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カムイ & 功刀 台湾編 2 

 スタジオの駐車場で待っていると、仕事を終えたばかりの功刀が、カムイとともに現れた。二人は相変わらず会話のひとつもなく、功刀の車の前までやってくる。
「功刀」
 羽鳥は運転席に彼が乗り込む直前に呼び止めた。驚いたように顔を上げた功刀の表情が、羽鳥の表情を認識したその瞬間に曇っていくのがわかる。
「カムイ。乗ってください」
「で、も……」
「いいから」
 慌てて運転席に乗り込む功刀の姿に、羽鳥は走ってそこまで向かい、閉じられる扉に手を掛ける。
「待ってくれ」
 ボディとの間に指が挟まれ脳天まで突き抜けるほどの痛みにも必死で堪えた。
「……羽鳥さん、何をやっているんですかっ!」
 扉に挟まれた羽鳥の指に気付いた功刀は、血相を変えたてそれを開け放ち、手を押さえて沈み込む羽鳥の前に自分もしゃがみ込んだ。
「羽鳥さん。ちょっと手を見せてください……」
 冷えた細い手が、抱え込んでいた羽鳥の指先を確認する。紫色に滲んだそこを見て、彼は細い眉を顰めた。
「何を無茶なことをするんですか。こうなることはわかっていたはずなのに」
 きつい視線が羽鳥を睨む。自分を心配しているだろう気持ちが、彼の言葉を強くする。そんな瞳は学生時代から変わらない。自分への気持ちは変わっていない。それを強く自覚して笑いたくなった。
「人が心配しているのに笑うなんて」
 真剣に怒る様さえも、愛しくて仕方がなかった。
「章。何があったか教えてくれないか」
 自分の手を預けたまま、羽鳥は核心部分を直接尋ねた。その瞬間、掴んでいた手を離し立ち上がろうとする功刀を、羽鳥は逆に掴み返す。
「何を言ってるんですか。ここがどこかわかってて……」「わかってるよ。わかっているから聞いている。台湾で、何があった。カムイ。君なら教えてくれるか?」
 外の様子に後部座席から降りていたカムイは、不意に答えを求められて驚いた様子を見せた。
「俺が何を知っていると?」
 しかし、さすがに世界を股に掛けて活動しようとしている人間だ。すぐに自分を取り戻すと、冷静に羽鳥に確認してくる。
「それは俺にもわからない。知っているのは当事者だけだ。功刀は俺を避けている。君たちの間には何かがあったらしい。俺がわかっているのはそれだけだ」
 自分でも強引だとは思っていた。
 しかし、当人たちに聞くのが一番確かなのだ。
「羽鳥さん。何を言っているんですか。カムイには関係がないことで……」
「本当にないのか?」
 逃げようとする功刀の顔を覗き込むが、視線を合わせようとはしない。顔を上げるとカムイが肩を竦めていた。
「忘れているようだけど、功刀さん。あの日、何もなかったですよ」
 そしておもむろにカムイが話し始めると、弾かれたように功刀は顔を上げた。
「カムイ……?」
「酔ってたでしょう、貴方。散々人のこと煽ってくれたくせに、途中で熟睡」
「でも、あのとき」
「だってねえ、あんな状態で何もしなかったなんて、男としての沽券に関わるじゃないですか。それに、あまりに悔しかったんで、少し苛めてやろうと思ったんですよ」
 カムイの言葉でおよそのことが羽鳥にも窺い知れた。自分が疑うべき事情、そして功刀が自分を避けようとした事情は、とりあえず存在していたのだ。
 ただ、酔っていた功刀は自覚がなく、カムイに確認したら誤魔化され、完全に信じ込んでいたのだろう。何かがあったのだ、と。
「信じていいのか?」
「それについては、俺がどうこう言うことじゃないですよね。とりあえず病院に行ったほうがいいですよ、羽鳥さん。こっから見てても、その指の色、異常ですもん。功刀さん、羽鳥さんを病院に連れていってください」
「君は?」
「羽鳥さん、車でしょう? 鍵貸してください。俺、自分で運転して帰ります」
 羽鳥は自由になる手で車のキーを取り出すと、それをカムイに向けて投げる。
「どうも。あの車でしたよね。それじゃ、功刀さん。お先に。また明日」
 悔しいほど颯爽とその場から去るカムイの後ろ姿を見送ってから、羽鳥は功刀の肩を叩いた。
「羽鳥さん……」
「話はあとで聞く。とりあえず、病院に連れていってもらえないか?」
 必死に繕う笑いがそろそろ痛みで引きつっていた。
 冷や汗が額に滲んでくる。冗談ではなく、指が折れている可能性があった。
「は、はい。すぐに」
 青ざめてくる羽鳥の表情に気付いて、呆然としていた功刀も我に返った。



