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カムイ & 功刀 台湾編 1 


『今日も仕事でホテルに泊まります』
 留守電メッセージを聞いて、羽鳥文貴は大きなため息をつく。
 メッセージを残した相手は恋人である功刀のものだ。彼は台湾の仕事を終えて以来、ずっと羽鳥を避けていた。一緒に暮らしているマンションにも戻ってこない。職場で顔を合わせることはほとんどなく、たまに同じ場所にいても、周りにわかるほどに彼は羽鳥を避けていた。
 何かがあったのか? 
 そう、吉田に問われるぐらい、二人の関係は微妙な状態にあった。  台湾で何かがあったのは間違いない。だが、これほどまでに自分が避けられなければならないその理由を、当人に確認するのが怖かった。 
 大概情けないと自分でも思っていた。
 だが、功刀が何も言わない以上、羽鳥から聞くわけにもいかない。彼が大切だから、彼の嫌がることはしたくなかった。
 そう遠くない日に必ず、彼は自分から事情を打ち明けてくれるはずだと信じたかったのかもしれない。
 けれど、一日一日過ぎるほどに、彼の気配が遠くなっていくように思えた。
 次第に耳に噂が耳に入ってくるようになる。
「カムイと何かあったらしいよ」と。
 同行スタッフではなく、その前後に台湾へ行っていた伊関拓朗のスタッフの口から耳に入った。
 そう言われて様子を見ていると、確かにカムイの態度もいつもと違っているように思えた。二人の間には前から微妙な緊張感があったが、今は息の詰まりそうな緊張感が見える。
 このまま功刀が動き出すのを待っていたのでは、遅すぎるかもしれない。
 羽鳥がそう思ったときには、すでに台湾から功刀が帰国してから二週間が過ぎようとしていた。もしかしたら、もう手遅れかもしれない。そう思わないではなかったが、しかし、どうしても彼を失いたくはなかった。

「カムイの今日の予定?」
 上條の仕事を終えて即、羽鳥は今日のカムイの予定を確認する。しかし、予定表には「変更」としかなく、仕方なしに吉田に確認せざるを得なかった。
「どうしてそんなことを知りたいの?」
 怪訝な顔をされて一瞬怯みながらも、羽鳥は平静を装って応じる。
「急ぎで、功刀に連絡をしなければならないとことがあるんです」 
 自分たちの関係は、所内では知っている者も多い。だが、あえて自分からカミングアウトしたくはなかった。
「えーとね、ちょっと待ってくれる? さっき電話があったから、わかると思うんだ」
 しかし、吉田はそれ以上の追及はなしで、カムイが今どこで何をしているか教えてくれる。
「渋谷のスタジオでインタビューと撮影をしているみたいだ。朝までの通しになる可能性あり、との報告が入ってる。功刀くんも一緒」
「ありがとうございます」
 吉田が走り書きしてくれたメモを持って、羽鳥は会社を出る。
 渋谷のスタジオなら、何度か仕事で行ったことがあった。混雑する道路を抜け、近くの駐車場へ車を入れると、走ってスタジオへ向かう。受付スタッフに挨拶をして、カムイの撮影場所を尋ねる。
「三階です」
 エレベーターを待っているのももどかしく、階段を走って上る。
 一階から二階、そして二階から三階に上がる途中で、人の気配を感じた。咄嗟に走った予感に、足音を潜めた。
「冷たいんだ、功刀さん」
 さらに聞こえてきた声に、羽鳥は階段の手すりに思わず身までも潜めた。
「別に仕事に差し支えはないはずだが」
 続く声は、功刀にしては珍しく、突き放した口調だった。
「俺、何か悪いことした?」
 その問いへの返答は、言葉ではなく行為でもって示されたらしい。何かを叩く音が壁に反響した。
「………顔じゃないだけありがたいと思え」
 何かがあったのは間違いなかった。
 上の気配が消えるまで待って、羽鳥はそのまま階段を下りる。そして車に乗り込んだ途端、携帯電話が鳴った。
 一瞬、功刀ではないかと思うが、表示されている番号は違っていた。そんなわけはないとわかっていても、甘い期待をしている自分に笑いたくなった。
『上條ですけど。今、外で飲んでいるんですよ。もし良ければ、一緒に飲まれないかなと思って』
 なんというタイミングだろうか。羽鳥は即OKを出すと、彼らが飲んでいるという六本木の店へ向かう。

