伏した飛葉に

「そうか。なら、先に水を浴びてくる」

と言うと、世界は風呂場に向かった。

 飛葉はその後ろ姿を眺めながら、

「あンのむっつりスケベ……」

と、憎々しげに独り言ちた。


ももきっつぁんに送られてきた「縁側」のイラストですね。
あれは一応、表用の作品になってましたが、
司書にはどうにもいやらしく見えてしまいました(笑)。
まぁ、桃尻騒動のさなかに送られてきたっつーのも、運が悪かった。
共食いの後、オヤジにいただかれてしまう飛葉。
ももきっつぁんが「飛んで火にいる夏の飛葉」とか言うし、
やっぱり今年の夏はアカンかったんです。
なんかな、オヤジがどんどん手に負えなくなるんですよ、最近……。


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