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羽鳥・花菱・功刀 学生編 |
◇◆四月・羽鳥◆◇ 三年に進級し、広告研究会の会長に就任した羽鳥文貴は、自ら新入生の勧誘に大学構内に訪れていた。 が、他サークルとともに机を並べて待っているものの、なかなか入会希望者は現れてくれない。 「何がいけないんだろう」 テーブルに肘をついて、羽鳥文貴はぼんやりと行き交う新入生の姿を眺める。 「先輩が怖い顔して睨みつけているんじゃないですか?」 「そんなことないと思うけどなあ」 羽鳥は後輩の言葉を適当に流す。 K大学広告研究会といえば、W大学ほどではないが、マスコミ関係への就職者が多いことでも知られている。活動内容も多岐に渡り、遣り甲斐のあるサークルだ。 それなのに、なぜか今年はまだ一人の入会希望者しか現れていない。 「まずいなあ……」 ぼやいてみても、始まらない。 「悪いけど、ちょっと煙草吸ってくる。ここお願いしてもいいか?」 「帰りに缶ジュース買ってきてください」 「了解」 振り返って後輩に笑顔で応じる。 着慣れない、どこか七五三のように見えてしまう背広姿や、春色のスーツを身に着けた新入生が、緊張した面持ちで羽鳥の横を通りぬけていく。 上着のポケットから煙草を取り出し、それを銜えて火を点ける。自分も彼らと同じように、期待と緊張の入り交じった気持ちでここを歩いていた。 ほんの数年前の話のはずだが、すでに懐かしい気持ちになる。 灰皿の置かれた場所まで辿り着くと、長くなった灰を落とす。そして椅子に腰を下ろして膝に肘を突いた。 「羽鳥、どうだ。新入生入ったか?」 見知った顔が同じように煙草を吸いに来た。 「全然駄目だね。そっちは?」 「うちは、もう、大変だよ。やっぱりテニスサークルってのは偉大だね」 テニスサークルという名前の遊ぶ目的サークルの代表は、自慢気に言う。 「どうせ半年後には、半分以下に減るくせに。いいんだよ、うちは少数精鋭を目指してるんだからさ」 半分負け惜しみだとわかっているが、とりあえず羽鳥は言い返した。 「勝手に言ってくれ。お前のところみたいにちょっとしか入らないサークルは、その全員が辞めたら最後だからな」 笑いながら、男は消える。 羽鳥は悔し紛れに二本目の煙草に火を点けるが、まるで味がしなかった。二度口を点けただけで、すぐに灰皿に捨てる。 後輩から頼まれたジュースを自動販売機で三本買うと、それを脇に抱えた。 「誰か入ってるといいけどな……」 門まで続く通路を歩きながら、めぼしい人間はいないものかと視線をさまよわせる。 「……あれ?」 気づいてみると、自分たちのサークルのテーブルの前に、柔らかい素材のカジュアルスーツに身を包んだ少年が立っていた。 遠目にもわかるほど線の細い、端整な横顔だ。風になびくさらさらの髪の毛は、春の陽射しを浴びて茶色に光っている。 走って慌ててテーブルまで辿り着くが、僅かのタイミングで彼はすでに離れていた。校門へ向けて歩いていく後ろ姿は、あっという間に他の学生の背中に紛れてしまった。 「先輩、お帰りなさい。ジュースは?」 「これだけど、今の、入会希望者?」 「ああ、今の彼ですね。残念ながら簡単な説明を聞いただけで終わってしまいましたよ」 「名前は聞いた?」 「いいえ」 「そっかー」 羽鳥はその場にしゃがみ込む。 「羽鳥先輩って、そういう趣味だったんですか」 にやりと横で笑われ、「違うけど」と慌てて言い訳する。 「違うけど、なんですか?」 「気になっただけだ」 「同じことですよ。そこから恋に発展することだってあるんですから」 「勝手に物語りを作るな」 何もかも知ったように言う後輩の頭を軽く叩いて、羽鳥は顔を覆った。 K大学はマンモス校で、名前も学部もわからなければ、そう簡単に再会できない。あれだけの器量良しならいずれなんらかの形で耳に入ってくるだろうが、そのときにはもう手遅れかもしれない。 