Shall we dance?-1


 表向きはボール・ルーム。しかし、その裏では人身売買や麻薬の密輸を行っている。経営者はそれらの証拠を残すほど愚かではなかったため、警察は犯罪が行われているのを知りながらも、手をこまねいているほかなかった。その間にも被害者は続々と増え、犯罪行為は次第に残虐かつ巧妙なものへと変わる。既に民主警察の手には負えないとの判断がくだされ、この件についての全ての権限は草波と、その配下であるワイルド7に託された。

◇◇◇

 ボウル・ルームでは常に男性の踊り手が不足している傾向にあるため、常時、男性スタッフの募集が行われている。それを利用し、最低でも3名のメンバーをダンサーとして送り込み、敵の中枢部に入り込むという作戦を簡略かつ的確に述べた後、草波は全メンバーを値踏みするように一瞥した。

「飛葉、世界、八百。お前たち三人が潜入、残りのメンバーは周辺を探れ。お前ら、ワルツくらいは踊れるだろうな」

「ああ。ワルツにタンゴ、クイック・ステップ、チャールストンまで踊れるぜ」

草波の言葉に、八百は余裕たっぷりに答える。

「……まぁ、ワルツとボックス・ステップまでなら」

世界がそう答えると、7人の視線が飛葉に集まった。しかし飛葉は膨れっ面のまま、口を開こうとはしない。

「飛葉、まさかお前、全然踊れないとか言う?」

オヤブンのからかうような言葉に、飛葉は背中の毛を逆立てた猫のようにくってかかった。

「ああ、どうせ俺はフォークダンスくらいしか知らねぇよ。しょーがねーだろ? 少年院じゃダンスの時間なんてお上品なものは、なかったんだからよ!!」

草波は指でこめかみを押さえ、

「八百、世界。お前たち二人で飛葉にステップをたたき込め。最低でもワルツとタンゴくらいは踊れるようにしろ。猶予は三日だ」

と言ったのを機に、作戦会議は終了した。

◇◇◇

 オイルの臭いが染み着いているガレージには、およそ似つかわしくない優雅な音楽が流れている。神妙な顔つきで世界と肩を組み、おぼつかない足どりでステップを踏んでいる飛葉は、ぶつぶつと何かを呟きながら指南役の世界の足の動きを追う。

 不意に曲が途切れ、バンドネオンが哀調を帯びた旋律を奏で始める。曲に合わせて世界が足捌きを早めた途端、飛葉の足がもつれて尻餅をついた。

「飛葉……どうして、お前はそうなんだ」

世界が情けない声音で呟く。すぐさま世界の言葉尻を捉え、ダンスの特訓を受ける飛葉の姿をニヤニヤと眺めていた世界と八百を除くメンバーのヤジが飛ぶ。

「うるせー!! じゃぁ、おめーら、やってみろよ!!」

そう叫んで床の上に大の字に転がった飛葉は、完全に臍を曲げてしまっている。その姿を見た世界が

「しょうのないヤツだな」

と、溜息をつく。そして八百を見て

「おい、交替だ、八百」

と、言った。

「野郎と子供は守備範囲外なんだがなぁ……」

「そんなことを言ってる場合か。あと二日しかないんだぞ」

「一番簡単なステップもろくに覚えられないとは、情けねぇよなぁ」

「言うな。これでも頑張ってはいるんだ」

「もう、やめようぜ、世界」

「そういうわけにもいくまい」

「飛葉にはフォークダンスでも踊らせときゃ、いいじゃねぇか。毛色が変わってて、年増にゃ受けるかもしれねぇぜ」

「馬鹿野郎。それで正体が知られてみろ。自業自得の飛葉はともかく、俺たちまでとばっちりを食うんだぞ」

世界と八百の遠慮のないやりとりをネタに、残りのメンバーは飛葉を容赦なくからかい、陽気な笑い声を上げる。八百は腕の時計に視線を落とすと、オヤブンに小突かれている飛葉に声をかけた。

「飛葉。休憩は終わりだ」

飛葉は忌々しそうな目で八百を見上げた後、大袈裟な溜息をついて立ち上がる。その時草波がガレージに入ってきた。

「調子はどうだ」

「俺のほうはタンゴまで。問題は……荒っぽいこと以外にはとんと向いてない、飛葉だな」

世界の答えに、草波は意地の悪い笑みを口元に浮かべた。

「ワルツのステップは一通り覚えたんだが、それも幼稚園児のお遊戯並。タンゴは……そうだな、耄碌(もうろく)した年寄りのドジョウすくいってとこだ。足下に機関銃の弾を撃ち込まれたチンピラのステップのほうが、まだ使える」

「あと二日。それで何とかしろ」

「それは飛葉に言ってくれ」

草波は八百についてたどたどしく足を動かしている飛葉に視線をやると、絶望的な溜息をついた。そして懐から煙草を取り出しながら

「飛葉。お前、スーツは持っているか?」

と訊く。

「ああ? そんなもん、持ってるわけねぇだろ」

「なら、用意しろ。丸越百貨店の紳士服売場の主任に話は通しておいた。代金は私宛に請求するように言ってある。無様な踊りしかできないのなら、せめて見た目くらいはこぎれいにするんだな」