 事務所に連絡を入れてこの近くの外科の取り扱いのある救急病院を探してもらった結果、羽鳥の右手の中指と薬指二本は骨折していた。
 まとめて包帯で固定された痛々しい姿に、功刀は部屋に戻ってからずっとうな垂れていた。
「すみません。本当にすみません」
「俺が無茶をしたんだ。章が謝ることではない」
 仕事には支障が出るだろうことは明らかだが、後悔はなかった。すでに所長には連絡を入れ、上條の送り迎えについては代役を頼んだ。
「だが、カムイとのことは、はっきり話してほしい。何があったのか。どうしてそんなことになったのか」
 それに触れられると、功刀は眉を寄せて唇を震わせた。
「別れたいのか?」
 羽鳥の問いに、功刀は首を左右に振る。
「カムイのことが好きなのか?」
 それにも同じように首を振る。
「だったら余計に話してくれないとわからない」
 カムイに対する嫉妬がまるでないわけではなかった。あの男は、羽鳥の目から見ていても、なんとも言えないあやしい雰囲気を醸し出している。その魅力に気付いてしまったら、抗うのは難しいだろう。
「――多分、寂しかったんだろうと思います」
 功刀は瞼を伏せ、静かに、声を絞り出した。
「寂しい?」
「カムイのことが気になっていたのは事実です。それについては否定できません。でも、だからと言って、こんなことになるつもりはなかったんです」
 台湾に出る前からいやな感じがあったこと。二人の仕事が忙しくて、羽鳥との間で存分に話しができなかったこと。そして、羽鳥の自分に対する気持ちを強く信じられないものがあったこと。
 功刀は初めて自分の中にある不安を打ち明けた。
「出会ってからずっと、俺ばかりが貴方を好きでいたような気がしていたんです。俺が誰と何をしていても、貴方は平然としているように見えたんです。俺がどれだけ貴方を欲しくても、貴方はそんなに俺を欲しがってはいないかもしれないと思ったら、何も言えなくなってしまいました」
 羽鳥は羽鳥で同じことを功刀に想っていた。
 少し言葉が足りないが故に、二人して不安に陥っている。こんなにも互いを欲しているのに。
 なんという遠回りをしているのだろうか。
 出会ってから十五年以上、正直になれずにいた自分を恥じ、そして後悔する。
「ごめん」
 羽鳥は包帯で覆われた手で、そっと功刀の肩を抱き寄せる。額にそっと唇を寄せ、久しぶりの恋人の温もりを味わう。
「愛している。俺は……ずっと章のことを愛している。大切すぎて、優しく眺めていることが、愛だと思い込もうとしていた。章に好かれている自分に自信が持てなくて、俺も強く言えずにいた」
 ゆっくり頭を上げる功刀の瞳が、かすかに揺れていた。
 頬を撫で唇の線を辿る。
「愛している」
 もう一度確認するように愛の言葉を告げて、唇を深く重ねる。
 息継ぎすることさえ苦しいほど激しい口付けを繰り返し、着ている物をもどかしげに脱がしていく。
「羽鳥さん、手が…………」
「章が手伝ってくれれば問題はない」
 多少響かなくはないが、そんな痛みよりも下半身の昂ぶりのほうが辛かった。
 とにかく功刀の肌に触れたかった。
 芯の芯までしゃぶり合い、どこからどこまでが自分なのかわからなくなるぐらい、存分に溶け合いたかった。
 功刀は羽鳥の言葉に応じるように自ら服を脱ぎ捨て、かすかに震える手を、羽鳥の服に手を掛けた。そしてその場にしゃがみ込むと、下着の中の羽鳥のものを外に取り出し、なんの躊躇もなく口の中に含んだ。
 子供が飴を嘗めるように執拗に、そして丁寧に愛撫していく功刀の表情を眺めているだけで、羽鳥は達しそうなほどに感じた。
 柔らかい髪の中に指を沈ませ、零れそうな声を堪える。夜は始まったばかりだ。



「で」
 渡瀬は自分の机に座ったまま、目の前に報告にやってきた吉田に冷たい視線を向けた。
「誰と誰がオヤスミなの?」
「羽鳥さんと…………功刀くん、です」
「理由は?」
「羽鳥さんは、骨折のため……仕事に支障をきたす可能性があるから、です。功刀さんは、体調不良です」
「羽鳥くんの骨折って確か、指だったわよね? 昨日連絡をもらった段階では、運転以外に支障はないはずじゃなかったかしら?」
 棘のある言葉に、吉田は俯いて「はあ」と応じる。
「で、確かその羽鳥くんを病院に連れていったのは功刀くんで、功刀くんは元気一杯だったはずよねえ?」
 それに対しても「そのはずです」と応えるしかない。渡瀬は渡瀬で何もかもわかっていて、尚、吉田に確認しているのだ。
「まったく……どうして、普段はこっちが心配になるぐらいに真面目に仕事をするくせに、ある日突然前触れもなく休む社員ばかりいるのかしら」
「そ、れは、僕に聞かれましても…………」
「吉田はね、そんなことないから安心しているんだけど。今度永見くんにそれとなく聞いてみようかしら」
「それは止めた方が…………」
 永見は電報堂の人間ではあるが、ある日突然ぽこっと休んでしまうことでは有名だ。
「とりあえず、彼らの穴は責任もって吉田が手配するように。しっかり吉田が迷惑かけられた分は、彼らに責任取られせるのよ、わかってるわね?」
「…………はーい」
 社内での地位がどれだけ高くなっても、性格は変わらない吉田だ。功刀にも羽鳥にも文句のひとつも言えないのがわかっていて、渡瀬はわざとそう言った。
 少し可哀相かもしれないと思いつつも、幸せな人間にはこのぐらい言っても許されるはずだと、勝手に解釈することにした。