「…………って、何が手遅れなんだよ」 慌てて自分の思考を押しとどめてみるが、ひどく無意味に思えてくる。 「誰が恋をしているんですか?」 人が絶望的な気持ちに浸っていると、呑気な声が聞こえてくる。 「花菱。お前、今まで何をやってたんだ」 「ちょっと寝坊しまして」 顔だけ上げて睨みつけるが、男はまるで悪びれた様子もなく肩を竦める。 茶色に脱色した髪に、二重でありながら涼しげな目元。口角が若干上に向いているため、いつもにやけた印象があるものの、息を呑むほどの二枚目だ。 「花菱くん、最低。首、ついてる。昨日とおんなじ服だし」 後輩の言葉で、羽鳥は花菱の首元に視線をやる。 「羽鳥さんまで見ないでいいですよ」 苦笑しながら手をやった指の合間から、ほんのり赤い痕が見える。昨日と同じ服。それが意味することは明らかだ。 「新しい恋人、見つけたの?」 「生憎恋人ってわけじゃないね。一夜だけのアバンチュール…………」 「いいよ、あんたの惚気なんて聞きたくないから」 「つまらないな。せっかく昨日の少年の可愛さを語ってあげようと思ったのに」 わざとらしく話し始めていた花菱の言葉を、後輩は強い口調で遮る。彼女が嫌がるのがわかっていて、彼は大袈裟なジェスチャー混じりに語ろうとしていた。 広告研究会に所属する二年の花菱は、法学部に在籍している。派手な外見と派手な行動に似合わず頭脳明晰だ。 女性にももてるタイプなのだが、彼は同性愛者であり、それを公言している。 今は特別決まった相手はいないが、遊ぶ相手はいつでもいるらしい。 大学内にも彼と寝たことのある人間は両手に余るらしいが、よくもそれだけ同性愛者がいるものだと、ついさっきまで羽鳥は不思議に思っていた。しかし今は、少しだけその気持ちが理解できるような気がする。そんな自分が不思議で、なんとなく居心地が悪い。 「そういえば今校門の前で、すごく綺麗な子を見たよ」 「綺麗な子?」 それまでしゃがみ込んでいた羽鳥は、花菱の言葉でその場に立ち上がる。 「そう。柔らかい髪の、透き通るような印象のある少年。淡い色のスーツ姿だった」 「話をしたのか。彼と!」 羽鳥は花菱の両手を掴む。 「もしかして、羽鳥さんが恋に落ちた相手って、彼?」 「……い、いや、そういうわけじゃないが」 ほぼ同じ身長の男の目が、羽鳥の目をじっと睨みつけてくる。 「別に人の嗜好には拘りませんけどね」 花菱はにやりと思わせぶりに笑い、羽鳥の肩を叩いた。 「いずれにしろ、できれば彼に入会してもらいたいんですよね? 広研に。来週、期待していてください」 「…………って、花菱?」 当番であるにも拘わらず、平然とその場から去った花菱は、次の週の広研の活動日に、あの少年を連れて来ていた。 「功刀章です」 たおやかな印象とは裏腹に、渇舌のはっきりした喋りをする少年は、眼鏡の下に強い光を放つ瞳を持っていた。 ◇◆四月・功刀◆◇ 「ねえ、君。ちょっといいかな」 入学直後のオリエンテーションで、功刀章は見知らぬ男性から声を掛けられた。 茶色に脱色されただろう短い髪はセットされ、均整の取れた体はモード系の服で覆われていた。背は高く手足も長い。人の心を透かし見るような鋭い視線に、覚えはなかった。 「突然にごめん。怪しい人間じゃないから、そんな目で見ないでくれないかな?」 ホールドアップの状態で顔の高さに上げられた男の手には、シルバーの大振りのアクセサリーが光っていた。非常に目立つ人間で、周囲を歩いていく人の目が、男に集まっていた。 「なんの用でしょうか?」 「要件の前に、まずは自己紹介をさせてもらおうかな。俺は花菱智樹。法学部の二年だ。君は?」 「功刀章。経済学部の一年です」 「章ね、はじめまして。これで俺と君は知らない同士ではなくなった。さらにお近付きになりたいと思っているから、一緒に呑みにでもいかないか?」 