草波はそう言い、足早にガレージを後にした。

◇◇◇

 丸越百貨店の4階にある紳士服売場の店員に、草波から指示された名前を告げると、奥から上品な物腰の男が現れた。

「草波様からお話はうかがっております。本日は、どのような品をお求めでしょうか」

「コイツの服を……そうだな……あまり畏まったのじゃない、動きやすいものがいい」

「失礼ですが甥御様は、おいくつでいらっしゃいますか?」

何も知らぬ売場主任の言葉に世界は少しばかり面食らったような顔になり、その変化を見逃さなかった飛葉が笑いを堪えながら答えた。

「もうじき、18」

「さようでございますか。失礼して、お身体の寸法を測らせていただきます」

売場主任はメジャーを飛葉の身体に手際よく巻き付け、手にしている寸法表に数字を記入していく。世界はその間に売場にざっと視線を巡らせている。そして当事者の飛葉はというと、興味のなさそうな顔で天井を見上げていた。

 「こちらなどは、いかがですか?」

売場主任が選び出したオーソドックスな紺色のシングルスーツを着た飛葉は、まるで七五三に連れらていく子供のように見えたが、敢えて世界は感想を口にしなかった。顎に指を添えてしばらく考え込んでいた世界が、先刻目をつけたセピア色をしたフラノ地のスーツを売場主任に手渡すと、彼は手際よく飛葉に着せかけた。細かな杉綾織りの生地のそれは、飛葉の幼い風貌を少しは大人びたものに見せるだろうという世界の目論見は見事に外れ、まるで父親の背広を無断で拝借した子供のようにしか見えない。売場主任も同じようなことを感じたのか、すぐに違う品を持ってきた。

「これくらい遊び心のあるものでしたら、甥御さんにお似合いかと……」

と言って彼が選んだのは限りなく黒に近い、チャコールグレーのスーツだった。所々に見え隠れするように織り込まれた、深い緑色をした少し太めの糸が、粋な雰囲気を醸し出している。しかし飛葉がそれを身につけると、まるで年増女が気まぐれに囲った、年若いヒモのようにしか見えない。

 若い女性の店員が

「こちらは、いかがですか?」

と言って差し出した明るい鉄錆色のスーツを着た飛葉は、ケチな仕事しかこなせないようなチンピラといった風情でしかなかったし、濃いグレー地のピンストライプのものは、まるで安物のギャング映画に出てくる、主人公に真っ先に消される三下のようだった。

「おい、世界。まだ決まんねーのかよ」

試着に飽きた飛葉が暢気な調子で言う。

「誰の服を選んでると思ってるんだ。突っ立ってばかりのヤツが文句を言うな」

「お客様は普段、どのようなものをお召しなのですか?」

「黒の皮ジャンと白の皮のパンツ。ジーパン。トレーナーにジャンパー。綿シャツにTシャツ。バイクに乗るから、こんな服は持ってねぇよ」

「お好みのデザインですとか、お色などは……」

「動きやすくて、汚れの目立たないヤツ。それで丈夫だったら、言うこたぁないねぇ」

飛葉のそっけない返答に売場主任は目を丸くし、世界はその隣で眉間を指で押さえた。

「紺が、幾分マシだったな」

独り言のような世界の言葉に、売場主任は紺色が基調となっているスーツを数点選んでこさせた。

 「すぐに裾上げをいたしますので、3時間後に再び、お越しください」

と言った。世界と飛葉に深く礼をする売場主任を残し、二人は売場を後にした。

 「世界、腹減らねー? 何か食おうぜ」

「まだ買い物が残ってる」

「へ? 服はもう決まったじゃねーか」

不服そうな飛葉に世界が

「スーツに合う靴はあるのか?」

と問うと、飛葉はどんぐり眼を更に見開き、

「ねぇ」

と、言葉短かに答えた。

◇◇◇

 黒のローファーの入った紙袋を下げた飛葉と世界は、百貨店の最上階にある食堂街へ行く。昼食の時間がとうに過ぎ、夕食にはまだ早い刻限であったため、大食堂には彼らの他には数えるほどの客しかなかった。

「あー、食った、食った」

カレーライスとカツ丼を平らげた飛葉からは、買い物中の不機嫌な様子は微塵も感じられない。世界は現金な態度の飛葉を眺めながら、ゆったりと紫煙をくゆらせている。不意に思い出し笑いを始めた飛葉を、世界が怪訝な顔で見た。こみ上げる笑いのために即答できない飛葉は、しばらくの間、肩を振るわせたまま俯いたままだったが、やっとのことで笑いを押さえ込むと

「あんた、さっき俺の叔父貴と間違われて、ムッとしてただろ」

と言い、ニヤニヤと笑いながら世界を見た。

「お前のほうこそ、歳を訊かれるたびに、さばを読むのはやめろ」

世界が常よりも多少強い力で煙草をもみ消す。

「そのヒゲ、剃っちまえば? 少しは若く見えるぜ」

刺と笑みを充分に含んだ飛葉の言葉を、世界は表情を微塵も変えずに受け流し、

「そろそろ時間だ。行くぞ」

と言って席を立った。


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