この曲は、初見でも弾けるほど、音符はすっきりと書かれています。
しかし、この時代のベートーヴェンの作品というのは、実はとても難しいのです。
無駄がなく内容が詰まっているので、すべての音を真剣に吟味しなければ譜読みを進められません。
今回はこの曲の最後のページの練習について書いてみたいと思います。
技巧的な難しさが一切ない曲というのは、「練習」にうってつけです。
まず、第208小節を見てください。
和声的に一番重みがかかるのは2拍目だと思います。テヌートの時間もこの増六に一番かかります。
しかし、ほんのこれだけでもベートーヴェンらしさを感じるのはこれが極めて室内楽的に書かれている点です。
すなわち、左手の奏者にとって、2拍目は経過音なのです。
彼は、2拍目の意味を時間ではなくちょっとしたアクセントで示し、勢い強く駆け登ろうとするでしょう。
それに対して、右手の奏者はどうしても2拍目に時間をかけたくなるでしょう。
強烈な倚音だからです。そうすると、両者の時間的なずれから、以下のようになります。
右手の解決が左手より遅れるということですね。これによって、
左手奏者と右手奏者のそれぞれの第2拍目の表わし方がぶつかって、
多声的に、そしてとても情熱的に聴こえます。
左手奏者が右手奏者に合わせて、2拍目に時間をかけて、同時に解決という方法も考えられますが、
私はベートーヴェンの音楽はもっとゴツゴツしていていいと思います。
両者音楽的意味がわかっていて、音形の特性上、それぞれの表現をした結果の音のズレなので、
聴いてる方は全く気にならないし、むしろその凄さに引き込まれます。
ピアニストは一人でアンサンブルをしなければいけません。
内声のソミソも、それぞれ全く違った意味合いを持っています。
1拍目は第七音ゆえに一番強烈、2拍目は第九音ゆえに意味深く、
3拍目は第3音と根音(しかしながら、和声的に解決音なので弱く)といった具合です。
しかし、ここで忘れてはならないのは、西洋音楽は基本的に第1拍目が最強拍なのであって、
後拍にどんな意味や出来事があろうと、基本的なリズムの頭は1拍目です。
とは言え、この部分に限って言えば、ベートーヴェンはこの前の部分からわざと2拍目を強調する音符
を並べています。その流れからいっても、それほど1拍目に固執する必要はないかもしれません。
(私自身はおそらく十中八九、1拍目にウェイトをのせるとは思います)
それにしても、この3拍間で、四度七からフランス六、そして四六、
という和声的展開がなされているのを見ると、ここだけとってみても、
言いたいことがとても強いというか、その性格の濃さを表わしていると思います。
私はこの部分だけでも練習にかなり時間を費やしました。
今、上記のような一つの演奏解釈を導きだしましたが、明日になれば明日の感覚というものがあります(笑)
ここがピアノの練習の面白いところでもあります。
この曲のこのページ、たいていの人は上半分(つまり左手の弾きにくい部分)だけを
テクニカルに練習しまくると思います。下半分のすっきりしたところは初見で済ませて・・・
しかし、本当に一番時間を費やさねばならないのは、この一見簡単そうな部分です。
ベートーヴェンにしては珍しいくらい、強弱記号や緩急の指示を細かく書いています。
つまり、作者自身が一音一音非常に明確な意図をもって置いていった部分なのです。
音色や空気のコントロール、ポリフォニックな処理等、読みはじめたらもう大変です!
ためしに楽譜を開いて、感じてみてください。
おそらく練習とはなにか、それが本来の意味をもって感じ取れると思います。
技術的な困難が一切ないので、素直に練習そのものに入れると思います。