「呼び出してしまって、平気でしたか?」
 ラフな格好の上條は酔いのせいか軽く頬を染めていた。他の面子も皆よく知っている顔だ。ミュージシャンからスタッフまで、色々なジャンルの人間が揃っている。
「ちょうど振られたところだったんでね」
「羽鳥さんを振る人なんているんだ!」
「最近振られまくりでね」
 揶揄する声を流しながら、羽鳥は空いている席に腰を下ろす。ネクタイを緩め煙草を銜えると横から火が差し出される。
「良かったんですか?」
 心配そうな上條の視線に、羽鳥は肩を竦める。
「気晴らしできた方がいいんでね」
 軽く息を吸って火をもらいゆっくり煙を吐き出す。白い煙の向こうで揺れる上條が目を伏せると、どことなく功刀の表情を思わせた。顔のどこがどう具体的に似ているわけではない。自分が功刀を思っているせいかもしれない。しかし、今はそんな都合のよい姿に感謝すらしたくなった。
「飲みすぎて明日の仕事ができなくても知りませんからね」
「冷たいな」
 手元のグラスを飲むと、喉をアルコールが滑り落ちていく。ひんやりとした感触に軽い眩暈を覚えながら、その甘い酔いに浸っていく。
 あのときの、二人の間でなされた会話の意味。何も知らなければマネージャーとタレントの単なる諍いに思えなくないかもしれない。かなり強引ではあるが。
 功刀を信じたいと思っても、彼がここのところ自分に見せている態度や、カムイに対する口調を思い出せば、裏には何かがあるのだろうと想像できてしまう。
 ピッチが上がっているのが自分でもわかる。急激に酔いが回るのもわかった。
「羽鳥さん。そんな無茶な飲み方したら、体によくないですよ」
 新しいグラスにつけようとする手を、隣から伸びた手が遮る。
「今日は飲みたい気分なんだ」
「酔いつぶれたあとで、誰が面倒を見るっていうんですか」
 霞む視界の中で、冷たい視線は心の中の男と重なっていく。
「上條が面倒を見てくれないのか?」
 細いしなやかな手を握り、それを口元まで上げる。他の人間には見られないようにそちらに背を向け、上目遣いに上條だけを見つめた。
 指先を思わせぶりに嘗めるが、上條の表情は変わらない。羽鳥の手は振り払われ、冷たい視線を向けられる。
「申し訳ありませんけど」
「つれないな」
「だって、しょうがないでしょう。羽鳥さんが見ているのは俺じゃないんですから。本当に慰めてほしいのは、俺に重ねている他の人でしょう」
 静かな声でありながら皮肉めいた言葉に、羽鳥の酔いは瞬間的に醒めていく。
「そんな状態では、俺に対しても、俺に重ねている誰かに対しても失礼ですよ」
「上條……」
 困惑しながら尋ねる羽鳥に、上條はすぐ笑顔になる。
「せっかくの誘いを少し申し訳ないと思う気持ちがないわけではないですが、これからも羽鳥さんと一緒にお仕事をしていきたいので。功刀さんだって同じですよ」
 その名前を口にされても驚きはしなかった。
「それに、そうじゃないと色々俺も困るんですよ」
 一瞬眉を顰めながら、すぐにまた表情を変える。
 儚げで穏やかでどこか遠い場所を眺めているような上條の表情が、今日はどこか違って見えた。


 家に帰る前に、功刀の携帯に連絡をいれる。相変わらずの留守番電話になっているが、そこにメッセージを残す。
『話をしたい。何があっても話をしたい』
 羽鳥は自分が現実から目を逸らしていた事実に気づく。
 功刀を包むつもりで、芯の部分に触れずにいた。優しいつもりで、強く相手を束縛できずにいた自分の弱さや曖昧さに、改めて気づかされる。
 学生時代からずっと同じことを繰り返している。留学する前も、電報堂からワタセエージェンシーに異動するときにも、常に決断をしてきたのは功刀だった。
 彼が苦しんでいるだろう今だからこそ、自分の動くときだ。
 スケジュールも、彼が今どこで寝泊まりしているかも知っている。一度会って駄目なら、二度でも三度でも会いにいく。
 功刀を絶対に失いたくない。
 だから、今この機会を絶対に逃したくなかった。