ジュリアスの落とし物 2


 ジュリアスは執務机の上をくまなく調べた後、全ての引き出しの中身を出して確認し、書棚や書類保管棚まであたってみたのだが、目的のものを見つけることができなかった。取り出したものをもとに戻しながら再確認をしてみるのだが、一綴りの書類はない。ジュリアスは気分を落ちつけるために、従者にエスプレッソを持ってくるように言いつけると、書類を受け取って執務室に戻るまでの道のりと、そこで遭遇した出来事に思い浮かべた。

「そう、王立研究員で二つの大陸の育成状況を確認し、その後パスハから私の承認とサインが必要な書類を受け取った。確かに受け取ったのだ。研究員を後にした私は息抜きを兼ねて公園を抜けて聖殿に戻ろうとした。そして……そうだ。噴水の前で走ってきた子どもにぶつかった。その時には気づかなかったが、その衝撃で書類の束から離れてしまったものがあっても不思議ではない。しかし……公園に行っても書類らしきものは落ちていなかったし、噴水の近くで遊んでいる子どもたちも知らないと言っていた。公園の管理者に尋ねてみたが、今日は一つの落とし物も届いていないという……」

 ジュリアスがエスプレッソを飲み終えた頃、彼の執務室の扉をノックして地の守護聖が入ってきた。宇宙の叡知の全てを掌握しているという噂の信憑性をかけらほども感じさせない、おっとりのんびりした彼に、最年長者であるという点ではそれなりの敬意を払っているジュリアスであったが、人の何倍も時間をかけなくては結論が出せないその性格には、時として激しい焦燥感を覚えてしまう。特に、自分の不注意が原因である遺失物に考えを巡らせているこの時には、会いたくない人間の一人でさえあった。

 そんな光の守護聖の気持ちをとんと気にすることなく、ルヴァはいつもののんびりとした口調でジュリアスに話しかけた。

「あ〜、ジュリアス。あなたにね、お渡ししたいものがあるんですよ〜」

「なんなのだ?私は暇なのではない。用があるなら、手短に言うように」

「あ〜、実はですね、書類を届けにきたんですよ。あなたのことですから、きっと困ってるんではないかと……」

ジュリアスはルヴァから差し出された書類を慌てて受け取り、その内容を確認し、安堵の溜息をついた。

「私が探していたものだ。ルヴァ、そなたが拾ってくれたのか」

「いえ、公園で誰かが拾ったものをアンジェリークが預かったそうです。彼女がオスカーに持ち主の心当たりを尋ねてですね、彼が預かっていたものを私が届けにきたというわけで……」

「それは、助かった。そなたにも礼を言うぞ。しかし何故、オスカーが持ってこないのだ」

「実は……ですね。あなたらしくない出来事に、オスカーがずいぶん悩んでいるんです」

「オスカーが?」

「ええ。あなたらしくないじゃありませんか、書類を落とすなんて。それに最近、あなたの様子がおかしいと、ずいぶん心配してましたよ〜。あのーですね、何か悩みがあったら、聞かせてはもらえませんか? お役に立てるかどうかはわかりませんが、一人で悩んでいるよりも、誰かと一緒に考えたほうがですね、良い解決策が浮かぶのではないかと思うんですよ〜」

真剣なルヴァの様子に、オスカーの悩みの深さを感じたジュリアスは、近頃彼を悩ませている件について語り始めた。

◇◇◇

「そなたは……アンジェリークの手作りの菓子を食したことがあるか?」

「ええ、まぁ……一度だけですが」

ルヴァの言葉に、ジュリアスは大きな溜息をついた。

「それは幸いなことだな」

「あの〜、ジュリアス。あなたは何度も召し上がっているんですか?」

「毎週毎週、執務室に持参してくるのだ。時には平日に持ち込むことさえある」

「はぁ〜、あなたが甘いものが好きだとは知りませんでした」

ジュリアスは額を指で押さえ、あらぬ方向を見つめて言葉を継いだ。

「私とて、甘いものを食することはある。まぁ、疲労がたまった時などに少々口にすることはあった程度だった。ある日、あの者がエリューシオンの神官からもらった材料で作ったと、ドーナツを持ってきたことがあった。正直なところ、私はあの者に菓子作りなどができるとは考えもしなかった。だから遠慮なく菓子を口にしたのだ。それが……想像を絶するほど甘いとは!!」

「そりゃぁね〜、甘いものが大好きなマルセルでさえ、甘すぎると言っていたくらいですからね〜。アンジェリークの作るお菓子は」

「そうなのか?」

「ええ。いつだったか、クラヴィスとリュミエール、オリヴィエとで中庭でお茶をいただいていた時に、彼女の作ったワッフルをお茶請けにもらったことがありますが、あれは人間が食べるものとは思えないくらい、ひどく甘かったんですよ。ゼフェルは甘いものを食べませんし、味覚が鈍感なランディでさえ、顔色が変わるくらい甘かったものですから……」

