すうぃ〜とまっすぃーん・ジェイド2


 ニクスが穏やかな午後の陽射しに相応しい思考を揺らめかせていると、軽やかな金属音がジェイドの体内から聞こえてきた。

「さぁ、次はレーズンがたっぷりのスコーンだよ。焼きたてを、どうぞ」

 下腹の右寄りに新しく作られたらしい開口部をジェイドが開くと、自動で引き出された天板の上、小振りのスコーンが湯気を立てている。仕上がり具合だけを見れば、確かに美味だろうことは容易に想像できるのだがと、何とも複雑な気分になるニクスであった。というか、そんな場所から食べ物を取り出すのは少々ルール違反ではないのだろうか。

「お臍の隣から出てくるなんて、ちょっと可愛いですね」

だが口元に手を当て、クスクスと笑うアンジェリークや、ヒュウガの淡々とした様子を見る限りでは、何とも形容しがたい違和感を抱えているのは自分だけのようだと、ニクスは思った。

「そう? よかった、アンジェが喜んでくれて」

 次に作るのはブラウニーだと微笑い、ジェイドは計量した小麦粉とバター、卵、チョコレートパウダー、砂糖、クルミなどの材料を次々に口の中へと投入する。咀嚼されるのではなく、速やかに嚥下される原料は、おそらくジェイドの体内で何らかの加工が施されているのだろうか。アンジェリークは興味津々といった様子で、ジェイドの胸に耳を当てる。

「あ、聞こえますね……今は……バターを混ぜているのかしら?」

「よくわかるね、アンジェ。さすがだ」

「お口から材料を入れて、お腹の中でお菓子にするなんてユニークなアイデアだわ。レインが考えたの?」

「まぁな。どうせなら消化器官を全て、正確に再現したかったんだが……」

「何か問題が?」

今の今まで沈黙を守っていたヒュウガが、静かな声で問う。

「ああ、排出動作が安定しない」

 訝しげな表情を浮かべるヒュウガに、レインが答えた。

「成形と焼成の後、完成品を射出する場所を直腸経由にすると、射出口のサイズがどうしても制限されるんだ。それに射出姿勢を一定に保たなければならないし、直立状態でも足の開き方で射出角度が微妙に変わる。座っても中腰になってもしゃがんでも、常に同じ角度を保つのが難しい。アーティファクトとしては最高の成功を持つジェイドなら、一定の角度を維持するのは難しくはないんだが、外的要因が加わると……な」

「つまり、状況次第では難しいと……」

「そういうことだ。特に野宿の時は、どういう状況で食事を作ったり食ったりするかわからないだけに、基準値や調整幅の設定ができないというか、不確定要素が多すぎるんだ。例えば岩場の間に平らな場所を見つけた場合と、草原の一角に野営地を確保するのとでは、同じ平坦な場所とは言え、条件の違いが大きすぎるだろう?」

「それで消化器系の完璧な再現は諦めたと……」

「理論の上では問題はなくても、実用化の時に課題が出るのは仕方がない。技術の限界というやつだ」

「なるほど。賢明な妥協というところだな」

 などというレインとヒュウガの会話をそれとなく聞いているニクスの精神は、間もなく限界を迎えそうであった。自分に次ぐ年長者でもあるヒュウガであれば、まだ真っ当な見識を持っている筈だろうという彼の期待は雲散霧消と相成った事実に、軽く打ちのめされそうなくらいである。

『何でも正確に再現すればいいものではない』

そう、声を大にして言いたいニクスである。が、彼の美学はそれを許さない。

 レインは若く、才能に恵まれたアーティファクト研究家の一人だ。それに意欲に溢れ、行動力もある。ただ美意識というものだけが欠けている──というよりも、研究者としてのそれしか持ち得ていないだけだ。レインだけでなく、ジェイドやヒュウガ、アンジェリークの様子を見ている限り、誰もジェイドに施された改造や、その過程が人間の消化器官の再現である点に、微塵ほどの違和感も覚えていないようで、自分だけが漠然とした

 疎外感を抱いているのは、ジェネレーションギャップと呼ばれるものなのかもしれないと、齢200を重ねたニクスは思うのであった。

“チーン”

軽やかな金属音が再び聞こえ、ジェイドが腹部の扉を開く。そこには焼きたてのブラウニー。

「エクセレント! 良い出来だ、ジェイド」

「本当に、すごく美味しそう!!」

「ほう、見事なものだ」

「さぁ、皆、食べてみて? 熱いから、火傷しないように気をつけて」

ニクスに手渡されたブラウニーからは、得も言われぬ芳香がする。チョコレートの豊かな香りに小麦粉とナッツの香ばしさ。口溶けの良さを窺わせる生地の様子に、ニクスは感心する。そして、このブラウニーがきちんと成形されたものであり、スプーンで生地を落として作るタイプでなかったことにも感謝した。だが、そんな自身の下世話な発想に愕然ともするニクスである。