馴れ馴れしくも肩に手を置いてくる男に驚きながら、自分に向けられる無邪気な笑顔に何も言えず、功刀は思わず後をついていってしまった。 花菱と名乗った男は、広告研究会に所属しているという。 「入る入らないは自由だけれど、一度活動を覗きに来るといい。他のサークルに比べると仕事は多いし規律もあるけど、遣り甲斐はあるし、気持ちのいい仲間ばかり揃っている」 軽薄に見えながらもどこか重みも感じられる言葉に、功刀は彼の指定された曜日に広研の活動風景を見に行った。 六月に迫った他サークルの宣伝ポスターの作成や、後援企業の斡旋を行っている最中だったせいか、部屋の中は活気づいていた。 中でも一際輝いた表情を見せている男がいた。背が高く真面目そうで、性格が顔に出ているような彼は、たとえるなら花菱とは対極に立っているように思えた。 どうやら彼が中心に様々な話を進めているらしく、周囲から信頼されている様子が外からでもわかる。 「やっぱり来たね」 肩を叩かれて顔を上に向けると、花菱が立っていた。 「いい感じだろう。うちのサークルは」 満足そうに問われる。なんとなくその表情が癪に障ったものの、功刀は頷いた。 「それは良かった。みんな、待望の新入生だ」 花菱は功刀の肩を抱いたまま、部屋の中へ入っていく。 「え、まだ入会すると決めたわけでは……」 「何、言ってんの。ここまで来ておいて」 しかし、花菱はそんな功刀の言葉などまるで聞こえないかのように、部屋の中央まで進む。 「新入生?」 それまで電話に出て他のメンバーに指示を与えていた男が、功刀たちに顔を向ける。二重でありながら細い目が、一瞬驚きに見開かれるが、次の瞬間には満面の笑みに変わる。 「わが、K大学広告研究会へようこそ」 春の陽射しのように柔らかい笑顔を見せた羽鳥文貴という男に、功刀はそのとき魅せられた。 ◇◆十月・羽鳥◆◇ 「え、まだ手、出してないんですか?」 周囲をまるで考えない声音に、羽鳥は慌てて花菱の口に手を翳した。 「やめろよ、お前。少しは周囲のこと、考えろ」 「って言っても、これで驚かないわけにはいきませんって。だって、まさか……もう半年でしょう? もしかして、告白もしていないとか?」 耳元でひそひそ尋ねてくる花菱を、羽鳥は無言のまま睨みつけた。 「嘘でしょう! 俺なんて、気に入った相手なら、会ってその一時間後にはベッドで……」 「だから、お前みたいな獣と一緒にするなって」 とんでもない花菱の台詞を、羽鳥は慌てて途中で遮る。 「じゃあ、もしかして功刀の気持ちも確認していないってこと、ですか?」 それについては、煙草を吹かしながら無言で応じる。 「まったく、信じられない人だな。童貞ってわけじゃないんですよね?」 「去年までは、彼女がいたよ」 「でも、ふられたんでしたよね?」 いちいち花菱の言葉は羽鳥のカンに障る。花菱は意識していないだろうが、羽鳥はなんとなく花菱にライバル意識を燃やしていた。自分の欲しいものをすべて花菱は持っているように見えるのだ。 自由に生きているように見えながら、頭は良く、来年司法試験を受ける予定だと聞いたときには、まさかと思った。しかし、人の話によれば、在学合格間違いなしと言われているらしい。 家柄も良く、外見は言うまでもない。 ゲイであることすら、ファッションに思えてしまうから不思議であり、またそれが羽鳥は悔しくてならなかった。 功刀に対する自分の気持ちが恋愛そのものであると認識するまで、ずいぶんと時間がかかっていた。散々悩み、苦しんで尚功刀が欲しいと思えたのは、つい最近のことだ。 春先から自分の目は彼を見詰めていたが、覚悟を決めてからはまだそれほどの日が経っていない。 おまけに、羽鳥には誰にも言っていない秘密があった。それもあって、打ち明けられずにいる。 「俺から、言いましょうか、功刀に」 「いや……いい。言わないよ」 「なんで?」 「俺、実は来年、留学するんだよ」 長い煙草の灰を眺めながら、羽鳥はぼそりとその秘密を口にする。 