「そういうことだったのか……」

「あの〜、ジュリアス?」

「私は……私はつい、アンジェリークに言ってしまったのだ。また食したいものだと……!!」

苦悩を満面に浮かべて絞り出すように告げられた光の守護聖の言葉に、ルヴァは驚きを隠すこともかなわず、我知らず執務机に身を乗り出し、大きな声を出してしまっていた。

「ジュリアス!!あなたは何という無謀なことを!!」

「社交辞令のつもりだったのだ!!」

「アンジェリークに社交辞令が通じるとでも……」

「私がうかつだった。それは素直に認めよう。……あの者はこう言ったのだ。また食べたいと言ったのは、私だけだと」

「それで……彼女はあなたにだけ手作りのお菓子を届けていたのですね……。それがあなたの悩ませていたと……」

ジュリアスは地の守護聖の言葉に頭を振り、左頬に手を当てた。

「それだけではない。アンジェリークが菓子を持参するようになってから数週間経った頃から、歯が痛むのだ」

「は?」

「そうだ。左の奥歯がシクシクと、断続的に痛んでいる。女王陛下のご加護を受けている飛空都市に病などあるはずもない。これは私の気のせいだと、毎週甘い菓子を食べなくてはならぬ境遇に、心弱っているからだと自分に言い聞かせてみるのだが、一向に痛みが静まる気配はなく、最近は集中力が散漫になってしまうことが多くなった。おそらくオスカーと共にいる時にも、そのような状況になってしまったのだろう」

おそらく無意識に左頬に当てているだろうジュリアスの右手を、ルヴァがそっと外して言った。

「ジュリアス……それは虫歯です」

「何を言い出すのだ、ルヴァ。病など存在するはずもないこの地で、何故、私が病に襲われなくてはならないのだ!!」

驚愕のあまり、大きな声を出す光の守護聖にルヴァが言った。

「ジュリアス。あなたのお気持ちはわかります。しかしですね、虫歯は病気ではないのですよ」

「何?」

「虫歯というのはですね、口中に残された食べ物の残りカスが――主に炭水化物が口中に存在する菌の作用で酸化し、生成された酸が歯のエナメル質を溶かし、やがて象牙質や神経、歯根に達して起こる、化学作用の結果生じる症状なんですよ。炭水化物というのは小麦粉などのでんぷん質、砂糖や果糖などの糖質が、唾液に含まれているアミラーゼという酵素の作用でブドウ糖に分解され、その後、更に消化器官で分解・吸収されるのですが、ブドウ糖は糖質の中で最も小さい分子構造を持ち、酸に変化するのが非常に早く、虫歯の原因となりやすいのです」

「では……」

「ええ。アンジェリークの信じられないほど甘い意お菓子が原因となっていることは明白です。とりあえず、歯科医の予約を入れておきますので、きちんと通ってくださいね。それから、できればアンジェリークのお菓子を召し上がるのは、控えたほうが……」

その時、ルヴァの言葉を遮るように執務室の扉が叩かれ、金の髪の女王候補・アンジェリークがバスケットを携えて入ってきた。おそらく作ったばかりの菓子が入れられているのだろう。アンジェリークの登場と同時に、部屋の中に甘い香りが広がった。

「こんにちわ、ジュリアス様。まぁ、ルヴァ様もいらしてたんですか?」

先程までの深刻な話を悟られまいと、二人の守護聖はにこやかな笑顔で少女を迎え入れ、ルヴァが既に話は終わったからと、光の守護聖の執務室を後にした。

 心配性で苦労性の地の守護聖は、ジュリアスがうまく彼女の菓子を辞退できるかどうかが気になり、そっと扉に近づいて耳をそばだてた。しかし彼の耳に聞こえてきたのは、『よく来てくれたな。アンジェリーク。なぜだか最近のお前は、まぶしく感じられる……』という言葉だった。

 ルヴァは状況を改善するどころか、自らを窮地に追い込むかのようなジュリアスの言葉にあきれ果てたが、謹厳実直を絵に描いたような彼にも人間らしい部分が残っていたことが確認できたことだけでも、今は喜ぶべきなのだと思うことにした。その後地の守護聖は速やかに守護聖の長のために歯科医の予約をし、ついでに口中衛生指導と歯のフッ素コートの指示も行った。そしてジュリアスの異変に心悩ませている炎の守護聖にことの次第を報告するために、聖殿の廊下をいつもの調子でのんびりと歩いていくのだった。


アンジェリークデュエットの落とし物イベントはなかなかに楽しいのですが、
ジュリアスの落とし物が書類だと知った時、
「仕事のしすぎで、とうとうボケたんかい!!」
と、マジでびっくりしました。
これはジュリアスの評判を落とそうとする、コーエーの陰謀ですか(笑)?


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