「美味しい!!」

「ああ、最高にデリシャスだ!!」

「良い甘さだな」

仲間の声に促され、また製造経路はどうであれ、きちんとした処理が施されている上、使われているのも一般的な食材ばかり。何にせよ、確実に殺菌できる温度と時間を費やして調理されているのだから、口に入れたとしても何ら問題はない。そう自分に言い聞かせながら、ニクスはブラウニーを一口囓る。

「おや、これはこれは……」

「ニクスも、気に入ってくれた?」

「ええ、ジェイド。とても美味しいですよ。味のバランスは、とても良い思いますよ」

心持ち、“は”の部分に力を入れてしまった自分の大人げのなさがもの哀しい。けれどニクスのそんな心持ちなどどこ吹く風とばかりに、アンジェリーク達は出来たばかりの焼き菓子に舌鼓を打っている。幸福と平和を絵に描いたようなその風景を、一時の感情だけで台無しにするのは惜しい。自分だけがほんの少しだけ瞼を下ろし、耳を塞ぎ、口を閉ざしていれば、美しいティータイムは続くのだ。そのためにほんの一時、自ら美意識を伏せてしまうのも悪くない。きっとそうだと、ニクスは何度も心の中で呟いた。

「旅の途中でも、焼きたてのパンが食べられるようになるよ」

「え? そんなことまでできるんですか?」

「発酵用サーモスタットを内蔵してある。イースト発酵を想定してのものだが、少量ならアルコール発酵もできなくはない」

「酒ができるのか?」

珍しく興味津々といった様子で尋ねるヒュウガに

「一度に投入できる材料の上限は、300ミリリットル。発酵時間の短縮を図る仕掛けを組み込んであるから、素材の違いで多少の誤差が生じると想定しても、醸造酒の場合は約3時間。果物とリキュールを使う果実酒なら2時間で、理論上は作成が可能だ。熟成期間が充分に取れないから、あまり美味い酒にはならないかも知れないが……」

と、レインが答えた。

「いや、充分だろう。東方には“鞍酒”というものがある。馬などの鞍に括り付け、適度な振動と馬の体温で醸す酒で、野趣溢れながらも美味い酒だ。同じ要領で予め醸しておいた酒を荷物に忍ばせておけば、夕餉には美酒にありつけるのではないか」

「そうだね。料理やすうぃ〜つに使うなら充分だよ。旅先の果物や花を材料に使ったお酒を隠し味に使えば、きっと美味しいコンポートができるね。そうだ、そのコンポートを乗せたタルトはどうだい? お酒を運ぶのは、力持ちの俺がやるから」

「うわ〜、とってもステキ!!」

 これまでに経験したこともない程の距離感を、ニクスは抱いていた。談笑の輪の中にいるというのに、こんなにも皆が遠い。こんなことは初めてだった。

 タナトスの被害を被る人々を救うための旅──ひいてはアルカディアに平穏を取り戻すための戦いの日々に幸福のアクセントを添えることに異論はないのだ。だがその目的に賛同できたとしても、やはり手段くらいは選びたい。それさえも過ぎた望みなのかと、にこやかに語らう“陽だまり邸”の住人たちを、形にならない疎外感を抱えたまま、笑顔という完璧な仮面を貼り付けたまま見守るニクスなのであった。


カウンタ100000HIT記念のリクエストです。
下館かたほさんに捧げさせていただきます。
u-topos(かたほさんの素敵サイトはこちらです)

リクエストを戴いてから、何故こんなに時間がかかったかというと、
ネオ・アンジェリークの内容をすっかり忘れていたといいますか、
キャラクターの喋り方さえも忘却の彼方にありまして、再プレイを余儀なくされたからですよ。
再プレイで驚いたのは、意外とニクスが常識人だったことです(笑)。
もっと変態臭いと思ってたんですけど、サドっ気を向けるのはやっぱりレインにだけだとか、
やっぱりヒュウガはただの酒飲みのオッサンでしかないとか、
気色悪いはずのジェイドが実は、それなりに可愛かったとか、
レインは典型的な学者バカだったとか、そんなことでした。

個人的には消化器官を完全に再現した上で焼き菓子を排出したかったんですが、
作中でレインが語っているのと同じ理由で断念しました。
どう考えても不便というか、実用性を犠牲にして再現するのは無駄かなぁと。
まぁ、その無駄の中に新たな発見や技術革新の種は潜んでいるとも言えるのですが。

ちなみに元ネタは夏にかたほさんを交えてのオフ会がありまして、
そこで持ち上がって盛り上がったネタです。
作るのはよりにもよってモンブラン!! とか、
出す時はどうする、そのまま? そのまま? とか
まぁ、それはそれは無駄に皆が声を上げていたものですよ。
かたほさんの「ニクスはエム? エス?」という言葉に全員が
「基本はどエス!!」などと答えたのも、今では良い思い出です(笑)。

そんなわけで、かたほさん、どもども、こんな感じで勘弁してください。

最後に、やっぱネオ・アンジェリークはお笑い濃度が低いっすな。
ネオロマには甘さと同等のお笑いが必要だと思うの。


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