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羽鳥&功刀

 担当俳優である上條千里のマネージメントを終えて青山にあるワタセエージェンシーに帰社した羽鳥文貴は、今日の報告もそこそこに、事務所内を慌ただしく歩き回っていた。 「羽鳥、どうしたの? 誰か捜している?」  ちょうど社長室から出て来た渡瀬美穂は、羽鳥の落ち着かない様子に気づいた。 「いえ、あの。功刀は……」 「残念ね。ついさっき、カムイの仕事についてロケに出たところ。戻りは深夜予定」  渡瀬は社員のボードを指差して、羽鳥の目的の人物の予定を伝える。言われてそれを確認した羽鳥は、「そうですか」と呟いてため息を吐いた。
「急用なら、携帯に連絡を入れたら?」
「それほどのことではありませんので……ご心配をおかけして申し訳ありません」
 羽鳥は渡瀬に会釈をすると、自分の机について事務作業に取り掛かる。
 ワタセエージェンシーでは分業化が進み、タレントについて動くマネージャーとスケジュール調整を行うマネージャーと、一人のタレントにつき大抵は二人の担当者がついている。
 もちろん、どちらか一方が不在の場合には、相手の仕事もこなせるように、常に連絡を取り合い作業を行っている。しかし、急場のアクシデントにはおかげで強く、対処も実に早い。
 特に、現在羽鳥が担当している、上條千里は、当初ワタセエージェンシーの社員だった。彼の素質と容貌を見抜いた渡瀬の半ば陰謀により、だまし討ちのような形でデビューをしてから、そろそろ二年になる。
 渡瀬の目論見通り彼の人気はうなぎ上りで、日々仕事のオファーがひっきりなしにある。
 社員時代は大人しくあまり目立つ存在ではなかったものの、仕事をし始めてからは隠されていた本性が現れて来たのか、内側から変化しているように見える。
 彼はもっと大きな存在になるだろう。その片鱗は、ふとした表情にも見え隠れしている。
 羽鳥は急いで書類の作業を終わらせると、上司の確認のサインをもらって、書類提出ボックスに入れた。
 明日の仕事の確認を取り、上條の携帯と自宅に変更のないことを連絡した。マネージャーのパートナーとも確認を取ると、羽鳥は急いでコートを手に社を出た。
 ビルの地下にある駐車場には、自家用車が置いてある。免許を取った当初からずっと羽鳥はトヨタクラウンのマニュアル車に乗り続けている。派手さはないが、常に変わらない安定感が気に入っていた。
 混雑する青山通りを抜け、外苑東通りへ。
 目的地は乗車してすぐにナビに登録した。予定通りに行けば、一時間後には辿り着くだろう。
 普段は安全運転を心がける羽鳥だったが、今日はどうもハンドル操作が荒っぽくなってしまう。気持ちの揺れが、運転にも出てしまうのだろうか。三十代半ばになっても、まだまだ精神的に成長しきれていないのだろうかと、軽い自己嫌悪に陥りそうになった。
   辿り着いた場所は、某テレビ局所有のスタジオ。
 ドラマを主に撮影するその中に入ると、目当てのスタジオへ向かう。ちょうどタイミング良く休憩らしく、すぐにカムイ・J・ハヤシと森田コージの姿を見つけた。
「あれー。羽鳥さんだ、どうしたんですか?」
 同時に彼も羽鳥に気付いて無邪気に声を上げた。その声に、隣でスタッフと話をしていた功刀も気付いて、端整な顔を羽鳥のいる方に向ける。
 フレームレスの眼鏡の奥の目が、照明の加減で微妙な色を見せる。
 元々色素の薄い彼は、学生の頃からしばしば、外国の血が混ざっているのではないかと思われていたほどだ。
 服を着ていて見える部分よりも、項や鎖骨の窪み、そして胸は、透き通るほどに白いことを、羽鳥は知っている。
「上條の仕事が早く終わったので、たまにはコージやカムイの仕事ぶりも見てみようかと思った」
「羽鳥さん、普通の顔をして嘘ばかり言うから、いやだよな」 
