穏やかな休日―2―


世界は飛葉の愛車を駆っていた。そして飛葉はリアシートに跨り、流れる風景に目を細めていた。滅多にタンデムをすることがなく、誰かとバイクに乗る時は大抵、ハンドルを握る側にいる飛葉にとって、世界の背中に身体を預けながら風に髪を遊ばせていること自体が新鮮に感じられる。数日間、極度の精神的な緊張を強いられた後のささやかな休日でもあり、久方ぶりに満喫する開放感に飛葉は上機嫌になった。

横浜の中華街に着くと、二人は朝食と昼食を兼ねた食事をとるための店を探したが、ちょうど昼時ということもあって目星をつけていた店は全て満員で、中には店の外にまで行列ができてしまっていたりもする。

「ま、この時間じゃしょうがねぇな。世界、そのへんの屋台で何か買おうぜ。それ持って公園で昼にしよう」

「おいおい、いいのか? お前、あの店の料理が食べたかったんだろう?」

「いいって。散々並んで店に入るより、外で食ったほうがうまいぜ、きっと」

と言い、飛葉は空を仰いだ。そして世界も同じように空を仰ぎ見て、

「そうだな。今日は天気もいい」

と答える。

「そうさ。あっちの店のちまき、うまいんだ。それから、その角を奥に行ったとこにある店の桃まんもな」

横浜で生まれ育った飛葉が次々に評判の店と料理を挙げ、軽い足どりで人でごったがえしている路地を進む。そして世界はその後を追い、飛葉から渡された荷物を抱える。店員から渡された袋を全て世界に任せた飛葉は、ちゃっかりとオマケにもらった肉の入った饅頭をパクついていることもある。というより、買い物を始めてからは味見と称して何かを食べていると言ったほうが多い。上機嫌で歩いている飛葉は年相応の少年らしい笑顔を見せ、世界は穏やかな笑みで応えた。それはおそらく、多くの人にとっては何でもないことのはずだが、血生臭い世界で生命のやり取りをしながら生きている二人にとっては瞬く間に過ぎてしまう、至福の瞬間でもある。それ故に彼らは任務から解放された貴重な時間を大切にしていた。店の外で順番待ちの最後尾に立って時間を無駄にするよりも、あちこちに足を運びながら休日を楽しむ算段した方が遙かに楽しい筈だと考えた飛葉は、誰もが知る店の名物料理に舌鼓を打つよりも、弁当代わりになる点心を選んだのだった。

◇◇◇

公園の芝生の一画に二人は腰を下ろし、買い込んだ料理の袋を広げる。朝食がお預けになっていたため、飛葉は普段以上の健啖ぶりを発揮して、次々に料理を平らげた。そして世界も飛葉に劣らぬ食欲を見せたため、世界の両手一杯になるほどの料理も、程なく飛葉専用とも言える甘味類だけが残るのみとなった。

「世界、食えよ」

飛葉がそう言いながら世界の掌に甘栗を乗せた。

「甘いのは苦手かもしんねぇけど、これっくらいは食えるだろ?」

「ああ、そうだな」

世界はそう答えると、小さな栗を口に運ぶ。すると空になった世界の掌に、すぐに皮が剥かれた甘栗が乗せられる。

「おい、俺のは剥かなくてもいい。自分のだけ剥け」

「いいって。俺、栗を剥くのは上手いんだぜ。ガキの頃から、これが得意なんだ」

既に甘栗の皮を剥く行為そのものを楽しんでいる飛葉が次々に皮を剥いた甘栗を世界の手の上に乗せるため、世界の右の掌に褐色の木の実の山が築かれた。時折、皮が剥く時に割れてしまった栗を口にする以外、飛葉は黙々と甘栗の皮むきを続けている。