「どこに、いつまでですか」 さすがの花菱も、驚きの表情を見せた。 「今年の十二月から一年。アメリカにね」 「功刀、知ってんですか?」 「知らない」 「あんなにあんたに懐いているのに、置いていくんですか?」 「置いていくもいかないも、そういう関係じゃないから」 トントンと叩いて、灰皿に灰を落とす。 「そういう関係にしていないのは、あんたでしょうが」 凄みのある声が、羽鳥を責める。目の前に座っている花菱は、彼にしては珍しくひどく怒っているように見えた。 「いいんですか、それで。いない間に誰かに持っていかれても、後悔しないんですか?」 「仕方ないだろう」 告白して、万が一うまくいったとしても、自分には待っていてと強く言えるだけのものはない。 功刀が自分を慕っていてくれているのはなんとなくわかっても、まだ迷いが羽鳥の中にあるのも事実だった。 一年の留学の間に、自分自身の中でも明確な答えで出るかもしれない。戻って来てなお功刀のことを想っている自分がいれば、そのときには何かが変わるかもしれない。 ◇◆十二月・花菱◆◇ 「それで、何か言われたのか?」 空港デッキから、青い空へと消えていく飛行機の姿を眺めながら、花菱は煙草に火を点けた。 隣に立っていた功刀は、静かに首を左右に振る。 「まるで、何も?」 「キスはされましたが……」 花菱は思わず口笛を吹いた。 「羽鳥さんからか」 その言葉にもう一度首を左右に振る。花菱は指に挟んだ煙草を揺らしながら、「え」と短い声を上げる。 「羽鳥さんの部屋で二人で飲んでいたときに……」 「そんなこと、してたのか」 「飲んでただけです。でもそのときに酔ったふりして、俺の方から……」 空を見つめたまま小さな声で語る功刀の横顔が、青い空に溶けていきそうに見えた。 初めて会ったときから常に、功刀はその周囲の色に混ざり込む、そのときどきの空気を纏っていた。 淡い桜の色だったり、強い火の色だったり。これまで花菱が出会ってきた誰とも違う、芯が強く、しっかりと自分を持っていた。 おそらく初めて出会ったときから、功刀は羽鳥に惹かれていた。そしてまた羽鳥も同じ気持ちでありながら、それを口に出来ずにいた。 羽鳥は三月に大学を卒業するはずだった。あと三ヶ月あれば、焦れた功刀がなんらかの行動に出て、二人の関係は変わっていたに違いない。 しかし、彼は渡米した。何も言わずに。 功刀のような人間は、好きな相手に一言待っていてくれと言われれば、永遠に待ち続けていただろう。 だが羽鳥は、そんな功刀の気持ちをわかっていなかった。功刀もまた、羽鳥の性格を完全に理解してはいなかった。 そこに、花菱の割り込む隙がある。花菱もまた、初めて功刀の姿を目にしたときから、何かに惹かれていた。先輩であり友人である羽鳥が相手なら、また諦められるつもりでいた。 しかし――。 「功刀……」 名前を呼ぶと、功刀は風に揺れる髪を手で押さえつけた状態で、ゆっくり振り返る。物憂げに揺れる瞳から、その瞳の大きさの涙が零れ落ちた。 その表情がどうしようもなく愛しかった。誰にも抱いたことのない気持ちが体を駆け巡る。 強い衝動に足が動く。手が伸びる。そして、功刀の体を自分の胸の中に引き寄せていた。 「……花菱さん?」 驚いた目を向けながら、功刀は強い抵抗を示さない。それどころか顎に手をやり上に軽く向かせれば、先の行為を知って目を閉じた。淡い色をした唇が、誘っているように見えた。 「いいのか、そんなに無防備で」 いつもの花菱なら、相手の気持ちなど確認しない。けれど、功刀に対してはそんなことはできなかった。 功刀は閉じていた瞼をゆっくり開き、その綺麗な瞳で目の前の男を見つめた。 「花菱さんには、全部ばれていますから。弱みにつけ込まれても文句は言えません」 涙は一筋流れただけで終わる。花菱は唇の端で小さく笑い、覆い被さるようにしてそっとキスをした。 end |