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交詢ビルヂング(解体)
Kojun-building


建物名
交詢ビルヂング(交詢社)
Kojun-building
所在地
東京都中央区銀座6-8-7
6-8-7,Ginza,Chuou-ku,
Tokyo,JAPAN
設計
横河工務所
施工
清水組
竣工
1929年(昭和4年)12月
構造
鉄骨鉄筋コンクリート造

Maps
出窓
正面玄関
 交詢社は、福沢諭吉の提唱により、慶応義塾のOB三十余名が中心となって、日本で最初の本格的な社交クラブとして1880年に創立された。単なる慶応義塾のOBのクラブというだけでなく、様々な階層に渡って一流の人士を集めようとした開かれたクラブであったようだ。

 交詢社の名称は「知識を交換し、世務を諮詢する」ことを目的とすることから名付けられ、様々な事業を展開した。その成果のひとつに『日本紳士録』がある。会員に配布する機関誌『交詢雑誌』は、各界で活躍する社員が寄稿するため、世間に与えた影響も大きく、自由民権運動の指針となるものもあった。

 創立当時の交詢社本局は、1923年の関東大震災で焼失する。
社債を発行し建築資金を集め、1929年12月に隣接する土地を加え620坪の敷地に交詢ビルヂングを再建した。

 この新しいビルは、南(交詢社通り)に面した正面玄関のある7階建の主建物と、その後背部に付属する3階建の建物から構成されている。主建物の1階〜4階をクラブ専用スペース、主建物の5階以上と後背部の建物を賃貸スペースにするなど用途を分け、この目的に応じて出入口、エレベーター、通路を独立させる設計になっていた。さらに関東大震災の経験を踏まえ、当時最新の耐震設計が為されていた。

 基本設計はアメリカのコーネル大学で建築を学んだ横河時介が担当。工事仕様書には「近世ゴシック式」とあるが、西欧の伝統的建築様式をなぞるだけでない建築を求めていた時介は、思案を重ね、それぞれの様式を取り入れながらも、クラシックでもルネサンスでもモダンでもない交詢ビルを造り上げる。だが、その出来は時介の満足のいくものではなかったらしく、彼がこのビルに来た時は、いつも不機嫌だったそうだ。

 完成したビルのクラブ専用スペースには、談話室、自然光の入るガラス天井のベランダ風ロビー、毎週金曜日に定例午餐会が開かれていた大食堂、コテージ風の小食堂、バー、ビリヤード場、和室などに加え、1930年から1932年にかけて、インドアゴルフ練習場、講堂が増築された。

交詢社ビル西側エントランス
交詢社ビル1階
 賃貸スペースには、小規模な会社、弁護士事務所などの他に、高級カフェー『サロン春』、喫茶店『紫烟荘』、バー『サン・スーシー』も入居した。また、ビル1階北側には、交詢マーケットという市場があった。

 戦前戦後を通じ、華麗な姿をとどめていた交詢ビルも、老朽化を理由に取り壊しが決定する。日本建築学会より保存・活用に関する要望書も提出されていたが、非常に残念なことに、2000年6月末で社交クラブは撤退し、正面玄関の中央部と内装の一部だけが保存、新しいビルに移築再現される形で2002年、解体が実施された。なお、新たな交詢ビルは、同じ場所に2004年9月竣工の予定で、現在、建設が進められている。
作 成 日
2000年02月24日
更 新 日
2003年02月09日
参考文献
『震災復興〈大銀座〉の街並みから・清水組写真資料』
銀座文化史学会編集 泰川堂書店
『近代建築ガイドブック・関東編』
東京建築探偵団著 鹿島出版会
『銀座名バーテンダー物語』
伊藤精簾介著 晶文社
『東京建築懐古録』読売新聞社編
『銀座物語 煉瓦街を探訪する』
野口孝一著 中央公論社
『東京人』2003年3月号 都市出版
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