「おい、飛葉」

世界の呼びかけに顔を上げた飛葉の口に甘栗が放り込まれた。

「いい加減、食うのを手伝え。しまいには掌からあふれちまう」

世界の呆れたような口調、それとは裏腹の楽しげな表情に飛葉の口元も弛む。栗の皮を剥く手をしばし休め、二人は甘栗を口に放り込みながら、他愛のない話を続けた。

公園には彼らの他に親子連れや友人同士とみられるグループや恋人たちがいる。その誰もが秋の陽射しの中で幸福そうな笑顔を浮かべていた。芝生に座って語らう、或いは腕を組みながら歩いている彼らからは、世界と自分はどういう関係に見えるのだろうかと、不意に飛葉は思った。親子、職場の先輩と後輩、親戚、友人のいずれかになるのだろうか。そう信じ込んだ彼らがもしも真相を知ったら、皆さぞかし驚くことだろうと考えると、独りでに笑いがこみ上げた。

「飛葉、さっきから何を一人で笑ってる?」

「何でもねぇよ。そうだな……俺たちも他の連中と同じように、馬鹿面をしてんだろうなと思ってよ、そんでな……」

「飛葉……馬鹿面じゃなく、せめて暢気とか言えないのか?」

「いいじゃねぇか。美味いものを食って満腹になったら誰だって眠たくなるし、眠たいツラってのは馬鹿面ってのが相場じゃねぇか」

「全く……相変わらず身も蓋もないヤツだな」

世界と顔を見合わせて笑うと、飛葉は大きな欠伸をして芝生に寝転がる。

「食ってすぐに寝ると、牛になるぞ」

飛葉は世界の言葉に牛の鳴き真似で答え、猫のようにのびをして瞼を閉じた。

世界は掌に残っている甘栗を口に運びながら、飛葉の寝顔を眺めていた。任務についている飛葉からは想像できないあどけない顔は、飛葉の表情の中でも世界が気に入っているもののの一つでもある。眠っている時と何かを食べている時だけに見せる貴重な子どものような顔を独占できることが嬉しくないはずはない。できればいつも、年相応の表情を浮かべていられる生活に戻してやりたいと考えることもある。だがそれが不可能だということは世界だけでなく、飛葉自身も十分にわかっている、言っても詮無いことでしかない。互いに闇の世界に生きるが故に出会い、生命を賭けた戦いの中で生きると決めたが故に最も近い場所に身を置くことができたのだ。世間に背く形ではあるが、互いを唯一の存在として求め合い、認め合えるようにさえなれた。それで満足すべきなのだということも承知しているし、それ以外に共に生きる道もない。叶う筈などないはずの恋が成就した。それだけでも、奇跡的なことなのだ。世界はそう自分に言い聞かせると、いくつか残った栗を平らげて芝生の上に横になった。

◇◇◇

飛葉が目を覚ました時、世界は眼下に広がる海を眺めていた。

「昼寝、してねぇのか?」

「いや」

「やっぱ、年寄りは目が覚めるのが早い」

「お前はよく眠っておけよ。よく寝る子どもは、育ちがいいって話だからな」

世界の応酬に飛葉は笑いながら舌打ちをした。

「晩飯はどうする?」

「中華はもう堪能したし……洋食にでもするか」

「いい店を知ってるか?」

「ああ、汚くて狭い店だけどな、前に船乗りをしてたじいさんがやってる店がある。ま、じいさんが耄碌したりくたばったりしてなけりゃ、とびっきりの晩飯にありつけるぜ。オムライスがうまい。あとビーフシチューもな。ここから歩けば腹ごなしにちょうどいいし、夕焼け見てからだったら、晩飯にはちょうどいい」

「お前と夕焼けを眺めるのは、どうも妙な気分だ」

世界の言葉に、飛葉が口を尖らせた。

「何だよ。文句でもあんのかよ」

「いや、その逆だ。年甲斐もなく、浮かれた気分になっちまう」

飛葉は目を見開いて世界を見つめた。

海の向こうに沈み始めた夕陽が周囲を赤く染めていた。だから飛葉は、恐らく真っ赤になってしまっているはずの顔を世界に見られずにすんだろうと考えた。だが世界は自分が赤面してしまっていることを感づいているだろうということも確信していた。おそらく飛葉自身よりも世界のほうが、飛葉という人間を知っているはずであり、そんな男が飛葉の心の揺れを掴まない筈はないのだから。


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