「来てもらえて嬉しいくせに、そういう天の邪鬼なことを言うなよ」
 コージは羽鳥に言われて嬉しくないわけではないのだが、恥ずかしがって誤魔化してみせる。そんなコージの頭を、隣に立ったカムイがくしゃりと撫で付ける。
「市川さんは?」
「少し外しているだけです。すぐに戻ってくると思いますが?」
「仕事は? どのぐらいで終わる?」
「若干押していまして、今日中には終わらないだろうとスタッフの方とお話をしていたところです。スケジュールの組み直しも兼ねて、ついさっき休憩に入ったところですから……いつ終わることやら……」
 功刀の話を最後まで聞き終える前に、羽鳥は背広に包まれた細い腕を取って歩き出した。
「は、どりさん?」
「カムイ、悪いが少し、功刀を借りる。三十分したら返す」
「了解~。次の仕事までに返却してくれれば十分です。あまり苛めないでくださいね、俺の大切なマネージャーですから」
「善処する」
 羽鳥はカムイの、どこからどこまで本気かわからない言葉に応戦する。
 スタジオの外まで出ると、やっと功刀の手を解放する。
「羽鳥さん。どうしたんですか?」
 わけのわからない功刀は、少し怒ったような表情で強引な羽鳥を見つめた。
 プライベートの場所では穏やかな表情を見せ口調や態度も柔らかくなるが、こと仕事の場所において、過剰なほどストイックに振る舞う。そのギャップがまた羽鳥は愛しいが、今日だけは鼻についた。
 羽鳥は功刀の肩を掴むと、そのまま自分の方へと強引に引き寄せる。そして驚く男の唇に自分の唇でキスをした。
「…………何を、するんですかっ」
 一瞬のスキをつかれたものの、すぐに功刀は抵抗して羽鳥の腕から逃れ、男の頬を平手打ちする。
「功刀」
「場所を考えてください。いつもの貴方らしくもない」
 強い口調で羽鳥を責めながら、功刀は心底怒っているようには見えなかった。どちらかと言えば、母親が悪戯をする子供を戒めるような口調に聞こえる。
「何があったんですか? わざわざここまでいらしたのには、理由があるんですよね?」
「なんでもお見通しか、章には……」
 羽鳥は叩かれた頬に手をやり、苦笑して肩を竦める。
「左手で軽く叩きましたから、痕は残らないと思いますよ」
 功刀は小さく笑って、自分よりも背の高い男の額に、たった今頬を叩いた手を伸ばす。
「――今日、花菱に会った」
「え?」
 頬にある功刀の手に自分の手を添え、口元まで移動させてから、羽鳥はそっと呟いた。
「花菱、さん、ですか……? どこで」
「阿部プロにいた。知ってたか?」
「いえ、それは……初耳です」
「それだけじゃない。あいつは、上條とできているらしいんだ」
「…………!」
 続けられる真実に、功刀は完全に言葉を失った。
「俺も今日、たまたま上條と花菱が隠れて会っているところに出くわしただけで、それ以上詳しいことは知らない」
「他には誰がそのことを知っているんですか?」
「おそらく、阿部の社長」
「…………上條もまた、どうしてそんな面倒な男を……」
 功刀は思わず頭の上に手をやって天を仰いだ。
「俺が思うに、花菱が上條に惚れて、口説き落としたに違いない」
「どうして、そう思うんですか?」
「上條と功刀、どことなく雰囲気が似ているからだ」
 その言葉に、功刀は表情を固くする。
 花菱、羽鳥、功刀は、某K大学の先輩後輩の関係にある。さらに功刀は学生時代、花菱とは恋人同士であり、当時から功刀を想っていながら、羽鳥は彼らの仲を理解ある第三者的な存在で見続けて来た過去がある。
 花菱と功刀が別れる経過まで知っている羽鳥としては、花菱の存在は目の上のたんこぶ以外のなにものでもない。
「――いずれにしろ、面倒なことこのうえないですね」
 功刀は言葉とともに、大きなため息を吐いた。
 
                
   end